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平成音楽シーンを3分で振り返る J-POPという言葉と、“ヒット曲という名の音楽”が生まれた時代

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
(GYRO PHOTOGRAPHY/アフロ)

CDの登場から「CDバブル」へ。タイアップ全盛で、音楽がさらにお茶の間へ

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「先週は4ケタバックが続きました」「昨日は5ケタバックでした!」、編集部を訪れるレコード会社各社の宣伝マンは、そうCDの追加発注の好調さを、興奮気味に語ってくれた――私は1993(平成5)年から、CDのヒットチャートを発信する会社の、音楽業界誌の編集部員として働いていた。ちなみにこの年の年間ランキングは、1位のCHAGE&ASKAの「YAH YAH YAH/夢の番人」の240万枚超えを筆頭に、ベスト10内のアーティストが全て100万枚超えという、平成2年から始まった「CDバブル」がまだ続いていた。1988年に8センチCDが発売されて、その音質と使い勝手のよさも手伝って、マーケットが急拡大。当時、200万枚、300万枚という数字をどう捉えればいいのだろうかと、大手レコードチェーン店の方に話を聞いた時、「一家に1枚ではなく、4人家族なら4人ともが所有している、つまり一家に4枚という状況から生まれるものなんです」と教えてもらったことがある。これだけが理由ではないと思うが、なるほど、テレビも各部屋に一台ずつある状況と同じだ。ドラマ主題歌、CMなどのいわゆるタイアップソングがユーザーの耳に留まった。それぞれが魅力を引き立て合い、テレビを通して、お茶の間に深く浸透していった。この「CDバブル」は2001年にiTunes、オーディオプレーヤーiPodが登場したり、MP3が普及したことなど、聴く環境が新しくなってきたことで、終わりに向かう。

“J-POP”と「ビーイング」と「渋谷系」と

J-WAVE発信といわれている、「J-POP」という言葉が世の中に浸透してきたのも、ちょうどこの頃だったと記憶している。フォークにロックやAORの要素を加えた「ニューミュージック」と呼ばれていた音楽が、74年~84年頃に全盛を迎えていた。そのニューミュージックも含めて、80年代後半以降に発表されたポップスの総称として、「J-POP」という言葉が使われるようになり、一般的になってきた。タイアップ、J-POPという言葉が一番ハマったのは、個人的にはプロデューサー・長門大幸氏率いる「ビーイング」所属の、B'z、ZARD、T-BOLAN、大黒摩季、WANDS、DEEN他などの一連のヒット曲だと思う。ビーイングのアーティストは、メディアにはほとんど登場せず、本当に存在するのかという噂が立つほどの神秘性を保つことが、結果的に、ユーザーの飢餓感を煽った。テレビ番組やCMなどから次々と流れてくる、その緻密に構成された楽曲は、一度聴くと耳から離れないメロディと、個性的な歌声が印象的で、ユーザーの心をつかんだ。

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J-POP=“日本のポップス”という解釈でいうと、はっぴいえんどやシュガーべイブなどから連なる日本のポップスをルーツに持つフリッパーズ・ギター、ピチカート・ファイヴ、小沢健二といった“渋谷系”と呼ばれるアーティストが生み出したポップスも、若者から圧倒的な支持を得た。YouTubeの登場や、SpotifyやApple Musicなどのストリーミングサービスが一般的になり、今J-POPは海外のリスナーから高い評価を得ている。竹内まりやの「PLASTIC LOVE」がYouTubeでの再生回数が2000万回を超えたり、海外からアナログ盤を求めて日本にやってくる旅行者が増えたり、海外の音楽をお手本にして醸成されてきたJ-POPが、平成の終わりを迎える時、日本独自のポップスとして海外から高く評価されている。

平成の音楽シーンに、小室哲哉が与えた衝撃。小室に衝撃を与えた宇多田ヒカルの登場

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時代は少々前後するが、小室哲哉の「歌って踊れる」音楽も時代を変えた。バンドブームを経て、80年代後半から90年代にかけてチャートを席捲したのは、安室奈美恵、trf、華原朋美、鈴木亜美、そしてglobeなど、いわゆる“TKファミリー”と呼ばれる、小室プロデュースのアーティスト達だった。その小室に引導を渡したのは、宇多田ヒカルの登場だったと、自身が語っている。宇多田がデビューした1998年は、浜崎あゆみ、椎名林檎、MISIA、aikoという、その後登場するアーティスト達に、多大な影響を与えた女性アーティストのデビューが重なった、奇跡の年だったといえる。宇多田の1stアルバム『First Love』は初動で200万枚を売り上げ、累積では700万枚超えという日本最高記録を叩き出し、平成音楽史最大のトピックスだろう。では、平成を代表する一曲というと何を挙げるだろうか。先日、新元号が発表された際、安倍首相のコメントにも登場した、SMAPの「世界に一つだけの花」(作詞・曲 槇原敬之)を挙げる人も多いのではないだろうか。2003年にシングルカットされたこの作品は、初動で200万枚を売り上げ、2016年に同グループが解散を発表すると再び売れ始め、結果的に300万枚を超えるビッグヒットになった。<NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one>という歌詞が、老若男女問わず支持された。

デジタルネイティブ世代が、新しい音楽を世界に発信する時代

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物心ついたころから、SNS、動画配信サイトなどコミュニケーションツールが身近に存在する、そんなデジタルネイティブ世代が、自身の音楽や創作物をどんどん発信する時代になっている。そんな中から米津玄師に代表されるように、セルフプロデュース能力、マーケティング嗅覚に優れた表現者が、どんどん登場し、日本の音楽シーンは新たな才能がしのぎを削る、華やかな時代を迎えている。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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