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ヒグチアイ「悪魔の子」が話題のSSWの矜持「常に100万人じゃなく10人に届ける気持ちで」

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
写真提供/ポニーキャニオン

アニメ『進撃の巨人The Final Season Part2』エンディングテーマ「悪魔の子」がヒット中

「悪魔の子」
「悪魔の子」

「お祭りを見てる感じですかね」――世界的大ヒットを記録しているアニメ『進撃の巨人The Final Season Part2』(NHK総合)のエンディングテーマ「悪魔の子」を、シンガー・ソングライター、ヒグチアイが担当するということが、ネットや新聞等で大きく取り上げられて間もない頃に、このインタビューを行なったが、本人はこの“大役”をどこか楽しんでいる様子だった。

1月に公開された「悪魔の子」のMUSIC VIDEO(MV)の“アニメスペシャルVer.”は1400万回再生を超え、3月2日に公開された、本人出演の同曲のオフィシャルMVも、早くも290万回再生を突破した(いずれも3月22日現在)。常に注目を集めるコンテンツの世界観に、大きく関わる音楽とどう対峙し、「悪魔の子」はできあがったのだろうか。プレッシャーを感じたことはあったのだろうか。

「『進撃の巨人』のファンに嫌われたくないし、SNSで叩かれたくないし、プレッシャーはありました。でも楽観的に作れた部分もあります」

「もちろんプレッシャーはありました。作品のファンに本当に嫌われたくないし(笑)、SNSとかで叩かれたくないし。何よりポニーキャニオンに移籍してからの、とても大きなお仕事だったと思うので、これでコケたら終わりだなって思って。人気があるアニメに私が曲を書き下ろす、という感覚で、もちろん世界的にも人気ということはわかっているつもりだったけど、ここまでということはわかっていなかったです。でもこんなことになるなんて…。プレッシャーはあったけど、もうちょっと楽観的に考えていたところがあったかもしれません」。

ヒグチの「悪魔の子」は『進撃の巨人』ファンから嫌われるどころか、「神曲」「今までのEDで一番好き」「言葉にできない。色々と考えさせられる」「泣いた」等、絶賛のコメントが寄せられている。この曲が完成するまで、アニメの制作サイドとはどのようなやりとりがあったのだろうか。

「まず弾き語りで4曲提出しました。その中に『悪魔の子』があって、イントロにあったメロディが、なんとなくオリエンタルな雰囲気だったので、そこを無国籍な感じにして欲しいということだけ言われました。歌詞も自分で書きたいことを好きなように書きました。なので、スムーズといえばスムーズにできあがった曲です」。

時を同じくしてヒグチは、約2年半ぶりとなる4thアルバム『最悪最愛』(3月2日発売)の制作に取り掛かっていた。このアルバムには『生きるとか死ぬとか父親とか』(テレビ東京系)のEDテーマ「縁」、昨年配信された“配信3部作”の「悲しい歌がある理由」「距離」「やめるなら今」など収録されているのが、その中で「悪魔の子」という曲が、ともすると異質な温度感のものになるという不安はなかったのだろうか。

「ありました。自分が今までやってきたことやアルバムに入る曲って、まず作品があっての音ではなく、ライヴを念頭に置いての音作りのようなことを考えながらやっていたので、ライヴで再現できないものを作るという部分で、アルバムにうまくハマらないのでは?という不安はありました。簡単に言えばアニソンの括りに入ってしまうので。でも何度か弾き語りで歌いましたが、悪くないと思うというか、自分が元々弾き語りで作っているからということもありますが、元々がこういう形だから、という気持ちではいられるので、あまり違和感はないです」。

この言葉を聞いて、質問を間違えたと思った。それはヒグチアイという一人の人間が描いたのだから、これまでの作品と「悪魔の子」の世界観、メッセージは、もちろん通底していて、異質な訳がない。

「だから例えばずっと聴いてくれているファンが、この『悪魔の子』よりも、今までの曲が好きと言っても、私的には同じ気持ちで描いてるんだけどなって思っていられるので、よかったです。全然別じゃないというか」。

レコード会社を移籍。環境の変化がクリエイティブにもたらしたもの

この『最悪最愛』は、ポニーキャニオンに移籍して初のアルバムになるが、その過程での環境の変化が、ヒグチのクリエイティブに大きく影響しているという。

「以前所属していたレーベルに、なんでも相談、話ができるスタッフがいて、その人と別れたことによって、自分で考えなければいけないことが増えたし、歌詞の作り方も含めてやり方も変わりました。それによって、じゃあ色々なことをもっと人に任せてみようとか、知らなくていいことは知らないままにしておこうとか、こだわりすぎてケンカになっていたところも、スタッフが変わったことで、いい意味で諦めみたいなものができた気がします。凝り固まっていた関係性が一回なくなったので、たくさん諦めることができたのが2021年でした」。

舞台を経験して「一番人に見せられるものがピアノを弾いている自分だとわかった」

その2021年、ヒグチは『シンフォニー音楽劇「蜜蜂と遠雷」~ひかりを聴け~』(中山優馬他)に出演。舞台初挑戦にして、ヒロイン・天才ピアニストの栄伝亜夜役を見事に演じ切った。元々舞台というものに対して消極的だったヒグチがなぜ出演しようと思い、そしてこの舞台で何を感じ、得たのだろうか。

