【インタビュー】森山直太朗 活動”小”休止の真相 創造的充電期間を終え、手にしたものとは?

「(活動小休止中の)半年間は自分の根本的な部分を見直していました」(森山直太朗)

「音楽活動の一環」としての活動”小”休止のナゼ

立ち止まることは決して悪い事ではない。立ち止まって振り返ることでわかることもある。立ち止まった時間をエネルギーに変えて、また前に進めばいい――森山直太朗40歳。去年の9月から活動“小”休止をしたが、それはアルバムの制作期間としてではなく、「音楽活動の一環」としての休みだったという。さらに楽しく、より深く音楽活動を続けていくための活動“小”休止だった。その証拠として、これまで以上に優しさと力強さと深みが増し、瑞々しさも感じさせてくれるニューアルバム『嗚呼』(6月1日発売)を引っ提げて帰ってきた。

キャリアの中で、なぜこのタイミングで、活動“小”休止だったのだろうか。

画像

「僕自身が、どうしたいとか、こうしていきたいとか、個人的な目標とか、社会的にどうあるべきとか、そういうビジョンが全くない人間で、とりあえず長く音楽活動を続けたいということだけを考えてやっていました。ある時スタッフに「もっと自分の中の深いところから出てくる、衝動みたいなものがあるんじゃない?」と言われました。アルバムをリリースしてツアーをやって、またレコーディングして、プロモーションしてリリースしてツアー……というルーティーンがある中で、そういう衝動を見つけることができるまで、お休みするということにもちゃんと責任を持って、仕事としてお休みをしてみるのはどうだろうという提案を受けました。日常生活とか個人的なコミュニティ、関係性みたいなものを、見つめ直すことで、結果的に例えそれが音楽ではないとしても、自分が本当にやりたいことが見つかるんじゃないかという話になりました。それでも音楽をやりたいと思うのであれば、そこに真理があるからと」。

活動“小”休止もただの休止ではなく、音楽活動の一環である、と。「制作期間でいいんじゃないか?」という声も出ていたが、あくまでも仕事としての“小”休止だった。

「確かに、人はそれを制作期間って呼ぶんですが、そんな玉じゃないんですよ僕は。制作期間にあぐらかいてというよりも、ちゃんと意識的に休まないと、と自分でも思っていたし、周りの人たちもそういうふうに勧めてくれました。謙遜しすぎかもしれないけど、僕が未熟だからそうするしかなかったということです」。

音楽から一旦離れ、性格や行動、根本的なことを見直す時間

森山ほどのキャリアを積んでいても、その口をついて出る「未熟」という言葉が、活動“小”休止に繋がっているのだろうか。キャリアを積んでいるからこそ“真剣”に休むことが必要と思ったのかもしれない。創作活動に煮詰まってしまったのではなく、自分の性格や生き方を見直す機会が欲しかったという。

「休んでいる間は、曲を作りたくても我慢して、曲を作ることから一回離れたほうがいいということは、さすがにわかっていたのですが、でもどうしても手癖とか口癖でギターに手が出そうになったり、歌っちゃったりするんですよ、スケッチをするように。でもそれも一回完全にやめて、いわゆるもう少し土の部分から掘り返していくような日常を過ごしていました。一緒に仕事をしている古くからの友人(共同制作者の御徒町凧)や家族とのコミュニケーションもそうですし、すごく根本的なことを見直す感じでした。そういうことってできているようで意外とできていない、コミュニケーションって自分が思っているほどとれていないんだなと思いました」。

活動“小”休止を決めてから、山小屋を購入した。趣味があまりなかった森山が、少年的な発想で自分の秘密基地を手に入れたくなった。この山小屋のリフォームや手入れがひとつの趣味になった。そして自然の中に身を置くことで、改めて時間の流れと向き合ったり、四季の移り変わりや、匂い、色を敏感に感じとることができた。

アルバム『嗚呼』発売記念「スペシャルライブ&肩たたき会」(6/1ラゾーナ川崎)
アルバム『嗚呼』発売記念「スペシャルライブ&肩たたき会」(6/1ラゾーナ川崎)

