名曲“「翼をください」を作った男たち”――作曲家活動50周年を迎えたヒットメーカー・村井邦彦の現在地

1945年東京都出身。67年作曲家デビューし、数多くのヒット曲を生み出す

「翼をください」といえば、合唱曲の定番としても、サッカー日本代表の応援ソングとしてもおなじみで、1971年の発売以来歌い継がれてきた誰もが知っている名曲だ。それを作ったのが作詞家・山上路夫と作曲家・村井邦彦。この名コンビは「翼を~」以外にも多くのヒット曲、名曲を生み出してきた。その作品集『「翼をください」を作った男たち~山上路夫・村井邦彦作品集~』が12月13日に発売される。さらに村井の作曲家生活50周年を記念した、豪華ゲストを迎えたコンサート『LA meets TOKYO』が開催される。村井は山上と共にアルファミュージックを創設し、1971年にはアルファレコードを設立。YMO、松任谷由実等を世に送り出したプロデューサーでもある。そんな、日本の音楽シーンに多大な影響を与え続けているヒットメーカーに、アルバム、コンサートの事、そして現在の音楽シーンについて、さらに自身のこれからについてまで色々な話を聞かせてもらった。

盟友・山上路夫の歌詞は「その”理念”に多くの人が共鳴し、聴き継がれている」

――『「翼をください」を作った男たち~山上路夫・村井邦彦作品集~』が発売になりますが、山上路夫さんは村井さんにとって長年のパートナーですが、改めてどのような存在なのでしょうか?

『「翼をください」を作った男たち~山上路夫・村井邦彦作品集~(12月13日発売)』 新録、初商品化の作品なども含む全53曲収録・3枚組CD
『「翼をください」を作った男たち~山上路夫・村井邦彦作品集~(12月13日発売)』 新録、初商品化の作品なども含む全53曲収録・3枚組CD

村井 夫婦みたいなものです。最初の頃は、なかにし礼さん、安井かずみさん、阿久悠さん、岩谷時子さんといった作詞家の方と作品を作っていましたが、山上さんと一緒に1969年にアルファミュージックという会社を作りました。それ以来山上さん以外の方と曲を書いたのは、ユーミンと5~6曲書いた以外は、ほとんど山上さんとのものです。

――もう、あうんの呼吸、という感じですか?

村井 そうですし、お互い率直に何でも話すことができる、夫婦というか親友というか、話をしなくてもお互いの意図している事が9割方わかるという関係です。

――村井さんから見た、山上さんが書く詞というのは……。

村井 「理念」ですよね。例えば「翼をください」では、今私の願いが叶うならば、何が欲しいかというと自由が欲しい、と。悲しみのない自由な空に飛んでいきたいよと、ひとつの自由を求めている事を歌にしていて、みなさんに共鳴していただいて、これだけ長い間歌われているのでしょうね。

――村井さんが作る曲には、“清潔さ”が貫かれていて、老若男女に愛されるエバーグリーンな音楽になっていると思います。今日実際にお会いして、清潔感の塊というか、清々しいオーラを感じて、それが洗練されたメロディとなって出ているんだなと、妙に納得してしまいました。

村井 そうですか(笑)。自分ではわからないんですけどね…。

「翼をください」は、コンテスト開始の2時間前に完成した!?

――村井さんが大きな影響を受けたのはやはりジャズですか?

村井 そうですね、根本の根本はジャズですね。それとクラシック。もちろん日本のこの気候風土で育ってきたので、この気候、景色、人間の情感などもミックスされたものが、曲に出ているのだと思います。

――その代表曲のひとつでもある「翼をください」ですが、そのエピソードとして有名なのが、この曲は作曲家コンテスト「合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバル'70」のための曲で、そのスタートの2時間前に書き上げたというのは本当なのでしょか?

