俳優やミュージシャンも夢中になる”上方の爆笑王”・桂雀々 「目指すは3年後、日本武道館で単独会」

東京へ拠点を移してファンを増やし続ける落語家・桂雀々の魅力とは?

“上方の爆笑王”・桂雀々が、拠点を東京に移し6年目に入り、今年芸歴四十周年を迎える。独演会や落語会を精力的に行い、どの会場にもファンが押し寄せる、“今最も人を呼べる落語家”のひとりだ。まるで機関銃のような語り口に、身振り手振りを交えた大きく華やかなアクションで、観る人、聴く人全てを虜にする。そんな雀々の芸には役者やミュージシャンも夢中になり、その交友関係は華々しく、とにかく人を引き付け、愛されている。多くの人が惚れるその芸、人柄、そして“雀々や”設立の狙いなど、インタビューで上方の爆笑王の魅力に迫ってみた。

「40代では早い、60代では遅い、51歳の時覚悟を決め東京へ」

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関西では確固たるポジションを築いていた雀々が、その活動の場を東京に求めたのは51歳の時だったが、実は40代前半から東京のプロダクションと業務提携をし、東京に通い、活動をしていた。「東京で上方落語を広げたい、でも顔を先に売った方がいいと思い、大手プロダクションさんと業務提携をし、落語会やテレビ、ラジオに出演しました。そんな中で10年経った時に、40代では早かったかもしれない、60代になったら遅いかもしれない、行くなら今だと思い、51歳の時東京に引っ越しました」。家を引き払い、家族は「仕方ない」と承諾し、東京に単身赴任した。もちろん勝算ありと踏んでの行動だった。「大阪の落語家は約250人、東京は約600人、大阪にいるよりキャラが被らない東京で、色々な落語家さんと落語会をやりたかった。同世代の春風亭昇太や柳亭市馬落語協会会長、林家たい平、柳家喬太郎らがバリバリ活躍しているので、行きやすかった」。同世代の落語家が、第一線で活躍している東京は、逆に相撲が取りやすい環境だった。もちろん東京の落語家達も、お互い切磋琢磨できるという意味で、雀々の“殴り込み”を概ね歓迎した。その証拠に雀々からの落語会への出演依頼を断った噺家は、これまでほとんどいない。

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3月5日、有楽町・よみうりホールを埋め尽くした落語ファンを、雀々はその怒涛のしゃべりで自分の世界に引き込んでいた。客席がどんどん雀々のペース、空気に巻き込まれ、前のめりになっていくのがわかった。この日は柳亭市馬、柳家権太楼という“粋”を感じさせてくれる江戸落語の名手とともに「BSフジ プライム落語」に出演した。今回は“会長の品格に権さまの人情味 浪速の爆笑王も加わって、これぞ大人が痺れる落語会!”というキャッチが付けられていたが、まさにその通りで“三人三色”、それぞれの色が際立ちつつも、3人の強者がガップリ四つで勝負する事で生まれ、感じる事ができる“エネルギー”が売り物の落語会だ。この落語会も今、雀々が大切にし、力を入れている企画だ。雀々の、どの落語の協会にも属さないフリーという立場だからこそ、しきたりや決まり事などに惑わされる事なく、自由に様々な企画を立ち上げる事ができた。

6月の四十周年記念単独会では、明石家さんま他と共演

「東京に出てきて2年半くらいは落語の見せ方に試行錯誤しました。それでどんどん落語家さんと絡んでいこうと決め、「BSフジ プライム落語」もそのひとつで、先輩や、同世代の落語界を引っ張っている方達など、今僕がやってみたいと思っている方達に声をかけさせていただいています。8月にもかつしかシンフォニーヒルズで、柳家三三さん、柳家喬太郎さんと三人会をやらせていただきます。三人会は、三者三様の色を出す事で面白さが生まれると思う」。“三人寄れば文殊の知恵”という言葉があるように、3つの才能が引き起こす化学反応を期待するのが3人会、「プライム落語」だ。また三人会の他にも今年は四十周年記念公演が目白押しで、まずは6月22日に『地獄八景亡者戯2017 桂雀々単独会』を東京国際フォーラムホールCで行うが、「先輩とガップリ四つに組みたい」と、明石家さんま他スペシャルゲストと共演する。さらに9月9日には名古屋特殊陶業市民会館で、“今最もチケットが獲れない落語家”のひとりと言われている柳家喬太郎と共演する。落語をどう見せるかという事にこだわり続け、様々なカードを切っていく。