「休むちょっと前から、割と少年的な発想で、基地とかキャンピングカーとか欲しいなと思っていました。ただあんまり具体性とか現実味がなくて、忙しかったということもあって、それまで自分の趣味を掘り下げたり見出したりすることがなかったんです。友達やスタッフとある湖の畔にキャンプに行ったとき、ここいいなぁと思って、ネットでたまたまその近くの山小屋が売りに出ているのを見つけて購入しました。本当に山奥にある小さな山小屋で、中古物件なのでリフォームに奔走していました。やっぱり一人で生活していると色々とやることがあるんですよね、例えば掃き掃除とか薪を割ったり、掃除が終わってもテレビがないので、その後圧倒的に時間が流れていくんです。普段だったら見過ごしているような、安直な表現だけど木々の彩りが移ろっていくのとか、日が陰っていくのとかを見て、あ、こんな感じなんだって」。

山小屋、旅行…初めて趣味が見つかり、気持ちが外に向いてきた

山小屋にはレコーディング機材も持ち込まず、意識的に音楽から距離を置いた。そして山小屋での生活に加え、元々出不精だった森山が旅にも出かけた。自分でも「内向き」だという性格が、気持ちが、「外向き」になっていった。

「ギターを視界に入れるのもやめようという時期だったので、機材は持ち込みませんでした。それよりも誰かを呼ぼうとか、リフォームの事ばかり考えていました。他には、親友を訪ねて台湾に行ったり、FCバルセロナが好きなので、スペインまでサッカーを観に行ってみたり、そういう旅はしました。これまで凝り固まった習慣の中で生きてきて、そこから少し外に出てみることで、客観性のようなものが見えてきて、例えば昔言われたあの言葉って、そういう意味だったのかとか気づくことができたり。一つの場所にいるとどうしても見える景色は同じで、付き合う人との関係性も変えずに自分を変えようと思っても相当根性がいると思うんですよね。でもどうやらそういう時期に差しかかっていたようで、出不精だった僕が山小屋生活をしたり、少し旅に出られたということは、自分の中でフィジカル的にもそっち側に行けたということなので、内面も変化してきています。基地で一人でいると、どこに行こうかとかずっと考えていて、あの大きな仕事終わったら、これぐらいお休み取らせてもらってこれしようかなとか、今までそんなこと考えたこともなかった。でも思いを張り巡らせるということが自分の好奇心で、その先に出会いがあるし、その出会いの中に成長があるから、当たり前のこと言ってるんですけどね(笑)。本当だったらこの休みでもっとアグレッシブに色々なところに行けたかもしれないのに、まず基地を作るっていうのは自分ぽいなあと思って。でも以前には全くなかった外へ外へという感覚、意識が出てきました。後はもう行動に移すか移さないかなんですが、これで結局想像で終わっていくパターンもありますからね(笑)」。

森山は仕事と休みに関してはきっちりと分けることなく、仕事自体がある種アドベンチャーであるべきだという考えの持ち主だ。

「旅することもやっぱり活動の一環だし、こもって自分と向き合うことも作業の一環だったりするので、全部地続きでなければいけないんですよね。そういう意味ではオフの考え方とか、オンとオフのスイッチみたいなのは、もしかしたらちゃんと生活していればなくていいのかなって。曲づくりもプライベートもすみ分けなく、興味の対象というか好奇心の先にあるものというのが一番望ましいですよね。本当にやりたいことをやったほうがいいのですが、世の中は意外とやりたくないこと、やらなくていいことがたくさんあって、そういうことに浸食されたり、蝕まれたりして、本来自分がやるべきことや、本当にやりたかったことってこういう事じゃないんじゃない、ということをやっている気がします。もちろん組織とかコミュニティのなかで役割があるというのは、生きているうえで支えになるし、でも一番大切なのは自分が興味を持ってやっているかどうかで、物事に対する興味、自分の内面に対する好奇心につながっているのかと、まさに今問いかけられているところです」。