村井 山上さんが詞を書いて、僕が曲をつけて、それを聴いた山上さんが「詞が曲に負けている」と、詞を書き直す事になって、コンテストの開始ギリギリまで粘って書いていたというのが本当のところです(笑)。コンテストに赤い鳥が出場し、この歌を歌う事になっていたのに曲が完成したのは開演2時間前でした(笑)。それでメンバーは楽屋ですぐ練習して覚えて、でも確か作曲賞と新人賞を獲ったはずです。

――赤い鳥が人前で初めて歌って、それを聴いた時はヒットの手応えのようなものは感じましたか?

村井 全然(笑)。しかも1971年に発売された赤い鳥のシングル「竹田の子守歌」のB面でしたので。だから不思議なものですよね。

――そんな「翼をください」はサッカー日本代表チームの応援歌としても有名で、また本当に色々な方にカバーされて歌い継がれています。

村井 ビックリするようなカバーもありますよ(笑)。作曲家の意志を無視しているのか、勘違いしているのか、譜面と違うものがずいぶんあります(笑)。

――今回の村井さんと山上さんの作品集『「翼をください」を作った男たち』の中で、「翼をください」はもちろんですが、特に思い入れの強い曲を教えて下さい。

村井 森山良子さんに提供した「街を流れる川」というバラードと、「走馬燈」(共にアルバム『RYOKO SINGS FOR YOU』(1973年)収録曲)は知られざる傑作だと思います。機会があれば、今の若いシンガーに是非歌って欲しい曲です。

――この2曲は村井さん自身がアレンジを手がけていますが、曲を作る時は、アレンジも一緒に頭の中で鳴っている、それをアレンジャーに伝える感じなのでしょうか?

村井 そうですね。メロディを作るので、その背景になるリズムや和音の進行はできていて、ただアレンジャーや歌い手の感受性によって、それが色々な表現、カラーになって出てくるという事です。僕は割と同じアレンジャーと組む事が多く、川口真さん、服部克久さん、東海林修さんとはそれこそあうんの呼吸で、曲のイメージを汲み取ってくださいました。

日本で25年、LAで25年。「50周年記念コンサートはLAの音楽仲間を東京に連れてきて、日本の音楽仲間と一緒に楽しむ、がコンセプト」

――村井さんは1992年にアメリカ・ロサンゼルス(LA)に拠点を移し、日本と行き来しながら音楽活動を行っていますが、現在のそのパートナーが映画『ハドソン川の奇跡』(監督/クリント・イーストウッド)の音楽監督を務めたクリスチャン・ジャコブ氏と、グラミー賞の常連、ホルヘ・カランドレリ氏で、このお二人にアレンジを依頼する事が多いとお聞きしました。

左:クリスチャン・ジャコブ、右:ホルヘ・カランドレリ
左:クリスチャン・ジャコブ、右:ホルヘ・カランドレリ

村井 そうなんです。今はこの二人と仕事をする事が多く、今度12月15日に行う50周年記念コンサート「LA meets TOKYO」(Bunkamuraオーチャードホール)でもこの二人と共演します。このコンサートは、僕は最初の25年は日本で活動して、その後の25年はLAで活動しているので、LAの音楽仲間を東京に連れて来て、東京の僕の仲間のミュージシャンと一緒にやるというのがコンセプトです。それで次はLAに日本の音楽仲間を呼んで「TOKYO meets LA」という企画もやりたいと思っています。

――「LA meets TOKYO」では、村井さんと山上さんによる新曲も聴くことができるとお伺いしました。

村井 そうです、僕が曲を書いて、山上さんが50周年おめでとうという内容の歌詞を書いてくれ、それを吉田美奈子さんが歌ってくれます。

――やはり村井さんが書く曲の歌詞は、これからも山上さんが書くという事ですね。

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村井 そうですね、最高のパートナー山上さんと一緒に作り続けたいですね。2013年に音楽劇『アルセーヌ・ルパン カリオストロ伯爵夫人』の音楽を作った時は、脚本を手がけた倉田淳さんが詞を書いてくれましたが、そういうミュージカル以外の作品では、山上さんとやり続けたいですね。山上さんとは今ライフワークのひとつとして、大正時代から脈々と続く“叙情歌”、「翼をください」からのひとつの流れみたいな曲を書き続けようと、「日本歌曲集」という企画もやっています。今回のアルバムに入っている「走馬燈」や「つばめが来るころ」、「コーヒーのしみ」がそうです。

拠点・LAでも音楽漬けの日々

――LAでは今も日々曲作りを行っているのでしょうか?

