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歌手、ミュージシャンと制作者の"熱狂"が伝わってくる、“純”音楽番組とは?

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
左から前田憲男、マリーン、阿川泰子、伊東ゆかり、布施明、服部克久

『Sound Inn "S"』の前身は、1974年から81年までTBSで放送されていた、ミュージックショウ『サウンド・イン"S"』

「『Sound Inn "S"』の収録を観に来ませんか?」――ある日、TBSで『A-Studio』や『輝く!日本レコード大賞』、クリスマス恒例の小田和正がホスト役務める音楽番組『クリスマスの約束』を、長年手がけている同局の、服部英司プロデューサーからお誘いを受けた。この日は恒例の『Sound Inn "S"~クリスマス1時間スペシャル』(12月23日19時~)の収録で、伊東ゆかり、布施明、阿川泰子、マリーンという、昭和の音楽シーンを彩った名シンガー達が揃い、さらに前田憲男、服部克久、斎藤ネコという日本を代表する巨匠、名アレンジャーがサウンドを紡ぐという超豪華ラインナップ。こんな豪華な顔ぶれと音楽を目の当たりにする機会は滅多にないという事で、11月のある日、収録が行われている都内某スタジオにお邪魔した。

様々なジャンル、世代のアーティストが出演し、アレンジャーと生バンドと極上の音楽を作り上げる

『サウンド・イン"S"』(当時)は、1974年から1981年までTBSで放送されていた音楽番組で、2014年にBS-TBSでスペシャルとして復活を果たし、2015年からは“完全復活”。毎月第3土曜日の23時からオンエアされている、今、最も“純粋”な音楽番組だ。これまで鈴木雅之、TRICERATOPS、昆夏美、三浦大知、miwa、石崎ひゅーい、宮澤エマ、新妻聖子、大原櫻子、上白石萌音他、様々なジャンルの様々なアーティストが出演している。この日は12月23日にオンエアされる、クリスマス1時間スペシャルの収録で、当時出演していたメンバーが集結しての、まさに一夜限りの贅沢なプログラムだ。

スタジオに入るとリズムセクション6人、ストリングス16人、ホーンセクション12人というまさにビッグバンドが音合わせをしていた。当然売れっ子、腕利きのミュージシャンが大集合し、ひとたび演奏が始まると、その極上のサウンドと極上の歌声に、ただただ聴き入ってしまった。曲によってバンドの編成を変えながら、とにかく一音一音にこだわり、丁寧に音を紡いでいっているのが伝わってくる。それが、この番組が、他の音楽番組にはない最大のストロングポイントだ。

「ゴージャスな音を作る事ができ、聴き手はいい意味で、素晴らしい"虚構"を楽しむ事ができる番組」(服部克久)

服部克久
服部克久

この番組について編曲家の服部克久氏は「今は映画もテレビも全体的に予算の枠が減ってきて、ゴージャスな音楽が作れなくなりました。でもこの番組はゴージャスな音を作る事ができる。若い人はこういう音、音楽があるんだという新しい発見があると思う。僕らは昔からやっているから当り前の音なんですけどね(笑)。やっぱり昔の方がいい意味での“虚構”が強かったです。自分の周りにない事、ものを歌ってくれ、それを作り手が演出して、聴いている人がその斬新さや珍しさを感じて、いいなと思える“虚構”の素晴らしさがあった。この番組はそういう“虚構”を作り上げているともいえます。プロが時間をかけて作り上げる、こういう音楽番組も少なくなりました。歌手は出る番組はあっても、実力が発揮できていない気がします。それは本気で歌って演奏しても、本気で聴いてくれる人が少なくなったともいえると思う。この番組はできれば毎週やって欲しいくらい。でもスポンサーのセイコーさんが大変だけど(笑)」と、こういう時代だからこそ、音楽番組の原点のようなこの番組が求められていると、貴重な声を聞かせてくれた。

「"音楽的である"事、"この番組でしか聴けない音楽を提供する"事が、番組のコンセプト」(TBS服部氏)

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『Sound Inn "S"』は当時から日本が世界に誇る時計ブランド・セイコーの一社提供だ。今回の復活もセイコーサイドからの打診がきっかけだったという。「セイコーさんが、この番組を復活させたいとずっと言ってくださっていて、その機が熟したのが2014年でした。ただ、当時のように予算も時間もそこまでかけられない状況の中で、とにかく“音楽的である”という事だけは踏襲しようと思いました。それとこの番組でしか聴けない音楽を提供する、この2点を復活させるにあたって大きな柱にしました。そして30分間、音楽だけでという事を考えた結果、リハーサルからカメラを回して、リハーサルから本番に向かっていく過程を、曲への前振りにするという演出です。そうする事で観ている人が、聴いた事がない曲でも、少しは興味を持ってもらえるかなと思いました。理想はアーティストとアレンジャーの掛けあいがもっとあると、音楽ってダイナミックで面白いなと思ってもらえると思いますが、誤算だったのは、ミュージシャンがうますぎて、どんな曲もすぐにできてしまうところです(笑)」(TBS服部氏)。

「作り手の"熱狂”が必要。愚直に音楽を追求するこの番組は貴重」(前田)

