注目の作家・一雫ライオンとは? 感動”ファンタジー私小説”『ダー・天使』が生まれるまで 

今、一冊の本が話題を集めている。『ダー・天使』(集英社文庫)――私小説?ファンタジー?不思議な感覚の世界にいざなってくれるが、親娘の、夫婦の、そして家族の深い愛情の世界は、どこまでもリアルで、親近感があって、涙なしでは読み進める事ができない。手がけたのは一雫(ひとしずく)ライオン。初の書き下ろしが話題となっている作家の、これまでの人生が大いに投影されたこの小説。俳優→脚本家→作家と、文字にすると一見派手に、順調そうに見える経歴の裏は、書き切れないほどの“事情”が隠れている。人生は誰しも一筋縄ではいかない。しかしそれを救ってくれるのは愛、無償の愛だと教えてくれる。一雫ライオンとは?『ダー・天使』とは?本人の口から語ってもらった。

『ダー・天使』(集英社文庫)
『ダー・天使』(集英社文庫)

まずは『ダー・天使』のあらすじから――妻と幼い娘と慎ましくも大きな愛情に包まれ、幸せに暮らしていた二郎はある日、通り魔から家族を守ろうとして、命を落としてしまう。しかし娘の事、妻の事が心配で心配でたまらない二郎は、天国で17歳の神様と交渉した結果、「天使」として地上へと戻ることに。しかし誰からも姿は見えず、手助けもできない、ただひたすらに見守り続ける事が条件だった――。娘の「凜」は、ライオン氏の実の娘と同じ名前だ。このあたりからも父親の深い愛情が、この小説の大きなテーマになっているのがわかる。

「娘の誕生と成長、父親の闘病と死、二人の人生の強いコントラストを目の当たりにして、小説のストーリーが浮かんだ」

「40歳の時に生まれたのが凜です。年を取ってからできた子なので、可愛くて仕方なくて。溺愛する事は想像していましたが、想像を遥かに超えた可愛さで、それがこの物語の確実にモチベーションのひとつになりました。それと同時に、父親が去年亡くなった事も大きかったです。父親は仕事人間だったのですが、引退して第2の人生を楽しもうと思っている時に、末期の食道がんが見つかって。僕はこれまで散々両親に迷惑をかけてきて、39歳でようやく結婚して、独り立ちできて、ご飯が食べられるようになって、孫も見せられるし、やっと親孝行できると思っていた矢先でした。娘はどんどん成長していく一方で、かたや自分の父親は、命の終わりに向かい朽ち果てていく。この上昇線と下降線のコントラストが強すぎて、こういう仕事をしているので、勝手に命の入れ替わりというか、そういう事なんだろうなというのを感じて。そこでフッとストーリーが思いついて。物書きなんてろくでもない仕事ですよね」。自分の身の回りに起こる希望と絶望、光と影に連鎖を感じ、小説を書こうとしていた脚本家の、“物書き魂”が覚醒した。そこから一気に『ダー・天使』のストーリーができあがった。「死にゆく親を自分に置き換えた時、じゃあ自分がこの幼い娘を残して死んでしまって、もし天国というものがあるとしたら、自分はどうするんだろうと思いました。きっと神様に喧嘩を売って、でも頼むから娘の元に帰らせてくれ、例え何もできなくてもいいから、見守らせてくれって言うだろうなあと思った時に、ストーリーが思い浮かびました。だからこの小説は親父の死と娘の誕生のおかげで、書かせてもらったと思っています」。

39歳で結婚、40歳で娘が生まれ、奥さんの叱咤激励を糧に書き上げた小説で、そう聞くと幸せな時間を過ごす中でできあがった作品という感じがするが、若い頃のライオン氏は自分でも「本当にどうしようもなかった」というほど荒れていた。しかし、山あり谷ありのこれまでの時間の経過の中で、ようやく掴んだ幸せが書かせた小説でもある。

俳優にこだわり続けた理由

ライオン氏は、わるが高じて、高校を途中で退学になり、定時制の高校に転入した。そして19歳の時に俳優を目指した。「中学の時に一度俳優をやってみない?と誘われた事もあって、サラリーマンになるのも嫌だったので、その時の僕の俳優のイメージは、こういうろくでもない奴が生きれる場所なんだ!と思い、俳優事務所の門を叩きました。最初はドラマの5番手くらいの役に入れてもらったりしましたが、錚々たる方々の演技を観たり、先輩方の話を聞かせていただいているうちに、俺が思っていた世界と違うと思いました。絶対無理だ、売れないと自分で思いました。でも退学になった高校時代の自分を知っている友達に「やっぱりあいつダメだね」と言われたくない、その意地だけで35歳まで役者をやってしまいました(笑)。本当にどうしようもないですよ」。

