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数々のテレビドラマ主題歌・テーマ曲を手がけた“劇伴の達人”、作曲家・坂田晃一の仕事の流儀

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
「劇伴は消費される音楽である」(ペイレスイメージズ/アフロ)
『坂田晃一/テレビドラマ・テーマトラックス2』(11月14日発売)
『坂田晃一/テレビドラマ・テーマトラックス2』(11月14日発売)

1970~80年代を中心に、テレビドラマ主題歌、テーマ曲といえばこの人と言われていた、ヒットメーカー、作曲家・坂田晃一。2012年にリリースされ、ロングセラーを続けている『坂田晃一/テレビドラマ・テーマトラックス』に続く、作品集第2弾『~2』が、11月14日に発売された。坂田の代表作の一部を紹介すると、ビリー・バンバン「さよならをするために」(1972年)、西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」(1981年)、映画『コクリコ坂から』(2011年)での手島葵によるカバーでも知られる森山良子「さよならの夏」(1976年)、さらに、杉田かおる「鳥の詩」(1981年)といったヒット曲。さらに最高視聴率62.9%という、テレビドラマの最高視聴率記録を打ち立てたドラマ『おしん』(1983年)、大河ドラマ『おんな太閤記』(1981年)、『いのち』(1986年)、『春日局』(1989年)、そして昭和~平成を代表する長寿ドラマ『家政婦は見た!』(主演:市原悦子)などの音楽など、枚挙にいとまがない。

「劇伴は消費される音楽である」

前作は主題歌、挿入歌を中心に、すべて歌ものの楽曲を集めた作品集だったが、今回は坂田が得意とする、美しいオーケストレーションが印象的なインストゥルメンタル曲も、多く収録されている。ドラマ音楽の達人・坂田に、ヒット曲を作る秘密、ドラマ主題歌の過去と現在などを聞かせてもらった。

1970年代、坂田がドラマの音楽を手がけないクールはなかった。それほど忙しく、量産していた。坂田は「劇伴は消費される音楽である」という。

「(山本)直純先生(作曲家・指揮者)に弟子入りして、アシスタント時代に、先生の仕事ぶりを見ていて、ドラマや映画の音楽は消費されて、次々と消えていくものという捉え方でした。映画も当時、2本立てで公開されることが多くて、そういうペースで製作されていた時代なので、音楽も量産態勢で作り、映画の製作サイドに渡してしまえばそれで終わり、という感じでした。直純先生が言っていたのが、「自分が作った音楽は、覚えてちゃだめだ」ということでした。忘れないと次の作品を作れないと。確かにそうで、自分の気に入ったメロディがあれば、それを妙に引きずったり、イメージしたりして、似たものを作ってしまうこともあります。単発ドラマに関しては一度観ると、二度と観る事はないので、そこで消費されてしまい、連続ドラマは1クールの間は、みなさんに親しんでもらえますが、自分で作ったけれど、自分の中で消化して忘れて、また次の作品を作るという意味でも、やっぱり劇伴は消費されるものだと思います」。

当時はとにかく忙しかった。「だからこそ、音楽を作ったさきから忘れるようにして、頭の中をリセットする必要があった。連ドラと単発ドラマの仕事が重なることもよくあって、仕事の質が違うので、当然頭の中のスイッチの切り替えが必要でした。それができるのがプロだと思います」。

「いつもメロディから先に考えていたが、詞の世界からメロディを導き出せるのではと考え、詞を先にお願いし、快く受けてくださったのが阿久悠先生で、それが「もしもピアノが弾けたなら」になった」

坂田がドラマの音楽を作るときは、台本を読み、映像を観て、第一印象を元に制作を始めるのではなく、世界観を完全にイメージできてから、それを俯瞰で見て、曲作りに入るという。

西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」(作詞:阿久悠 作曲:坂田晃一/1981年)
西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」(作詞:阿久悠 作曲:坂田晃一/1981年)

「主題歌のメロディを劇中の音楽として、ドラマの中で様々なバリエーションで多用したいと思っているので、まずそのメロディを考えて、そこに詞をつけて、主題歌になっていました。それを何年かやっていくうちに、あるドラマの音楽のお話をいただいて、今までとは違うメロディを作りたいと思い、詞が先にあると、詞の世界からメロディを導き出せるのではと思って、詞を先にいただきたいとお願いして、それを快く受けてくださったのが、阿久悠先生で、「もしもピアノが弾けたなら」が生まれました」。

『坂田晃一/テレビドラマ・テーマトラックス』(2012年)
『坂田晃一/テレビドラマ・テーマトラックス』(2012年)

