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brainchild's 15周年を迎えた菊地“EMMA”英昭のソロプロジェクトの現在・過去・未来

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
写真提供/ソニー・ミュージックレーベルズ

初のベストアルバム『WHITE LION, BLACK SHEEP & YELLOW DOLPHIN』をリリース。稀代のギタリストの頭の中にその時響いている音楽、浮かんだアイディアを具現化してきたその軌跡

THE YELLOW MONKEYのギタリスト菊地“EMMA”英昭のコラボレーションプロジェクト・brainchild’sが15周年を迎え、初のベストアルバム『WHITE LION, BLACK SHEEP & YELLOW DOLPHIN』を11月8日にリリース。日本を代表するロックバンドのギタリストの頭の中にその時響いている音楽、浮かんでくるアイディアを具現化するために、様々なアーティストとコラボし、化学反応を楽しむ実験的な「場所」でもある。プロジェクト始動から15年。brainchild’sというバンドの現在地とベストアルバムについて菊地にインタビューした。

「brainchild’sという名前があればなんでもできる、そういう感覚で始めた“場所”」

2008年に菊地がインディーズレーベル「Brainchild’s Music」を立ち上げ、オルタナティブなソロプロジェクトbrainchild’sとして始動させた。菊地がやりたいことを実現できるアーティストとコラボして――というのがこのプロジェクトの肝だが、当初は違っていたようだ。

「実は初期衝動があまりなくて(笑)。もちろんやりたい音楽やサウンドはたくさんあったけど、ソロでもないし、バンドでもない、何でもできるという体で、朧げなところから始まっているので、最初は何をやったらいいかわかならかった(笑)。だから最終地点もその時は見えていないし、今でも見えないといえば見えていないけど、やりたいことをやりながら色々なことを身につけているという感覚が一番近いかもしれません」。

さらにbrainchild’sというのはあくまでも自由な「場所」なので、「自分が一番得意なものが音楽だったので音楽をやっているけど、もしかしたら写真を勉強して色々な写真を撮っていたかもしれない。でもbrainchild’sという名前があればなんでもできる、そういう感覚で始めたんですよね」という、真剣に遊びを追求する基地のような存在だ。

10年間インディーズで活動。その後メジャーレーベルへ。「やっていくうちに、自分達の音楽をたくさんの人に伝えたいと思うようになった」

brainchild’sは2008年12月に1stシングル「BUSTER feat.奥田みわ」をリリースし、動き始めた。そして2018年にメジャーレーベルに移籍するまで、インディーズで活動してきた。THE YELLOW MONKEYのギタリストとして、数々の大きなステージで多くのファンを熱狂させてきて、brainchild’sもその音楽をたくさんの人に届けたいという気持ちは当時はなかったのだろうか。

「THE YELLOW MONKEYを解散してすぐとか、活動休止中に始めていたら、こんな世界観でもやってくれるメジャーレーベルはあったかもしれない。でも大分時間も経ってたし、一からのプロジェクトで、自由な発想で始めたのでこの世界観にメジャーを巻き込むのもな…という気持ちもあったし、これは負け惜しみでもなんでもはなく、こちらがやりたい時にやれないことも出てくるのも嫌だなっていう気持ちもあったし。思った時にすぐにできる身軽な感じがいいなって。でも色々なアーティストやミュージシャンとやっていくうちに、できあがってくるものを色々な人に聴いてもらって、こういう世界もあるよって伝えたいなって思うようになりました」。

「作詞をしたことがミュージシャンとしては大きかった」

brainchild’sとして【第3期】にあたる2009年8月、3rdシングル「cardioid」で菊地は初めて作詞・作曲、そしてボーカルを担当した。キャリアを積んできた中で、これまでやってこなかったことに意欲的にチャレンジして自らを更新していった。