マネージャーが離れ、全てが自分の手に委ねられ、”覚悟”を決めアルバム制作に向き合った

活動“小”休止も大きなトピックスになったが、森山にとってはもうひとつ大きな出来事があった。それはこれまで森山の活動を支えてきた中心スタッフが離れたことだ。

「実の姉でもあるマネージャーが離れ、冒頭に話したような根本的な衝動がエネルギーとしてないと、誰も動いてくれないし、何も始まらない状況の中で作ったものが『嗚呼』なんです。ただ自分は表現したいという欲求だけはあって、でもその欲求ひとつひとつがなかなか繋がってこないというジレンマもあって。それで今回は覚悟を決めたというか、今までは目を背けていたことに向き合ったり、一つ一つ過去を見つめ直したりして、こういうふうにしたいと具体的なことをスタッフにプレゼンしていきました。核心を伝えていく作業と、共感してくれた人たちとそれを詰めていく工程を経て、メジャーデビューしたときに作ったミニアルバム(『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』(2002年))以来の、自分のこだわりとかアイディアとか気づきを、全て投影した作品になりました」。

昨年9月にシングルとしてリリースした「生きる(って言い切る)」を除き、今回レコーディングした8曲は河野圭との共同アレンジという形で森山自身がサウンドプロデュースを手がけ、細部にわたるまでこだわりを見せている。

「プロデュースという範疇よりも、自分はこうしたいてみたいという全体像、細かい部分を提示する感じでした。基本的にはトータルで関わっています。改めて、本当に今まで色々な人に助けてもらっていたんだなって思いました」。

ゼロから全て自分でてがけることで、スタッフや仲間の存在のありがたさを改めて実感

アルバム制作の中心に自分が立つことで、支えてくれているスタッフの力の大きさを再認識した。一度立ち止まったからこそ気付けたことでもある。それにしても今?という感じもしなくはないが(笑)

画像

「わかってはいるんですけどね(笑)。でもいざ自分が最前線に立ってみると、ひと筋縄ではいかないですよね。人と時間とお金を遣って、わざわざ一から作るんですから、それは中途半端なことはできないですし、利益だけ求めて作ってもダメだし。今までは歌っているだけで良かったけど、アートワークとか、そこに付随するエトセトラまで自分で考えることになりました。でも逆を言うと、ひとつひとつのディテールがアルバムの良さを引き出してくれるから、アルバム作りというのはひと筋縄ではダメだし、だからこそ面白い化学反応がたくさん起こるんだということを、改めて知るきっかけになりましたね、情けない話。誰にも頼れないし誰も最終的には責任取ってくれないですし、取ってくれないっておかしな話で、自分の名前でやっているんだから。そこは恥をかいてもいいし、未熟なものでもいいからやってみようっていうところで、一歩踏み出してみようという感じでした。その中でフラットで、いつもと変わらない態度で接してくれるスタッフや仲間がいたことに感謝しています」。

森山は自分がアーティストと呼ばれることを嫌う。アーティストという言葉の意味や括りが不明確、ということもあるが、彼の仕事への向き合い方も大きく影響している。

「アーティストというのは、やっぱり僕のなかではものすごく限られた人間だと思っているので、どちらかというと僕はもう少し“道化師”に近いというか、“道化師”の中にもアーティストはいると思いますが。アーティストになりたいという人がたまにいますが、そういう人にはアーティストはなるものじゃないよー、アーティストって職業じゃないんだよー、宿命なんだよって教えてあげたくなっちゃいます。僕はもう少し文化祭ノリというか、放課後、遊んでいる延長でやっている感覚です。以前(笑福亭)鶴瓶さんに言われたのですが「一生素人でいろよ」と。その言葉には若造ながら共感しました、そういう身の程をわきまえて、どういうものを発信できるかということです。身の丈を知りつつ、その身の丈をこういう活動のなかでちょっとでも伸ばしていきたいというのが、ひとつの目標ですね」。

赤ちゃんが最初に発する言葉は「ああ」。「嗚呼」は喜怒哀楽、全ての意味をはらんでいる言葉

アルバムの『嗚呼』はもちろんタイトル曲「嗚呼」がポイントになる1曲ではあるが、それ以外も“新しい空気”を吸った森山から発せられる言葉とメロディとが詰まっているが、1曲だけ他の曲とは一線を画す、より“感傷的”な曲がある。「金色の空」だ。“そうやってまたひとり部屋に籠もり”という歌い出しからもわかるように、“小”休止して、未来のためにも音楽から少し離れようと思い、山小屋にこもっていた森山が、我慢できずに創った曲だ。それがスタッフが求め、彼が探していた深いところが湧き出る“衝動”なのかどうかは本人にしかわらないが…。