「もしも~」はドラマ『池中玄太80キロ(2)』(主演:西田敏行/日本テレビ系)の主題歌で、このドラマからは杉田かおるが歌う「鳥の詩」というヒット曲も生まれている。これも坂田の手によるもので、両曲とも『坂田晃一/テレビドラマ・テーマトラックス』に収録されている。70年代~80年代は、ドラマと音楽がひとつになって伝わってきた時代だった。もちろん90年代、2000年代になってもそういうドラマはあったが、少なくなっている。

「ドラマ主題歌の在り方が変わり、質も変わってきた」

レコード、あるいはCDを売るために、タイアップとして主題歌を作るようになって、そのアーティストの既存の曲を、主題歌にする場合もあったようです。今もあるかもしれませんが。制作サイドが、主題歌というものを大切にしていないと思ってしまいます。制作費の問題等、色々あったかのもしれません。でもドラマ本来の作り方ではないし、70年代のドラマは、ドラマが始まると主題歌なりテーマ音楽が、オープニングで聴こえてきて、クレジットが入ってくるという作りでした。でも時代が進んでいくと、アバンタイトルといって、ドラマが始まって、5~10分くらい経ってから主題歌、テーマ音楽が流れるようになりました。これが『池中玄太80キロ』でした。80年代まではそういう作り方のドラマが多かったと思います。音楽がドラマの内容を提示する感じでした。それがいつからか、アメリカ映画の影響でしょうか、連ドラでも単発ドラマでも、ドラマが終わってから、主題歌が流れるようになりました。人によってはドラマが終わったらチャンネルを変えてしまいます。よほどいいドラマだったら、主題歌を聴くことで、より印象的になると思いますが、そういう使われ方だと、あまり主題歌としての意味合いを持たないと思います。主題歌の在り方が変わり、質も変わってきたのではないでしょうか。結果的にドラマの質を下げることになっているともいえます。音楽を作る側の人間としては、そう思ってしまいます。でも僕は、運よく視聴率がいいドラマばかりやらせてもらっていました(笑)」。

「映画音楽が大好きで、今でも色々な映画を観ますが、『シン・ゴジラ』の音楽は素晴らしい」

依頼が殺到するのは、坂田のアイディアの引き出しの多さが、発注側からは魅力的だったはずだ。映画音楽をこよなく愛し、影響を受け、師匠である山本直純が作り出す音楽を近くで聴き、刺激を受け、引き出しにしていった。

「直純先生から引き出しをたくさん作れと教えられました。昔は打合せして2日後にレコーディングということもよくありました。一番忙しかった時は、20代の時、あるヤクザ映画の音楽を担当することになり、ラッシュを朝9時から観て、そのあと監督と音楽の打合せをして、台本を持って帰って20曲作り、次の日の朝9時からレコーディングということもありました。自分でもよくできたと思います(笑)。それは色々な引き出しがあったからこそできたのだと思っています。多感な時期に聴いていた音楽がベースにあるのは間違いありません。中学に入ってクラシック音楽を聴きはじめ、当時はラジオからも、喫茶店でも映画音楽がよく流れていて、好きで聴いていました。最近の映画音楽では、『シン・ゴジラ』(音楽:鷺巣詩郎、伊福部昭/2016年)が秀逸でした。あの音楽で、映画のテーマをきちんと提示しているところがあって、素晴らしかったです」。

“うまい”歌手とは?「言葉が伝わる、詞の意味が伝わる、気持ちが伝わる、そういう歌い方ができる歌手」

作曲家・坂田晃一が作った作品を、これまで多くの歌手が歌ってきた。では坂田にとって「うまい歌手」とは、どういう歌手のことをいうのだろうか?

「主題歌や挿入歌を歌ってもらって、僕がうまいなあと思う歌手は、例えば賞レースの歌唱賞を獲る人のような、テクニックが目立つ歌い方ではないんです。言葉が伝わる、詞の意味が伝わる、気持ちが伝わる、そういう歌い方ができる歌手が、僕にとってはうまい歌手です」。

「「目覚めた時には晴れていた」は、自分にとっては注目される主題歌の第1号。忘れられない一曲」

最後に、膨大な作品の中からセレクトして生まれたのが今回の『坂田晃一/テレビドラマ・テーマトラックス2』だが、その中でも特に印象に残る作品を聞いてみた。

坂田晃一(Photo/野瀬勝一)
坂田晃一(Photo/野瀬勝一)

「やっぱり赤い鳥が歌った「目覚めた時には晴れていた」です。この曲はドラマ『2丁目3番地』(1971年)の主題歌で、レコード化されると思ったらされなくて、今回47年ぶりに商品化されました。僕にとっては注目される主題歌の第1号になった作品なので、忘れられません。前作に収録しようと思ったら、その時はマスターテープが見つからなくて断念して、今年奇跡的に発見されて、ようやく陽の目を見ることになりました」。

「otonano」『坂田晃一/テレビドラマ・テーマトラックス』特設サイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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