「作詞をしたことがミュージシャンとしては大きかったです。作詞は自分という人間の中身、裸を見られているようで、恥ずかしいとずっと思っていたので、違う世界に行った感じがしました。それは今も変わらないです。もちろん自分の経験や体験を基に書くものとそうじゃないものがあります。東日本大震災が起こった2011年は湧き出るように言葉が出てきました。辛い出来事でしたが大震災への思いを『ウミネコ』という曲にしたり、あの時はとめどなく言葉が出てきました。社会や事件への怒りは作詞の原動力になります。僕は表現者はもっと怒っていいし、時によっては表現すべきだと思っていて、自分でもその思いを書いてきましたが、今は僕が書く曲にワッチ(渡會将士)がヒリヒリする歌詞を書いてくれます」。

「ふと口ずさめる曲が一番いい。ギターで歌い、ギターで代弁している」

このベスト盤を聴くと、様々なアーティストとのコラボで生まれた音楽と菊地の歌の変遷を楽しむができる。そして一貫して感じるのは菊地が書くメロディの親しみやすさと、艶のある、色気を感じる、そして歌っているようなギターだ。brainchild’sでも歌声を披露してくれているが、元々歌いたかったという気持ちが強かったのだろうか。

「brainchild’sを始めた最初の頃は、とにかく全てが目一杯で常に感情を曝け出して、起伏もなくも歌にぶつけていた感じです。昔から歌いたかったという気持ちはありました。でも当時は歌えなかったので、ギターで歌おう、ギターが代弁するという形にはなっていましたけど、頭の中ではメロディを追って歌っていました。ふと口ずさめる曲が一番いいなと思っていて、僕はギタリストですがそれにちゃんと絡めるようなギターを弾きたいし、それを突き詰めたいと思っています。それはbrainchild’sでもそうだし、THE YELLOW MONKEYでもそうだし、常にそういう気持ちで弾いてきました。だからどういう曲をやっても自分の色が残るのかもしれません」。

15年間の中での大きなターニングポイントは?

15年間の中で大きな転機、ターニングポイントは?

「いくつもありますけど『PANGEA』(2011年)を作った時は、大震災が起こった後、本当に衝動の塊だったのでそれを表現するbrainchild’sという場所を立ち上げて良かったなって思いました。それまでは作品をリリースするだけだったけど、この年、バンド形態として初めてツアーをやってそこは転機でした。【7期】になった瞬間も転機でした。【6期】で自分がやりたかった大所帯でのサウンドも実現できて、『群衆』という曲を作っている時に、これをストレートに表現できるバンドを作りたいなって思いました。それで【7期】のメンバーを集めて、初めてワッチに歌入れをやってもらった時、Aメロを聴いて大正解だと思いました。その時のことをすごく覚えていて。自分が具現化したいものがちゃんと具現化できるんだなって思えた瞬間でした」。

「自分の中で【7期。】はバンドとして理想的なところに到達している」

2015年、ボーカル渡會将士(FoZZtone)、ベース神田雄一朗(鶴)、ドラム岩中英明(Uniolla/MARSBERG SUBWAY SYSTEM)を招聘し【第7期】がスタート。精力的に作品をリリースし、2020年にはキーボードにMAL(ArtyPacker)を迎えて新体制【7期。】となり、2022年には4年ぶりとなる6thアルバム『coodinate SIX』を発表し、初のホールツアー(全国7カ所)を行なった。

「自分がやりたかったことは、他の期でも実現できてその度に達成感はありましたが、自分はバンドマンなんだということを再認識させてくれたのは今の【7期。】です。ギタリストなので、ギターを弾いてなんぼだっていう意識はあるので、収まりがいいのは今が一番だと思います。プロジェクトではありますが、本当のバンドのようで、みんな仲が良くてそれを見ているとこちらも嬉しいし、逆に奮い立たせてもらっています。【7期】になる前は理想とするバンドスタイルみたいなものがありましたが、でもメンバーのアイディアとテクニックでそれ以上のことができることがわかって、より自由度が高くなりました。化学反応が起こる度にやっぱりバンドっていいなって思いながら見ているし、参加している感じです。

「15年経って安定してきているので、このままでいいのかどうか?という気持ちはある。まだまだ先は長そうなので」

「【7期】を始めた時の感動プラス、MALが入ってきて色々な方向性を見いだすことができたのが今で、自分の中ではバンドとしての理想的なところに到達していると感じています。ただ15年経て今思うのは、安定してきてるのでこのままでいいのかどうか?という気持ちはあります。まだまだ先は長そうなので」。