「「金色の空」以外は今年に入って作った曲です。「金色~」は我慢できなくて去年作っちゃいました。音楽を通して表現活動を続けていきたいと思いつつも、何したっていいんだよって思っている自分もいたので、逆に言うと何もしなくてもいいんだよという感覚も根底にあって。だから「金色の空」ができた時も、すごく個人的な内容だし誰にも聴かせなくてもいいやって思いました。いつもは曲ができたら、大体、御徒町(凧=楽曲共作者の詩人)に聴かせようとか、これ聴いたらスタッフはどういう顔するかなと思うのに、そういう感じも全くなく、誰にも見せない日記とか絵を描く感じで書いたので。だからアルバムの中でこの曲だけ感傷的ですよね。今まではそういう感じのものとか、いわゆる人々の共感を得やすいものに対しては、ある程度線をひきながら曲を作ってきたので、こういうタイプの曲は今までアルバムにラインナップされることはあまりなかったんです。でも今回は新しいアルバムに「お休みさせてもらって戻る時にこの曲が入っていないのは不自然だ」と御徒町に言われ、本当はもっと温めて、曲との付き合いを深めて、いつか死ぬまでに出せたらいいと思っていたのですが「いやそれは今出すべきだって」と彼が譲らず…。「嗚呼」という、アルバムのタイトルにもなっている曲は、去年の秋頃、休んでいるところに御徒町からモチーフが送られてきて、具体的に言葉になったのは年末でした。年明けしばらくしてこの曲が出来たことが今回のアルバム制作の出発点となりました。赤ちゃんが最初に発する言葉って「ああ」なんですよね。「嗚呼」という言葉は喜怒哀楽、すべての意味をはらんでいるんです。世の中には応援ソング、恋愛ソングとか色々なテーマやジャンルがありますが、それは聴いた人が決めることで、創作の衝動として、表現の在り方として、我々が今出せるのはこれくらい木訥とした響きなんじゃないかって、その絵だけははっきりと見えていました。40のおじさんの悲壮な叫びとして終わらせたくないですよね(笑)」。

彩り豊かで瑞々しい、”新しい森山直太朗”の息吹を感じる作品『嗚呼』。キャリアの中でもポイントになる一枚は「嗚呼~」と「魂~」が大きな力に

アルバム『嗚呼』には彩り豊かな楽曲が9曲。肩の力が抜けつつも、しっかり芯があって、より優しさと力強さを増し、そしてクスッとできる部分もあり、このタイミングでこんなにも瑞々しい作品を生み出すことができたことは、森山のキャリアの中でも大きなトピックスになるのではないだろうか。歌がより際立つ丁寧な音作り、メロディ、サウンド、言葉、コーラスが醸し出すリズムが、極上の心地よさ生み出している。1曲目の「魂、それはあいつからの贈り物」の爽やかなイントロからラストの「生きる(って言い切る)」まで、“新しい森山直太朗”の息吹を感じることができる。

「小休止前のシングルが「生きる(って言い切る)」という曲で、なにか自分たちなりに句読点とか杭を打って、小休止しようというビジョンが当時あって、渾身の一曲でなければいけない、今しかできないものをということで、絞り出して何曲かその時期作ったんです。9月にリリースするというのは一応決めていて、できなかったらやめよう、無理して出さないで、静かにお休みに入ろうって思っていました。やっぱりお世話になっている人に向けてもそうだし、自分たち自身の一つの活動の節目としても、こういう曲を作ろうということになって作った何曲かの中の、ボツになった一曲が「魂、それはあいつからの贈り物」なんです。だからすごく思い入れがあって、MUSIC VIDEOも撮っていて、。そういう意味では「嗚呼」と「魂~」の2曲が今回のアルバムを作ろうと思えた一つの遠心力になっています」。

「目の前を通り過ぎていく風景、違和感、その細部にこそ人生の妙、機微があると信じている」

喜怒哀楽を一枚のなかでしっかり感じることができ、“生きる”“生きよう”という前向きなメッセージが、後ろでずっと流れているようだ。クスッと笑える要素を持つ歌もあれば、ズバッと人間の核心をついたメッセージ性のある歌もあって、そのメリハリが人間くさくていい。嘘がない感じ。そういうところが多くのファンから支持されている理由だということを、『嗚呼』というアルバムを聴いて改めて感じる。