前田憲男
前田憲男

そう服部氏が教えてくれたように、最高の音楽が生まれる、生み出そうとしている過程までを観せ、その熱を視聴者に届けている。超一流のアレンジャー、ミュージシャン、そして歌い手のセッションから生まれる最高の瞬間と、作り手の情熱とが相まって、観ている側へ大きな感動を届ける事ができている。1974年当時、この番組の音楽監督を務めていた、作・編曲家であり、日本代表するジャズミュージシャンの一人、前田憲男氏は当時を懐かしみつつも、番組作りに最も必要な事を教えてくれた。「当時はTBSの渡辺正文というプロデューサーの個人的な趣味でやっていた番組で(笑)、彼が、当時アメリカで人気だったフランク・シナトラやディーン・マーチンがやっていた音楽ショウを、そのまま日本でもやりたいと思い、始めたもの。だからビッグバンドじゃなきゃいけなかったし、誰かが「もっと他にこういうやり方もありますよ」と言っても、彼は全然聞く耳を持たなかった(笑)。でもそういう個人的な思いが詰まった番組だからよかったんだと思う。間口を広げてみなさんに愛されるものを、という考え方じゃなかったからよかった。そういう番組の方が熱がこもっている。今は音楽がジャンルが細分化されて、専門家の僕でさえわからないくらい広がってきていて(笑)、だから音楽番組も難しくなってきたね。そんな中でこの『Sound Inn "S"』のように、愚直に音楽を追求する番組は貴重だし、逆に気に入ってもらえるチャンスだと思うよ」。

「制作サイドの音楽への愛、楽器への理解などが、この番組のクオリティの高さにつながっている」(斎藤)

斎藤ネコ
斎藤ネコ

やはり制作サイドの、音楽への愛情、アーティスト、ミュージシャン、アレンジャーへのリスペクトとそれぞれが作り出す音楽への造詣の深さ、そういうものが情熱となって視聴者に伝わる。正論すぎるかもしれないが、そういう“気概”は必要だ。この日出演していた、椎名林檎をはじめ、数多くのアーティストを手がける作・編曲家でありバイオリニストの斎藤ネコ氏も「この番組は服部プロデューサーの音楽愛が全てだと思います。発注にきちんと意図があって、楽器の事までよくわかってくれていて打合せをするので、自ずといいものができあがります。昔は生演奏が当たり前だったので、ディレクターにもスコアを読める人がいて、理解できたうえで打合せをしていました。でも打ち込みが出てきてからはそれがなくなり、でも成立してしまうので、そのやり方が今の主流になっています。トラックをバックに、画を見せる事がメインになっていて、一方でこの番組がやっているように、“ちゃんと聴かせる”という当たり前でオーソドックスな事が正しいのか、どちらかが正しいのかは言えないと思いますが…」と、語ってくれた。もちろん時代の流れや“気分”、業界の流れも番組作りに大きく影響しているので、何が正解かは言えないが、作り手の“熱狂”こそ最も重要なのかもしれない。「当時の番組作りは、乱暴な言い方をすると、時代が時代なので、先例がない事もありますが、成功しようが失敗しようが、自分がいいと思い、信じて真っ直ぐ突き進んでいく事ができたので、圧倒的なものがたくさん生まれてきた気がします。今のように“絶対に負けられない戦い”の状態が続いている中では(笑)、番組を作っているとどうして保険をかけたくなるし、そうするとだんだん角が取れてきて、似たような番組が増えてくるのだと思います」(TBS服部氏)。

「最初は"ハイカロリー”な番組と思われ、アーティストのブッキングが難航した。でも今は「出たい」と言ってもらえ、「楽しかった」と言ってくれるようになった」(TBS服部氏)

「歌い手はこの番組に出ると、新しい課題を与えられ、でもそれによって新しい一面を引き出される。成長につながるはず」(斎藤)

いい番組を作ろうと思うと、当然歌い手へ負担も大きくなる。この番組も、2015年にレギュラー化されてしばらくは、ブッキングに困った事もあったという。「最初は大変でした。自分の曲をアレンジされたり、持ち歌ではないものを歌わされたり、「ハイカロリーですね」と言われていました(笑)。でも放送から一年経った頃から、「出たい」と言っていただけるアーティストが増えてきました。一回出演した方も「もう一回出たい」と言ってくれます。みなさん、「楽しかった」と言ってくださるので、それがもっと色々なアーティストに広がっていって欲しいです。特に若いアーティストの方には、この番組をきっかけに、色々な音楽にもっと貪欲なって欲しいですし、あのミュージシャンと仕事がしたいとか、あのアレンジャーさんに作ってもらいたいとか、そういう感じ方をして欲しいです」(TBS服部氏)。斎藤氏も「歌い手さんはこの番組に出ると、新しい課題を与えられて、しかも生バンドの演奏で歌うので、また新しい一面が出てきます。それぞれのフィールドで表現していたもの以外で、元々持っていた素養だと思いますが、生バンドをバックに歌う事で、それが出てくる瞬間を何度も経験しました。こういう番組で歌う事が、成長にもつながると思います」と、一流のアレンジャー、ミュージシャン、スタッフとディスカッション、セッションし、現場で歌い、そこから得るものの大きさを説いている。

『Sound Inn
『Sound Inn"S"~クリスマス1時間スペシャル~』(12月23日19時~)

この日は、斎藤ネコアレンジの「Isn’t She Lovely」をマリーンが、「My Way」を布施明が歌い、服部克久アレンジの「White Christmas」を全員で華やかに歌い、前田憲男「Someone To Watch Over Me」を阿川泰子が艶やかに歌い、他にもクリスマスソング、ジャズの名曲、映画音楽のメドレーなど、歌い手とミュージシャン、アレンジャーの力とセンスがぶつかり、極上の音楽を作り出していた。

『Sound Inn “S”』は、決して“古き佳き”だけを追求するのではなく、そこにいる全ての人が真摯に音楽に向き合い、そして生まれる音楽番組の“真髄”を、現場で観て、感じた。

『Sound Inn"S"』オフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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