Yahoo!ニュース

錦織一清、“今”を語る<後編>「FC、SNSは錦織って何者?ということをわかってもらうチャンス」

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
写真提供/THECOO

2020年末でジャニーズ事務所を退所した少年隊・錦織一清が、コミュニティ型ファンクラブ「Fanicon(ファニコン)」で、公式FC『Uncle Cinnamon Club(アンクルシナモンクラブ)』を4月29日に開設。<前編>では、錦織を“作った”ともいえる恩人、ジャニー喜多川、つかこうへいというエンタメ界の巨人から受けた影響についてを中心に、語ってくれた。<後編>では設立したファンクラブ『Uncle Cinnamon Club』に込めた思いを、たっぷりと聞かせてもらった。

つかこうへいの言葉に刺激され、意地になって演出家を目指した!?

エンターテイナーであり、プロデューサーでもある。表舞台に立つ人であり、裏方として表舞台に立つ人を輝かせる役割を担う人でもある。“表現者”としての全てが備わっている――錦織を見ているとそんな気がしてならない。

「人間関係が下手というか、人間ができていないんです。つかさんの作品のセリフで『私は有名な俳優の〇〇と申します。有名なんですか? はい。 芝居上手いんですか? はい。 芝居はできますが人生ができません』というのがあって、もうそれが最高で。つかさんは『役者というのは、何もできない奴がやるもので、頭がよかったらみんな医者とかパイロットになるだろ、そうじゃないやつがみんな役者になるんだ』って言うから、悔しいから僕は演出家になったんです(笑)。役者だけやってたいら、ずっとバカって言われるし、何もできないと思われるんだなって思って。そこはちょっと意地になって演出家になったという部分はあります(笑)」。

錦織にとっての“デジタル元年”

そんな錦織が、ファンと近い距離でコミュニケーションを取るべく、ファンクラブ『Uncle Cinnamon Club』を開設し、注目を集めている。Twitterもスタートさせるなど、錦織にとっての“デジタル元年”とでもいうべき今年、これまでやってこなかったことにどんどんチャレンジし、楽しもうとしている。

「ノーナ・リーヴスの西寺郷太くんと舞台を何本かやって親交があり、そんな中で彼は、僕がSNSが全くダメということを知っていたので、これを機会に始めましょうって背中を押してくれました。やっぱり長年所属していた事務所が事務所だから(笑)、僕たちはネットへの露出がご法度だったこともあって、ネットへはほぼ接触していなかったに等しいんです。お陰で変なエロサイトから架空請求が来ない(笑)」。

「これから“本当の”錦織一清を知って欲しい」

SNSそしてファンクラブを通して「本当の自分」を知ってもらういい機会だという。これまでインタビューや囲み取材では、相手を楽しませようとギャグを言ったり、リップサービスで面白いことを言い続け、ダンスも歌も超一流の面白い人というのが、錦織のパブリックイメージになっていると思う。だからその“本音”がなかなか伝わってこないというジレンマが、本人にもファンにもあった。

「これまで、ファンの方達はオフィシャル的なインタビューからの情報で、僕らの人間像を作り上げていたわけです。僕の中では若い頃から歌番組に出ている自分と、ラジオの深夜放送でエロネタをしゃべっている自分と、そこのギャップも自分の中で楽しもうと思ってやっていましたが、そういうことがなかなか浸透していかない時代でした。でもこれからやっと、いいのか悪いのかわかりませんが錦織って何者?ということをわかってもらえるチャンスだなと思って、色々と始めてみました。少年隊としてインタビューを受ける時も、インタビュアーの方は僕があまりまじめにしゃべることを求めていなくて、だから囲み取材でも、いつも冗談ばかり言っていたので、毎回『それ本当の話ですか?』って聞かれて、いつも『嘘です』って言うんですよ。『なんでそうやっていつも嘘ばっかり言われるんですか?』って言われて、『いまだかつて僕はテレビで本当のことを言ったことはありません』って(笑)。TwitterとかSNSのほうが、本当のことを言えるなって思っています」。

