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AAA與真司郎 ゲイであることを告白し、自身を解放。悩みや苦しみを抱える全ての人の「居場所」を開設

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
写真提供/Faniconn(全て)

7月、ファンイベントで自身がゲイであることをカミングアウト。ファンは大きな拍手と声援を送る

AAA 與真司郎が10月15日、会員制のファンコミュニティアプリ「Fanicon」で公式コミュニティサロン『SHINJIRO ATAE Official Online Salon You Only Live Once』を開設。與は7月26日、LINE CUBE SHIBUYAで行われた無料招待のファンイベントで、ゲイであることをカミングアウトし、国内外で大きな注目を集めた。ファンは様々な葛藤を乗り越え、打ち明ける決意をした與の真摯な姿と言葉に、変わらず応援をしていくことを約束する大きな拍手と声援を送った。

そして與は「LGBTQ+(性的マイノリティ)に限らず、人生に悩んでいる人を1人でも多く救いたい」という想いから「年齢、人種、セクシュアリティにとらわれず、人生の幸福度を高め、 全ての人が助け合い、全ての人が心も身体も健康に明るく笑顔になれることを目指す」オンラインサロン『You Only Live Once』を開設した。ファンのみならず、様々な悩みや苦しみを抱える全ての人のための「居場所」になって欲しいと願うこのサロンを開いたいきさつ、そしてカミングアウトするまでと、これからのことを拠点のLAから日本に一時帰国していた與にインタビューした。

中学時代から自分自身に違和感を感じ、それを抱えたまま20年以上過ごしてきた。「今まで自分に蓋をして生きてきた気がする」

與は中学生の頃から自分自身に違和感を感じ、それを抱えながら20年間過ごしてきたという。何も悪いことをしていないのに、誰にも何も言えず自問自答する日々を送った。

「僕は京都の田舎の出身なので、もちろん周りには何も言えずとにかくバレないようにということばかりに囚われこれまで生きてきました。当時はゲイという言葉も知らなかったし今ほどネットもそんなに発達していなかったので、とにかく情報がなかった。だから自分が変なのかもしれないと思い、自分に蓋をして生きてきた気がします」。

AAAのメンバーにも告白することはできなかった。「デビューしてからはとにかく忙しくて、もう仕事に集中するしかないし、自分のセクシュアリティのことはとりあえず置いておいて、という感じだった」

與は中学を卒業しすぐに上京し、芸能活動をスタートさせる。そして2005年、16歳の時にAAAのメンバーとしてデビュー。15年間の活動の中で5度のドームツアーを成功させるなど常にシーンの最前線で活躍し、活動休止。しかし苦楽を共にしてきたメンバーにも、自分がゲイであるということを告白することができなかった。地元でも東京でも変わらず自分自身を“隠したまま”だった。

「自分だけの問題だったら、もっと早くカミングアウトをしていたと思います。でもエイベックスという会社に所属していたし、メンバーにはもちろん、家族や友人にも言い出せなかった。デビューしてからはとにかく忙しくて、もう仕事に集中するしかないし、自分のセクシュアリティのことはとりあえず置いておいて、という感じでした。僕はシャイな性格ではなかったので、小さいときから物事をはっきり言うタイプでした。なのに、一番大切な部分になると自分を押し殺して生きている自分が、どんどんポジティブじゃなくなってきて、いつもイライラしていた気がします」。

「自分がゲイであることがバレたくなかったので、ゲイの人達と仲良くするのが怖かった」

「僕は自分がゲイなのに、オープンなゲイの人を遠ざけていた時期がありました。これはこの世界では恐らくよくあることだと思うんですが、自分がゲイであることがバレたくなかったのでゲイの人達と仲良くするのが怖かったんです。そこは徹底したというか、だからここまで世間的にもバレずに隠し通せたというか。なので時間ができると自分の“居場所”を求めて海外に行っていました」。

自分に嘘をついて生きるしかない社会、環境だった。当時と比べると今は大分“開かれてきた”とはいえ、まだまだマイノリティの人たちが生きづらい環境、社会であることに変わりない。

