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再メジャーデビュー、NOBUが歌う応援歌「いま、太陽に向かって咲く花」が話題

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
NOBU(ノブ)。1988年生まれ、宮崎県小林市出身

"2度目のメジャーデビュー"、NOBUが歌う「いま、太陽に向かって咲く花」が話題

今、ある歌が注目を集めている。シンガー・ソングライターNOBUが歌う「いま、太陽に向かって咲く花」(7月12日発売)だ。7月15日にオンエアされたTBS系の音楽特番『音楽の日』を皮切りに、18日『うたコン』(NHK)、19日『スッキリ!』で生歌を披露し、大きな反響を呼び、各メディアが注目し一気に認知が広がっていった。

この曲は実は5年前から存在していた。N.O.B.U!!!としてのメジャー・デビューアルバム『POWER TO THE PEOPLE』(2012年)に、「太陽に向かって咲く花」というタイトルで収録されていた。しかしNOBUはデビューから2年後、契約を解除され、インディーズで活動を続けている中、「兄へ向けた手紙のつもりで書いた応援歌」というこの曲が、関係者の耳に留まり、「いま~」として蘇り、再び脚光を浴びる事になった。一度はメジャーデビューしながらも契約解除の憂き目に遭い、インディーズで活動を続けながら、再び大きな舞台で活躍する事を夢見て歌い続けていたNOBUは、今の状況をどう捉えているのだろうか。

「縁があって2012年にユニバーサルミュージックのレーベルと契約して、アルバム1枚とシングル3枚を出させていただきました。当時はメジャーからデビューすれば売れると勝手に思っていて、それが甘い考えでした。自分の意見もあまりなくて、一年経っても二年の時間が過ぎても、全然前に進んでいる気がしなくて、このままで大丈夫なのかなと思っていた時に、突然契約解除になって。給料もストップするし、どうしよう、歌えなくなると思って、一瞬目の前が真っ暗になりました。でもその時、傲慢な気持ちではなく、歌には自信があったので、絶対自分は大丈夫という、変な自信がありました」。

「お前はその純粋な気持ちで音楽をやっていれば絶対大丈夫だから」――尊敬する先輩、湘南乃風・HAN-KUNからの言葉を胸に、決してあきらめずに、どんな状況でも歌い続け、音楽をやり続ける

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NOBUは宮崎県小林市出身で、3人兄弟の末っ子だ。そして1997年、Hi-STANDARDに影響を受けた長男が、3人でバンドをやろうと言い出した。当時9歳だったNOBUは叩いた事もないのにドラムをやらされることになった。「そこからずっとバンドを続けていて、当時はHi-STANDARDさんやMONGOL800さんのようにインディーズで売れるというのがかっこいいと思っていて、でも中学の時、ORANGE RANGEさんのデビューツアーの宮崎公演で、オープニングアクトとしてステージに立たせてもらって、メジャーの華やかさを目の当たりにして、いい意味でショックを受けました」。その時にメジャーを知らずにメジャーの事は語れないと思い、方向転換しメジャーデビューを目指した。2008年には全国オーディション「閃光ライオット」の決戦大会に出場するも「九州代表で出場して、でも他のバンドが凄すぎて、井の中の蛙だったという事がわかりました」。福岡で、兄と共に音楽専門学校に通いながらバンド活動を行っていたが、18歳の時に解散。シンガー・ソングライターとして活動をスタートさせる。「兄と二人暮らしをしていて、当時のバンドメンバーは兄の友達と3人でしたが、バンドを辞めました。僕はずっとドラムだったので、いつかはフロントで歌いたいと思い始めました」。仲間から声の良さや歌のうまさを言われ続け、福岡でクラブに行ったり、レゲエのライヴを観にいくうちに、それまでバンドでやっていたメロコアではなく、自分の好きなヒップホップやレゲエで、マイク一本でやっていけるのでないかという自信が湧いてきて、チャレンジしようと決めた。NOBUがミュージシャンとして新たな道を歩む決意をした時、一緒にバンドをやっていた兄は音楽をあきらめ、就職の道を選んだ。

NOBUは今も大切している尊敬する先輩からの言葉がある。それは18歳の時に友人の紹介で知り合った、湘南乃風・HAN-KUNからの「お前はその純粋な気持ちで音楽をやっていれば絶対大丈夫だから」というメッセージだ。オーディションの後、レコード会社の新人育成セクションに所属し、先が見えないまま曲の制作をしたり、ライヴをやっていた時に、NOBUは大先輩のこの言葉を常に心の中に置き、頑張っていた。その後、色々な人との縁もあり、2012年、ようやくメジャーデビューに辿り着いた。