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江戸落語と上方落語があるように、そのお客さんの気質も違うとよく言われている。雀々も東京に来た当初はそれに少々戸惑ったという。「最初は東京では採点されているような感覚でした。「笑わせられるものなら笑わせてみろ」という感じで、構えて観に来ている感じがして、だったら寝技に持ち込んで、抑え込んででも笑わせようという気持ちもありました。でもそれをやると嫌がられそうなのでやめました(笑)」。そんなお客さんの生の声を聴いたのは、落語会の休憩時間、お客さんと一緒にトイレ待ちをしているマネージャーからの報告だった。「その日僕は、肩の力を抜いて70%位のエネルギーでやったつもりだったのに、報告によると妙齢の女性のお客さんが「見た今の!?何あれ?あれも落語?機関銃に打たれた感じ」「格闘技?スポーツみたい」と言っていたらしいです(笑)。でも印象に残らないよりは残った方がいいと思います」とその落語のスタイルに戸惑う客からの批評も、前向きに捉えた。大阪も東京とタイプは違えど、笑いに厳しいお客さんが多いという。しかし「僕のスタイルは変わらないので、どちらのお客さんを相手にしても同じです。落語は最初から最後まで爆笑という感じではないので、クスッとでもいいので笑っていただければ」。古典落語の原型はありつつ、デフォルメを重ねていき、笑いの濃度を高めている上方落語。それを大きなアクションと独特の描写の仕方で、登場人物がまるでそこにいるような、見えているかのような錯覚を味わう事ができるのが、雀々の落語だ。古き良き伝統を進化させ、インパクトという大きなエネルギーを注入することで、極上の雀々流エンタテイメントに仕上げている。

弟子でもある俳優・伊原剛志が「雀々や剛々」として高座デビューし話題に。「関西出身の俳優さんにどんどん入門してもらって、落語をやって欲しい。上方落語の面白さをもっと伝えたい」

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昨年12月、東京・国立演芸場で行われた「桂雀々独演会」で、雀々の弟子でもある俳優・伊原剛志が、落語家デビューを飾り、「雀々や剛々」という高座名をもらった事が、ニュースになった。これも上方落語を盛り上げていきたいという、雀々の想いから生まれたものだ。「立川流のBコースのように、僕が家元になって、俳優やミュージシャンを集めて「雀々や」一門を作りたいと思っています。伊原さんは「ゆくゆくは“雀々や”を株式会社にして…」と面白い事を言っていました(笑)。やっぱり上方落語を盛り上げるために、伊原さんのように、関西出身の落語好きの俳優さんに入門してもらって、落語をやってもらえれば、上方落語面白いねとなると思います」。東京に比べて寄席の数が少ない上方落語を、もっと多くの人に知って欲しいという上方落語への愛情は、拠点を東京に移してさらに深くなっているようだ。

話題を集めた「雀々や」という屋号には、実は雀々の師匠、名人・桂枝雀の想いが込められているという。「ある時師匠が「襲名というのは名前を襲名する事だけど、今まで屋号を変える人はいなかった。でもあなたが60歳位になったら“雀々や雀々”という名前にしたらどうやと。「上から読んでも下から読んでも同じで、いつもみんなからフルネームで呼ばれるから親しみがわいて愛される」と生前、嬉しそうに話してくれました」。屋号を改名という、それまで誰もやった事がない発想だった。

「還暦記念は日本武道館で単独会をやりたい。落語ってこんなに面白いものだという事を、もっと多くの人に知って欲しいという、師匠(桂枝雀)の想いを継ぎたい」

Photo/武藤奈緒美
Photo/武藤奈緒美

「3年後、60歳になったら還暦記念と一緒に、改名披露をやっているかもしれませんね。それも日本武道館でやりたいですね。我々の仕事は成功するまで時間がかかる長距離ランナーです。ピコ太郎のような爆発的なヒットを一瞬だけでも味わいたいです(笑)。それが日本武道館で落語をする意味です」。雀々は日ごろから落語を寄席だけにこだわらず、アーティストのようにライヴハウス~ホール~アリーナと、どんどん会場の規模を大きくして聞かせるという、新しいやり方にチャレンジしたいと言う。「うちの師匠も東京・歌舞伎座で独演会(1984年)をやって、3日間大入り満員にしました。大きい場所でやって、落語ってこんなに面白いものなんだという事を、もっと多くの人に知って欲しかったと思っていたはずです。その思いを継ぎたいという事と、上方落語は真打ち制度もないですし、僕は襲名披露もやっていません。何か大きな目標を持ってやらなければ、落語も上達しないという事です」。

役者、ミュージシャンら多くの人から愛される芸と、人間性。原点は幼少時代の壮絶な体験!?