俳優をあきらめきれず、劇団を立ち上げる。「自分で脚本を書きましたが、自分をキャスティングできず、俳優をあきらめた」

仕事もだんだん決まらなくなった中で、27歳の時には俳優・渡部篤郎の付き人になった。役者としての凄さを近くで見続け、さらに役者としての自信をなくしていった。しかしそんな中でモチベーションになったのは、友人への意地だけだった。30歳になり、これから先の事に色々と考えを巡らせる中で、それでも役者を辞めるという選択肢はなかった。そして縁があって現在所属している事務所に入り、激しく人生が動き始めた。「今となっては感謝していますが、35歳の時に事務所の偉い方に「40歳になっても飯が食えないとなると、本当にどうしようもない男になるから、役者はもう辞めなさい。これ以上仕事を入れられないから」と肩たたきされて。覚悟はしていましたが、テレビも映画も舞台にも自分は出られないのはわかっている、だったら自分で劇団を作るので、それで1年やって何も自分でも引っ掛かりがなかったら、そこで考えさせてくださいと、一年猶予をもらって劇団を立ち上げました」。そうしてできたのが演劇ユニット「東京深夜舞台」だ。そこで必要に駆られ、初めて脚本というものに取り組んだ。しかし自分で脚本を書いても、自分をキャスティングする事ができなかった。ここで本当に役者をあきらめ、書く方に専念しようと心に決めた。新たな人生のスタートのきっかけになった。小学校時代から、読んでもいない本の読書感想文を原稿用紙10枚以上書けるという、豊かな想像力と書く力があった。脚本家としての才能は一気に開花し、映画『前橋ヴィジュアル系』『TAP 完全なる飼育』『ホテルコパン』『サブイボマスク』『イイネ!イイネ!イイネ!』などの脚本を担当し、また『小説版 サブイボマスク』も出版し、注目を集める存在になった。

物語のキーマンの一人「神様」はなぜ17歳なのか

そんなライオン氏の心の中にいつも存在し、人生に大きな影響を与えているのが、生まれつき自閉症の弟さんだ。この小説の影の主役でもあり、非常に重要な登場人物である17歳の神様は、そんな弟さんの存在も少なからず影響しているようだ。「二つ下の弟がいて、生まれつき自閉症という病気で。今もそうなんですが、言葉もしゃべれないし、でも二人兄弟なので昔からすごくかわいくて。小さい時に、なんで僕は普通にしゃべれるのに、弟はしゃべれないんだろう、何で僕は普通に着替えられるのに、弟はボタンをとめられないんだろうって、すごく悔しい思いをした事を今でも覚えていて」。当時は自閉症という病気自体の情報も少なく、なかなか認識されにくい状況だった。ライオン氏も自分の弟が自閉症という事を友達に言えなかったという。でも誰よりもかわいい。そのやるせない思いに、10代の時は苦しんだ。「従兄弟も小6の時に、電車にはねられて亡くなったり、当時は子供だったので無常観という言葉はわかりませんでしたが、そういう思いがあって。僕は無宗教ですが、神様やご先祖様には毎日すごく感謝していて、でもその時ばかりは弟の事もあって、「神様この野郎、本当にお前はすごい事するな」と思いました。子供の時、大人はちゃんとしているし、すごいと思っていたので、神様はきっと大人じゃないんだ、子供なんだって思っていました」。

「天国では競争も、憎しみも、嫉妬も、そして差別もない、ただ人が幸せに暮らせる所にしたかった」

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その時の思い、無常観が『ダー・天使』には色濃く反映されている。17歳、思春期の神様は言葉遣いも含めていかにも17歳という風情で、小生意気で淡白で、でも傷つけられると、すぐカッとなるという、人間の高校生と同じだ。そこもこの小説のポイントになっている。天国というものがあるとするなら、もっと身近で、現世で苦しい事があっても、そこに行けば楽しく暮らせるんだという心の支えになる。そう思わせてくれる小説だ。「天国では競争も、憎しみも、嫉妬も、そして差別もない、ただ人が幸せに暮らせる所にしたかった。人としての唯一の平等はいつかみんな死ぬという事で、その先に天国があると思っていた方が怖くないと思います。父親の葬式の時に、母親が泣きながらお坊さんに「あの人はいつ天国に行けるんですか?」と聞くと、お坊さんが「仏教も色々な考え方があって、私の考えでは天国も地獄もないんです。死んだら永遠の無です」と言って、母親がえー!ってなって(笑)。死というのは毎日眠って起きてその間隔がだんだん短くなって、その現象の延長線上で起こるもの、というような話をしてくれたのですが、確かにいい話なんですよ、でも夫を亡くしたばかりの母親には理解できなくて、僕はお坊さんに「どうにか天国があるというわけにはなりませんか」とお願いをしました(笑)」。

「ものわかりのいい大人にはなりたくない。違うものは違うとハッキリ言う。苛立ちや怒りが作品を書く原動力になる」

全編に渡って、ライオン氏の優しさが滲み出ている小説だ。それは娘への愛情、家族への愛情という部分ではなく、現代の人間社会が抱える問題に対しても神様や登場人物の言葉を借り、痛烈なメッセージを浴びせている、そういう愛情だ。「僕は今44歳ですが、ものわかりのいい大人にはなりたくない。違うものは違うとハッキリ言うタイプです。行儀が悪いやつがいたら、昔誰よりも行儀が悪かったくせに「何だてめぇこの野郎!」ってなったり(笑)。そういう些細な苛立ちがないと、書けないです。八つ当たりみたいなもんですよ(笑)」。

豪快で繊細、深い愛情を持って家族と周りを優しく見つめる、そんな一雫ライオンという人間の、これまで生きてきた中で感じた想いが、全て昇華されているといってもいい“ファンタジー私小説”が、『ダー・天使』だ。最後にライオン氏は「凜が大きくなったらこの小説を読んで欲しい」と、とびきり優しい表情で語ってくれた。