しかしメジャーデビュー後は先述のように、うまくいかなかった。契約終了後NOBUは、来る日も来る日も、それまでお世話になった全国のイベンターや、ライヴハウスに電話をして、ライヴ、イベントに呼んで欲しいとお願いをした。生活を切り詰め、例えギャラが出なくても、交通費が自腹でも、とにかく出してもらえるところ、歌える場所には、どこへでも出かけていき、歌った。物販も全部自分でやった。「ギャラをいただけたらラッキーという感じでした。でもステージに立てば、おお!なんだこいつすげえじゃん!って思わせる自信はあったので、歌う場所さえあれば絶対聴いてもらえると思っていました」。

一通の手紙にしたためられていた、”強い花になってください”という言葉と、兄の写真が「いま~」が生まれるきっかけに

「いま、太陽に向かって咲く花」の原曲「太陽に向かって咲く花」は、NOBUが20歳の時、一旦故郷に戻っていた時にできた作品だ。「一度地元に戻り頑張って、宮崎といえばNOBUと言われようになるまで、メジャーが決まるまでは、親の仕事を手伝いながら活動しようと思いました」。そんな中で、やはり気になるのは兄の事だった。バンドを辞め、NOBUがソロ活動を始めた時も、兄は応援してくれなかったという。「歌の基礎もしっかりできていないのにソロなんて無理だと言われ、喧嘩ばかりしていました」。音楽の道をあきらめ、就職をした兄は、NOBUに対して羨ましさと心配の両方の想いが交錯して、素直な言葉をかけられなかったのかもしれない。

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そんな時、自宅に届いていた、NOBUと兄が福岡時代にお世話になって、応援してくれている人からの一通の手紙を目にした。「その手紙の最後に“強い花になってください”という言葉があって。とても感動して、その時にこの歌のサビが聴こえてきて、すぐにピアノで作り始めました。それでこの歌を誰に向けて歌えばいいのだろうと考えた時、フォトスタンドに兄の小さい頃の写真が飾ってあって、その時に、ファッションも釣りもスケボーも、もちろん音楽も全部兄の影響を受けて、今自分がこうしているのは兄のおかげだなと思いました。それで兄に送る手紙として書きました」。兄に認めて欲しいという気持ちも強かった。2012年にNOBUが出演した福岡で行われたフェスに家族が観に来て、その時兄はこの曲を聴き号泣した。兄に向け作った曲という事は親には言っていたが、兄には黙っていた。しかしフェスに向かう車の中で両親が、その事をそっと兄に伝えていた。「歌い終わった後、楽屋で泣きながら兄ちゃんと握手して、いまあるのは全部兄ちゃんのお陰だから元気出して、一緒に頑張ろうよと話をしました。それからの兄ちゃんはすごく前向きになってくれて、誰よりも応援してくれるようになって。この曲があったから、兄ちゃんとも仲直りできて、一人のアーティストとしても、やっと気持ちよく歌うことができるようになりました」。

”九州の応援歌”「太陽に向かって咲く花」が、佐藤竹善プロデュースで新たな息吹を吹き込まれ、「いま~」に生まれ変わる。「伝え方が全然変わった。さらに力強い曲になった」

「いま、太陽に向かって咲く花」(7月12日発売)
「いま、太陽に向かって咲く花」(7月12日発売)

NOBUはどんな場所で歌う時も、必ずこの曲だけは歌っていた。自身にとっても、兄弟にとっても“再生”の歌でもあるこの歌をNOBUは、2016年熊本地震の際、現地に駆け付け、歌った。そして被災者を勇気づけ、再生のための“九州の応援歌”になった事をきっかけに、歌い直す意味を持ち始めた。そして佐藤竹善(SING LIKE TALKING)プロデュース、アレンジで、新たな息吹を吹き込まれ「いま、太陽に向かって咲く花」として生まれ変わった。自分にとってかけがえのないこの曲のアレンジを佐藤竹善に託すにあたって、NOBUはかなり細かいリクエストを佐藤にぶつけたという。楽器の音ひとつにもこだわり、その想いに佐藤も応え、二人のセンスが化学反応を起こし、より感動的な一曲になった。「生まれ変わって、この曲の伝え方が全然変わりました。以前は元気よく歌って応援しようという感じでしたが、今はしっかりと歌い上げなければいけないと思っていて、だからさらに力強くなったと思います」。2017年7月12日、NOBUもこの作品で再びユニバーサルミュージックから再メジャーデビューした。やはり「いま~」は再生の歌だ。