雀々のファンには、前出の役者の他にも25周年記念公演の時は山下達郎が出演したり、スターダスト☆レビューの根本要らと親交があり、多くのミュージシャンに慕われている。「芸事の繋がりなので、そういう意味ではありがたい仲間です」。しかし本人は音楽をあまり聴かないというから面白い。「音楽の話、したくないですもん(笑)。そんなに音楽のコアファンじゃないですよ(笑)。でもこれだけ皆さんにかわいがっていただけるのは、東京に出てきたからこそだと思っています」。

『必死のパッチ』(幻冬舎)
『必死のパッチ』(幻冬舎)

2007年に行われた30周年記念公演「落語家生活三十周年 雀々十八番」は、今は亡きやしきたかじんがプロデュースを手掛け、大阪シアターBRAVA!を6日間満杯にするなど、本当に多くの人から愛されているが、なぜそんなにまで人を引き付けるのか、自身ではどう分析しているのだろうか。「幻冬舎の見城徹社長には「お前は人たらしだ」と言われました。「そういう空気を持って近づいてくる」と(笑)。見城社長のところに「必死のパッチ」(2008年に発売した自身の著書)のプレゼンに行った時、ずっとしゃべっていたら、何かを察した社長がまだ2~3分しか話していないのに「わかった、出そう」と言って(笑)。たぶんやばいやつだと思われたんでしょうね(笑)」。情熱が迸るその話術に人は熱いものを感じ、ひきつけられ、また、落語の世界に飛び込んで以来仕事でもプライベートでも「年上の人と絡む事が多かった」といい、自然と年上から“かわいがられる”術を身につけていたのかもしれない。

著書「必死のパッチ」には、両親が蒸発し、父親が残した借金のために借金取りに追いかけられる生活だったという、自身の少年期の過酷で強烈な経験が描かれている。しかしそんな生活の中で救いだったのが、お笑い番組だった。ほどなくバラエティ番組の素人コーナーに出演し脚光を浴び、いつのまにか笑わせる側になっていた。「賞金がもらえるという事もありました。そういう生活を送っていると、もう開き直るしかないんです」。無類のポジティブさがあったからこそ這い上がってくることができたのだろう。「どう考えても精神的にダメになっていく状況だったので、現実は真実で、変わりようがないと思い、別の方に動き出したのだと思います」。

無類のポジティブさはその芸にも出ている。観る方は雀々の落語を聴き、笑いながら元気をもらっているのだ。だから一度その芸に触れるとまた観たく、聴きたくなる。豪放かつ繊細な語りと、大きなアクションが織りなす芸は、それこそホールや大会場の舞台で映える。還暦記念という大きな節目での日本武道館が公演が楽しみだ。「この大きな顔はそのためにあるので。武道館でスクリーンなしでもいけるように」と笑わせてくれた。

「なんとかなるもんや」精神で生き抜き、戦い抜いて、今年芸歴四十周年を迎え、まさに今が充実の時を迎えている桂雀々の芸を、是非一度生で体感、体験すべきだ。そのポジティブなエネルギーには感動を覚えるはずだ。

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<Profile>

かつら・じゃくじゃく。昭和35年8月9日、大阪市住吉区出身。小学生時代はテレビの視聴者参加型番組の常連となり人気者に。中学生時代はテレビ番組のコーナーに登場して勝ち抜き、チャンピオンに輝く。昭和52年、上方落語の桂 枝雀に入門。同年10月に桂 枝雀独演会にて初舞台を踏む。平成19年、「桂 雀々独演会 雀々十八番」をシアターBRAVAにて6日間開催。全公演完売の大成功を収める。平成22年、「五十歳五十箇所地獄めぐり」を開始、全国行脚の開催で大きな話題となる。芸歴35周年を迎えた2011年、拠点を東京に移し、独演会は毎回完売。落語以外でもTV、映画、舞台での出演に加え、教壇でも講師を務めるなど多方面で活躍中。出囃子は「鍛冶屋」。

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