「FCのテーマは“大人の放課後”。夢の中でいつも学校にいるんです」

「Uncle Cinnamon Club」は“大人の放課後”がテーマだ。そこには錦織の変わらない“思い”が込められている。

「“放課後”という言葉が好きで、僕の夢は体育の先生になることだったのに、タレントになってしまって。だから時々夢を見るんです。でもその夢に出てくるのは子供の頃の自分ではなく、年齢は今と同じくらいで、でも必ず学校にいるんです。多分サラリーマンの経験がないから、オフィスビルではなく学校なのかなって。教師になりたかったので、自分の中では学校が職場なんだと思います。とにかく夢の中ではいつも学校にいるんです。やっぱり学校が好きだったんでしょうね。僕らの世代は親が共働きの家が多かったので、とにかく学校にいる時間が長かったし、学校が終わっても友達といないと寂しさが紛れない。僕の中で放課後というのは、みんなで駄菓子屋に集合したり、いつも友達といた放課後なんです。今でも居酒屋とか屋外で飲むのが好きなのは、当時、学校から一度家に帰ってもまたすぐに、駄菓子屋に集まりたいって思っていたからだと思います。僕は鍵っ子だったので、学校から帰ってもお帰りなさいって言われことが一度もなかったし、ただいまって言ったこともないし、だから駄菓子屋はそういう寂しがり屋の集まりでした。なので居酒屋は大人の駄菓子屋だと思っています(笑)」。

「今度は僕がファンの人達にお返しする番」

『Uncle Cinnamon Club』では、これまでやりたくてもできなかったことをファンとやってみたいと、そのアイディアはどんどん膨らむ。

「普通のファンクラブのような感じではなく、もうちょっと寄り添いたいという気持ちが強くて。ネットのお陰でみなさんと相互関係になっていると思うので、本当の姿を発信したい。僕らは昭和時代のタレントなので、いつも情報発信はワンウェイでした。アイドル雑誌にもよく出させていただいていましたが、その時は歌を歌っている時の写真ではなく、いわゆる僕らの休日という設定が多くて、僕なんか一度もペットを飼ったことがないのに、犬を散歩しているシーンとか撮っていましたから(笑)。誰の犬なんだって(笑)。でもそういうことが今度はSNSでアップされるので、嘘がないです。それから、例えば飲食業や色々な業種の方が、お客さんに還元するという志があるじゃないですか。僕も、お返ししなければいけない方がいるよなってずっと思っていました。この前スタッフと打合せをしている時に、“謝恩会”という言葉が出てきて。コロナ禍では色々難しいけど、本当だったら皆さんに集まっていただいて、例えば僕がお酒を注いで各テーブルを回って挨拶をする、そういう些細なことしかできないかもしれないけど、今はそれさえもできない状況です。でもそういうことを今度は僕がファンの方にやる番だし、やらなければいけないと思っています。この『Uncle Cinnamon Club』では、色々模索しながらやれたら面白いなって。もちろん僕がつまらなかったらすぐやめちゃうんですけどね(笑)」。

「少年隊の曲の中では『The longest night』がすごく好き」

1985年、少年隊は『仮面舞踏会』でCDデビューした。いわずとしれた筒美京平の名作だ。編曲家・船山基紀が作りあげた名イントロは、一度聴くと忘れられない。色々な作家陣が様々な音楽性を感じさせてくれる楽曲を少年隊に提供し、圧巻のボーカルとダンスで表現した。数ある楽曲の中で、錦織の“推し曲”を教えてもらった。

「デビュー曲が筒美京平さんという贅沢さで、それ以降も筒美さんにはたくさん書いていただきました。『仮面舞踏会』ほか、多くの作品でアレンジをしてくださった船山基紀さんも恩人です。『仮面舞踏会』のあのイントロがなかったら、僕らはいないです。色々歌ってきましたがその中で『The longest night』(アルバム『Prism』(1999年)に収録)という曲が、すごく好きで。最初はピンと来なかったのですが、あのゴージャス感というかラグジュアリーな感じが、当時30代だった僕らがこれから歌うべき歌なんだって強く思ったことを覚えています。この曲は『PLAYZONE FINAL』(2008年)でポイントになった曲で、ジャニーさんが求めている曲ってずっと変わらなくて、オープニングにもアンコールにも使える曲なんです。そういう曲じゃないと納得してもらえませんでした」。

【錦織一清 生誕配信開催決定】

『Uncle Cinnamon Club』内で、5月21日(金)23時30分〜5月22日(土)0時30分 配信予定。※アーカイブあり

【期間限定入会特典】

5月31日(月)までにご入会の方全員に、「Uncle Cinnamon Clubオリジナルノート」をプレゼント

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

田中久勝の最近の記事