「その人が歌わないと意味がない歌を歌い続けていく。今までやってきた事をそのまま伝える事が僕の使命」

一度は契約を打ち切られたレコード会社から、再びデビューするというのは、複雑な気持ちはなかったのだろうか。「最初はありました。でも前回お世話になった2年間は、こうやりたいという自分の気持ちも伝える事ができていなくて、今は自分の考え方がきちんとあるので、どこででも勝負できると思っていました。でも昔関わって下さった、わかりあえているスタッフさん達もたくさんいるので、今はすごく気持ちよく活動をやらせていただいています」。自分自身がマネージャーであり、プロデューサーでもあったこの3年間の経験が自信となり、またスタッフの大変さも理解し、人間として大きくなったNOBUがそこにはいる。

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ハイトーンハスキーボイスという、一度聴くと忘れられない、他にはいない唯一無二の声を持ち、その“伝える”力をテレビ番組で「いま~」を聴き、感じた人も多いのではないだろうか。「お客さんが3人位しかいないところで歌う機会も結構あって、その時は“なんでこんなところで歌わないといけないの?”と勘違いをしていた時期もありました。その3人のお客さんの事が見えていなかったんです。でも何もなくなったとき、聴いてくれる人が一人でもいてくれる事が嬉しくて。そういう経験を経て、伝えたいという気持ちがすごく大きくなりました。僕的には「音楽の日」や「スッキリ!」でも、もちろん緊張感は持って臨みましたが、目の前にいる方に伝えるように歌えば、きっと伝わると思っていました。だからすごく嬉しいのは、元々応援してくれた方が、あのオンエアを観てもいい意味で感動しなかったみたいで。「だってNOBUってずっとこうやって歌ってたじゃん」って言ってくれました。「お前何も変わってないから、変わらず歌い続けてよかったね」と仲間に言ってもらえた事がすごく嬉しくて。だから、今までやってきた事を、そのまま伝える事が僕の使命だと思っています」。そんなNOBUには表現者として、伝えるという事を生業としている人間の使命として、最も大切にしている事がある。それは「その人が歌わないと意味がないという事が重要だと思っていて。だからどんな歌をカバーしても、自分のカラーにできる自信があるし、もっと言うと、この「いま~」は、僕でなければ伝えられないという自信もあります」。

“誰かが必ず見ていてくれている”という事を、わかりやすく、説得力を持って伝えてくれるのが「いま~」だ。「まさにそれです。<誰も気付かぬ君の優しさ 今 僕が気づいた>という歌詞がありますが、僕はその時にそういう想いも込めていて。その優しさは誰か絶対見ているから、だから人に踏まれてもけなされても、あなたは誰よりも輝いているよという思いを伝えたかった」。勇気と希望を与えてくれるこの歌が、今、幅広い層から支持を得ている。

「想像できる事しか叶わないし、想像しなければ叶わない。来年日本武道館、再来年には東京ドームのステージに立ちたい」

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NOBUには、来年日本武道館、再来年東京ドームのステージで歌っている自分の姿がすでに見えているという。「想像できることしか叶わないと思っているし、想像しなければ叶わない。でもただ想像するだけではなく、もちろんそこに辿り着くまでに何をしなければいけないのかは、きちんと考えていて。山登りと同じで、頂上を目指すから到着するのであって、そのためには入念な準備と、登るルートも大切です」。

様々な経験をし、挫折も味わい、でも歌を歌い続けてきたことが自信になっている。言葉にしなければ、叶う事も叶わないという精神で、強い言葉を口にしつつ、しかしNOBUは人間として非常に謙虚で、とにかく礼儀正しい青年だ。そういう人間性が人を惹きつけ、多くの人が集まり、これまでも助けられてきた。「僕は今まで色々なアルバイトやりました。でも毎回すごく怒られていました。それは仕事ができないからではなく、礼儀正しすぎて怒られていました。コンビニでも「どうもありがとうございました!!」ってお辞儀をしながら大きな声で言っていたら、店長さんに「もっと楽にやって」と言われていました(笑)。一番ハマったのがガソリンスタンドでした(笑)。小さいときから父親に「礼儀正しい人間の周りには人が集まる」と言われ続けてきたので、コンビニで怒られてもそれを貫いていました(笑)」。

誰からも愛されるNOBUが、誰からも愛される渾身の一曲「いま、太陽に向かって咲く花」を手に、そして、尊敬する先輩、湘南乃風・HAN-KUNの「お前はその純粋な気持ちで音楽をやっていれば絶対大丈夫だから」という言葉を胸に、新たなミュージシャン人生をスタートさせた。

NOBUオフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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