村井 そうです。こういう仕事は生活の中に取り込んで、継続していた方がいいという事が、年を取るとわかってきました(笑)。今、作曲は朝起きてからお昼までと時間を決めて書いています。年を取ってくると朝が勝負(笑)。だから起きたらすぐにピアノに向かっています。今は、来年アメリカ・ワシントンで行われる「チェリー・ブロッサム・フェスティバル」の新曲のピアノ五重奏を作ったり、先ほど出ました「日本歌曲集」、そしてクラシック音楽のピアニスト・関孝弘さんから依頼され書き続けているピアノ曲、新しいミュージカルの話も進んでいて、毎日音楽漬けです。

――曲というのは、やはり“降りてくる”ものなのでしょうか?それとも見つけて、探って、掘り起こしていくような感覚なのでしょうか?

村井 発注を受け、色々な条件を提示され、構想していくうちにメロディが浮かんできます。歌の場合は、歌う人が誰かで音域が変わってきます。だから“降りてくる”という感覚よりも、制約の中で一番いいものを作るという事を昔から心がけています。

――今もそれだけ曲を書かれていて、逆にインプットはどういう方法でされているのでしょうか?

村井 まず過去の音楽の楽譜を読むのが面白くて仕方ないですね。それから、映像の仕事をしている息子(映像作家・ヒロ・ムライ氏。監督作品『ATLANTA』が、今年の「ゴールデン・グローブ賞」を受賞)が、どんなものを作っているのか気になってよく観ているのですが、ヒップホップものが多くて、それを聴いているうちにヒップホップが好きになってきて、そういう音楽も刺激になっています。ヒップホップは古いジャズのフレーズやリズムパターンを使っているものが多くて、いいんですよね。古いものから新しいものまで、あらゆるものが刺激になっています。

「友人であり偉大な作曲家のミシェル・ルグラン、ジョン・ウィリアムスはバリバリの現役。そんな二人のひと回り下の僕も、まだまだ曲を書き続ける」

――今の日本の音楽シーンは、村井さんの目にはどう映っていらっしゃいますか?

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村井 色々な角度から見る必要があると思いますが、まずライヴというものがますます大事になってくると思います。お客さんに直接音楽を届けるというのは楽しいし、ワクワクします。それは作り手も聴き手も同じだと思います。だから僕も12月のコンサートが本当に楽しみです。それとCDが作家、演者の大きな収入源だったけど、その売上げが落ちてきて、さてどうしたものかという感じですが、これはもう逆戻りできないわけで。世界中がストリーミング中心になっていますが、ビジネススキームはその役割を担う方に考えてもらいつつ、我々作り手は、ひたすらいい音楽を作り続けるしかないと思っています。でもデジタル中心の環境になってきたおかげで、才能がある若い作り手が表現できる場が増えていて、誰にでもチャンスが与えられるという意味ではプラスだと思っています。マイナスの面としてはテクノロジーが進化して、ミュージシャンに仕事が回ってこなくなってきた事。これは大きな問題。でもライヴに行くとミュージシャンが奏でる音に感動できると思うので、やっぱりライヴの存在が大きいし、もっとその重要性が高まってくると思います。

――作曲家活動50周年という事ですが、これからの野望を教えて下さい。

村井 まだまだやる気満々です(笑)。僕の尊敬する作曲家であり友人のミシェル・ルグラン、ジョン・ウィリアムスは二人とも確か80代中盤ですが、いまだに書いています。ルグランは先日ピアノ協奏曲とチェロ協奏曲を書いています。ジョンには先日スタジオに招かれて、映画『スター・ウォーズ』の新作の音楽の録音を観てきましたが、いまだに自分でオーケストラを指揮していました。この二人に比べると僕はまだひと回り若い(笑)。これからもどんどんいいメロディを書き続けていきます。

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