アメリカで生活をすることで何かが変わる、解放されると信じて2016年、LAに拠点を移す

與は14歳で芸能界という大人の世界に飛び込み、常に大人に囲まれ多感な時期を過ごした自分のことを「大人になれていなかった」と語る。アーティストとしてのプレッシャーなども重なり、荒んでいくその気持ちを抱え、與は気分転換のために度々一人で海外に出かけるようになる。外国の空気と人々にふれあいながら、自分と向き合った。そして独学で英語の勉強を始め、アメリカで生活をすることで何かが変わる、解放されると信じて2016年、LAに拠点を移した。

「AAAの他のメンバーのように、もっとソロ活動でキャリアを積んでいたらまた違う状況になっていたかもしれませんが、当時はこのまま日本にいたら本当に病気になりそうって思いました。今思うと当時は多分鬱状態で、病院に行った方がいいレベルだったと思います。人前やファンの前ではこうやって明るい感じで接していたので、多分ばれていなかったと思います。でもその時はメンタルヘルスという言葉も知らないし、セラピストに相談しようという考えにも至らなかった。自分のセクシュアリティについてもそうだし、色々な世界を見ないと本当にただ文句だけを言っているだけのつまらない男になってしまうと思いました。だからアメリカに行って、エンタテインメントをはじめ色々なカルチャーに触れ、人と出会い、人生勉強をしようと思いました」。

あらゆる世代、セクシャリティが集まるパーティなどにも参加し、「みんなが何も“気にしていない”こと、自分が“普通”で、このままの自分でいていいんだと感じることができた」

疲弊する心がこれ以上疲弊しないよう、逃げるように渡ったアメリカで生活を始めると世界が広がった。初めは大きなカルチャーの違いでアメリカの社会にうまく馴染めなかったが、知り合う友人に恵まれ、その中の一人、年配のゲイのメンター的な存在の友人が色々相談に乗ってくれたりアドバイスをくれた。あらゆる世代、あらゆるセクシュアリティが集まるパーティなどにも参加して、みんなが何も“気にしていない”こと、自分が“普通”で、このままの自分でいていいんだと感じることができた。前に進めた。そしてアメリカに住み始めて5年ぐらい経った時に、友人から「家族には絶対言った方がいいよって言われて、母親にカミングアウトしました」。

「2020年のクリスマスにLAの自宅に友人が集まっている時に、まず母親に電話で伝えました。すんなり受け入れてくれてほっとして涙が出てきました。母から話を聞いた姉からは『あんたの性格でよくここまで我慢できたね』というメールをもらい、受け止めてくれました」。

ファンの前でカミングアウトした時のあの涙の意味

そして2023年7月26日、ファンミーティングでずっと支えてくれているファンの前で手紙を大粒の涙をこぼしながら読み、丁寧に言葉を伝えカミングアウトした。AAAのメンバーも駆け付け見守っていたが、緊張がマイクを通して伝わってきた。怖かったはずだ。あの涙はやはりこれまでの苦しみや葛藤、そして解放されたようなホッとした感覚、どんな意味があったのだろうか。

「あの時のことは正直よく覚えてなくて……なんで泣いたんだろう。ドキドキしました。やっぱり、昔自分がすごく葛藤していた時のことを思い出していた気がします。でも正直あんな感じでファンのみんなが受け入れてくれると思わなかったです」。

「世界のどこにいても、どんな人でも生きやすい場所になってくれることを願って」――新曲「Into The Light」に込めた思い

あの日ファンは與の告白に大きく温かな拍手を送った。これをきっかけにファンが急激に減ってしまうということもなかった。與はさらに思いを形にするために、ファンミーティングで音楽活動を再開することを伝え、新曲「Into The Light」をいち早く届けた。この曲の歌詞とメロディ、MVから與の強い思い、優しさ、決意が伝わってくる。

「アメリカに来て音楽をやるって当初は全然思っていなかった。ゲイってカミングアウトしたらファンも減ると思ったし、僕の音楽を求めてくれる人なんていないと思っていました。でも周りの人から色々なことをやった方がいいと言われて、音楽をもう一回やってみようって。『Into The Light』はシンガー・ソングライターのレイベル(Wrabel)と、ワン・ダイレクションやマルーン5などの楽曲を手掛けた、作曲デュオのアフターアワーズがコライトで作ってくれた楽曲で、2年ぶりに音楽と向き合ったので制作のプロセスを忘れちゃって(笑)」。