「brainchild'sの歴史を辿るようなライヴのセットリストを考えるように、曲順を考えた」

『WHITE LION, BLACK SHEEP & YELLOW DOLPHIN』(11月8日発売/通常盤)
『WHITE LION, BLACK SHEEP & YELLOW DOLPHIN』(11月8日発売/通常盤)

この15年間の菊地の頭の中を覗くことができるのがこの『WHITE LION, BLACK SHEEP & YELLOW DOLPHIN』だ。曲順にもこだわり、brainchild’sというプロジェクトが持つ熱量をストレートに伝えている。

「自分の中では芯があったなと思っていて、それはこれでしたということは言えないんですけど、その時その時でやりたいこと、芯を包んで表現してきたんだなってこの作品を聴いて自分で改めて感じました。年代順に並べた方が聴く人も聴きやすいかなと思いましたが、それだとなんだか腑に落ちなくて。ライヴのセットリストのような感じで並べたいと思いました。自分の心の流れから生み出される音の流れみたいなものを、せっかくのベスト盤なので表現しようと思いました。自分が好きな海外のアーティストのベスト盤ってどうなんだろうって思って、クイーンは『ボヘミアン・ラプソディ』が一曲目だったので、自分の中での代表曲のような存在から始めたらどうかなと思い『PANGEA』にしました。この曲でbrainchild’sの方向性が決まって軌道がなんとなく見えてきて、2曲目の『Brave new world』(2022年) で軌道に乗っている感じを繋げたかった。

そうやって作っていったらなんだかハマりが良くて、これはこれで一つのライヴというか、例えばbrainchild'sの歴史をライヴで辿るような感じのものにできたらなと思って、2枚分考えたらすごく納得いくものができました。参加してくれたメンバーやスタッフへの感謝の気持ちも込めて考えたので、たくさんの人に聴いて欲しいです」。

こだわりの27曲、その中でも特に思い入れが強い曲

こだわりにこだわって選んだ27曲。さらにここから特に思い入れが強い曲は?という難しい質問をぶつけてみた。

「色々な方向から選べるけど、やっぱり先ほども転機の話のところで出た『PANGEA』です。もちろん楽曲として本当に昔から好きな曲はたくさんあって、例えばKeita(現Keita The Newest)が歌っている『there』や『Umbrella Flower』は大好きだし、【7期】で最初に録った『Phase2』の衝撃は凄かった。エンジニアさんと『むちゃくちゃカッコいい!』って興奮したことを覚えています」。

この作品にはスタジオセッション音源もたっぷりと収録されていて、brainchild’sのバンドとしての充実ぶりを堪能できる。

「コロナ禍だからこそできたと思うスタジオライヴの配信は、実際やってみると音源よりもいいなと思うところがたくさんあったので、これは絶対こういうタイミングがあったら是非みなさんに観てもらいたい、聴いてもらいたいと思っていました」。

「“ホーム”はいくつあってもいい。そこが正義だし、そこが正解だと思ってやっている」

brainchild’sの活動とTHE YELLOW MONKEYの活動が重なった時期もある。菊地の中では両グループは切り離して考えてクリエイティブしているのだろうか。

「曲作りは完璧には切り離していないし、THE YELLOW MONKEYもホーム、brainchild’sもホーム、吉川晃司氏のサポートバンドもホームなんです。自分が携わっているものは、全部責任を持ってやりたい。いつもそう思ってやっているし、ホームがいくつあったっていい。そこが正義だし、そこが正解だと思っています」。

brainchild’sの15周年記念の東名阪ツアー『15th Anniversary brainchild’s nation』が11月23日愛知・名古屋ダイアモンドホールからスタートする。菊地の、そしてbrainchild’sの現在・過去・未来を体感できるライヴになる。

11月25日(土)大阪・なんばHATCH

12月3日(日)東京・豊洲PIT

brainchild’sオフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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