「台詞とはいえ、自分が納得してないことを言うのがずっと嫌でした。俳優というのは、その台詞を言うためのキャラクターになるということだと思いますが、それが得意ではないことを知りました。演技に関してはど素人なので何を言われても構わないのですが、言葉に関してはこれまで音楽活動をやってきて、ある程度の自信があるので、ちょっとこれは言いたくないな、みたいな言葉もあって。あの時思ったのは、ピアノを弾くシーンが多かったので、ピアノを弾くってこんなに安心するんだなってことでした。ピアノだけは絶対に自分のことは裏切らないじゃないけど、一番人に見せられるものが、ピアノを弾いてる自分なんだってわかって、不思議な感覚でした。大変でしたけど(笑)。でも一度やってみて、もうやらなくてもいいかなと思っていましたが、最近、自分がヒグチアイを演じる必要があると思ってきて。それは色々なことが、なんとなく自分のキャパ以上のものになってきているというか、自分がやりたいこと以上のことというか。そういう時には何か演じないと無理だなって思いました。そういう意味ではまた舞台で感覚を掴んでみたいというのは思いました」。

「嫌だなとか、憎らしいとか思っても、こんな気持ちなかなか味わえないしなって思えるタイプなんです。だからやったことがないものはやらないという判断は、今後もないと思います」。

「100万人の心を動かして、何かを変えようとか、みんなの気持ちをひとつしようとは思っていない」

そんなヒグチの歌詞は、真っ当に自身の胸の内を曝け出し、嘘がない。日常の風景や、そこに存在し生活する人々の心情を独特の視点で捉え、切り取り、どの作品も短編小説を読んだような“読後感”がある。その言葉たちをピアノの音がより陰影をつけ、まっすぐなアルトボイスが“ひとつ残らず”聴き手の胸に運ぶ。

「私ができることは100万人の心を動かして、何か変えようとか、みんなの気持ちをひとつにしようとかではなく、10人くらいの前で話をしている感じ、という感覚はずっと変わらないです。だから例えばコロナに対してどうこう言うのは、100万人に伝えることができる声の大きさを持っている人にお願いして、私はもっと生活の中での毎日1分とか10分とかの話というか。そこに必要な言葉は、大きな言葉ではないと思います。そういう意味で言うと1対1の方がいいし、1対1の曲を作りたいです」。

「エゴサはすごくします。でも自分の曲に関しては、自分の答えが正しいので、人に何か言われても、私はこうなのでと、強く思ってしまいます」

エゴサでの曲についての反応が気になるという。SNSで色々な価値観を嫌でも目にする日常の中、飛び交う価値観に翻弄されそうになることもあるが、彼女も一瞬気持ちが揺らぐこともあるというが、でも1対1の歌詞だからこそ、その信念は揺るがない。

「自分が傷つくのは別に構わないというか、そりゃ嫌われたくないし傷つきたくないんですけど、でも本当に自分の曲に関しては、自分の答えが正しいので、人に何か言われても、これは私がこう思ってることでって強く思ってしまいます。私は女に生まれ、男性にしか恋愛感情が湧かないタイプだし、重いものを持っていたら男の人が持ってくれたら嬉しいなって思うタイプだし、だけど女として働いて生きていきたいしとか、自分の中でジェンダーレスとかもそうだし、フェミニストとかそういう色々な言葉の中で、自分の役割とか自分というものを見つけているので、それに対して色々言われても私はこうなので、という部分が結構しっかりあります。あまり時代のこととか、世の中のことは考えず、好きに曲を書いていけそうな気がしていて」。

「好きだけど嫌いという“矛盾”が含まれている曲が多いので『最悪最愛』」

『最悪最愛』というアルバムは、“矛盾”を巡る旅のアルバムでもある。タイトルがそれを表している。「悪い女」の歌詞からこの気になるワードは浮かび上がってきた。

④thアルバム『最悪最愛』(3月2日発売/通常盤)
④thアルバム『最悪最愛』(3月2日発売/通常盤)

「歌詞を並べて、<最悪>と<最愛>という言葉が出てきて、アルバム全体を見ても、好きだけど嫌いっていう“矛盾”が含まれている曲が多かったのでタイトルにしました。ここは好きなんだけどここは嫌い、という感じ方が人間らしいなと思います」。

「生きていく中でのご褒美で、音楽をやっているという感覚」

4月からはこのアルバムを引っ提げた全国ツアーが始まる。今年は精力的にライヴを行ない、1対1で伝えに行く。この他に今年は絶対やりたいことがあると教えてくれた。

「5~6月くらいに北海道の知床半島の羅臼という町に、絶対シャチを見に行きたく。野生のシャチを間近で見れるんですよ。去年は特に仕事で新しいことにたくさんチャレンジしたし、曲もいっぱい書いたので、ちょっとプライベートな時間が少なくて人生が豊かじゃなくなってきたって感じていて。自分の中の燃料のようなものが減ってきていて、音楽をやるために生きているわけではないし、生きていく方が大切なので。それもギリギリで生きるのではなく、心を豊かにして楽しく生きていきたいです。生きていく中でのご褒美で、音楽をやっているという感覚なんです」。

ヒグチアイ オフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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