「世界中の人に聴いて欲しいと思ったので英語詞にしました。人生っていい時もあればうまくいかない時もあって、でも諦めずに前に進むことで、新たな光の指す方へと導かれているんだと(Into The Light)と思います。僕も正直この先どうなるのか自分でもわからない。でも一度の人生、とにかく後悔したくないんです。世界のどこにいても、どんな人でも生きやすい場所になってくれることを願ってこの曲を歌っています」。

「LGBTQ+(性的マイノリティ)に限らず、人生に悩んでいる人を1人でも多く救いたい」――オンラインサロン『You Only Live Once』を開設

公式オンラインコミュニティサロン『You Only Live Once』(Fanicon)
公式オンラインコミュニティサロン『You Only Live Once』(Fanicon)

與の強い思いはどんどん行動に変わり、形になっていく。音楽が国境を超えるように、與は「LGBTQ+(性的マイノリティ)に限らず、人生に悩んでいる人を1人でも多く救いたい」という想いから「年齢、人種、セクシュアリティにとらわれることなく、全ての人が助け合い、全ての人が心も身体も健康に明るく笑顔になれることを目指す」オンラインサロン『You Only Live Once』を開設した。会員全員が参加できるグループチャットやファンイベント、生配信など、より近い距離で與の存在を感じることができる。

「このオンラインサロンは、もちろん僕を応援してくれている人が集まってくれる場所ではあるのですが、僕のファンじゃなくてもLGBTQ+(性的マイノリティ)に限らず、人生に悩んでいる人が気兼ねなく来て、なんでも話せる場所になるのが理想なんです。僕は20年間苦しんできました。それは解決するすべが見つけられなかったから。まだまだマイノリティの人たちが生きづらい環境、社会であることは変わりありません。でもこのサロンでは、僕が経験したことや手にしたことを伝えられるし、同じ悩みを抱える人がコミュニケーションを取ることができるので、そこから幸せになるためのきっかけを掴んで欲しいです」。

「日本人だし日本に住みたいと思っているからこそ、日本での生き方ということが大前提としてあって」

アメリカに行き人生が劇的に変わった與。だからといって同じ悩みを抱えている全ての人にアメリカや海外に行くことを勧めているわけではない。

「決してアメリカの環境や風潮を押し付けたいわけではなくて、僕は日本人だしもちろん日本に住みたいと思っているからこそ、日本での生き方ということが大前提としてあって。当事者がみんな僕みたいにカミングアウトする必要もないと思っています」。

「生配信やトークショーで、ファンのみんなと絡んでるときが一番楽しい。自分がすごく生きてるって感じが実感できて、幸せ」

カミングアウトして約4か月。意外にも與を囲む状況は「あまり変わっていない」という。

「実はカミングアウトしても、今のところ意外なほど人生は変わっていないんです。何かもっと大きく変わるのかなと思っていたけど、そうじゃなかった。先日コミュニティサロンの生配信で、『俺はこれからこういうことをやっていきたいし、みんなが思っているようなかっこいい與真司郎のイメージとは違うことをやったり、言ったりするかもしれないけど、それでも大丈夫?』って聞いたら、みんな『全然何でもいいよ!』みたいな感じで『何でも応援する!』って言ってくれて。本当ありがたいのひと言に尽きます。やっぱり生配信やトークショーで、ファンのみんなと絡んでるときが一番楽しいし、自分がすごく生きてるって感じが実感できて、幸せです」。

與の半生を描いたドキュメンタリーが、ハリウッドで制作中

現在、與の半生を描いたドキュメンタリーがハリウッドで制作されている。『グリーンブック』や『メリーに首ったけ』などで知られるピーター・ファレリーがエグゼクティブプロデューサーを務め、監督は、與の長年の友人であり業界で急成長中のクリエイティブデュオ、カーリー・マンティラ=ジョーダンとジョン・エリオット・ジョーダン。プロデューサーには、アカデミー賞受賞歴のあるピーター・ファレリーとフィッシャー・スティーブンスが名を連ねている。ドキュメンタリーに関する詳細は改めて発表される。

『SHINJIRO ATAE Official Online Salon You Only Live Once』

<金額> 月額 1,000円

<内容>

・限定生放送の視聴

・プライベートや仕事の裏側動画、リアルタイムメイキングの視聴

・グループチャット/トピック

・サロン内限定のオリジナルスタンプ

・ライブアーカイブ動画の視聴

・サロン限定のスクラッチイベントの参加

・デジタルファンレターBOX

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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