アルバム『嗚呼』発売記念「スペシャルライブ&肩たたき会」(6/1ラゾーナ川崎)
アルバム『嗚呼』発売記念「スペシャルライブ&肩たたき会」(6/1ラゾーナ川崎)

「ありがたいですね。御徒町と二人で曲を作るというのは、高校時代から変わっていないんですけど、普段自分たちの前を通り過ぎてしまっている違和感とか景色って、数えきれないほどあると思うんです。視覚に入ったものに対して脳は反応して、そのたびに何かを思い、感じ、でも何か理由があったり、それよりも大事なことに捉われて、本能的に感じているものとか、無意識のうちに捉えたことをうやむやにしながら生きているんですよね、たった今も。僕たちの曲はそれが詞になっている、歌になっているんです。だから景色とか描写が多かったりするんです。この「電車から見たマンションのベランダに干してあったピンク色のシャツ」という曲は、正に「ええ!そこ切り取る?」ってところなんですけど、こういう細部にこそ人生の妙とか機微があると信じているし、「どこもかしこも駐車場」(アルバム『自由の限界』(2013年)に収録)とかもそうですよね。あると信じているし、偉大な先人達、さだまさしさんとかマイケル・ジャクソンとかいる中で、さださんとマイケル・ジャクソンを引き合いに出すのもすごいけど(笑)、俺たちが歌えることってそれぐらいしかないよねって個人的には思うし、そこだったら今の時代に歌っている意味があると思っていて。そういう本当にちょっとした微々たるところに誇りはあるんです」。

「とにかく心地よく感じてもらえるもの、ただただ気持ちいいものを作りたかった」

4曲目の「とは」では、最後のコーラス部分、ウィスパーボイスが印象的なシンガー・ソングライター、阿部芙蓉美との掛け合いが絶妙で、心地いい。「とは」だけではなく、アルバム全体に“心地よさ”が漂い、今の森山の充実ぶりが伝わってくるようだ。

「3年ぐらい前に、彼女の曲聴いたときに、歌声もさることながら、その音楽とアレンジも素晴らしいと思いました。今まで自分発信でこの人とやりたいって言ったことがなかったのですが、いつか阿部さんの曲をアレンジしている人と、一緒にお仕事したいなと思っていました。それで今回河野さんにお願いしました。河野さんとの出会いのきっかけを作ってくれたのが、阿部さんの声でした。本当に曲に広がりが出ました。コーラスに関しては「とは」以外は自分でやっています。僕もそうだし、御徒町もそうなんですけど、意味のないもの、言葉というものが意味をなくす瞬間が、音楽をやっていて楽しい瞬間なんです。ただ心地良い、まるでシャワーにスローモーションで打たれているような感じ。音楽というのはそうあるべきだというイメージをもってやっているので、まず言葉よりも、響きとしてコーラスも含めて気持ちのいいものを創りたいということを御徒町とスタッフには提案しました。色々な人が僕の言葉を評価してくれたり、面白がってくれたり、古き良きとか四季折々とか森羅万象みたいな例えをしてくれるのですが、そういう感覚を超えた、ただただ気持ちいいものを作りたかったんです」。

「生きる(って言い切る)」という曲は、活動“小”休止前に作り、発表した曲で、新しい曲達の中でこの曲がどういう存在になるのかが気になっていた。しかし9曲目、ラストでしっかりと存在感を示しながら、アルバムを引き締めている。

「そうですねやっぱりこの曲がなかったら、こういう今の状況には至っていないし、次のアルバムに入っているかというとそれもなんか違うし、「金色の空」とまた違った感じでここに入って然るべきだと思いました」。

『嗚呼』と”おかんアート”のステキな関係

『嗚呼』は森山自身がアートワークにもこだわった。本人がこのアルバムのジャケットにはこれしかないと選んだのは、“おかんアート”だった。その家のお母さんが作った一見アート風の玄関やリビングに飾ってある、誰もがどこかで一度は目にしたことがあるものだ。

『嗚呼』(初回限定盤;6/1発売)
『嗚呼』(初回限定盤;6/1発売)

「都築響一さんによる“おかんアート”ジャケットも素晴らしいので注目して下さい。興味の対象にあるものが、やっぱり基本的にみんなが通り過ぎていくコアサイドなんですよね(笑)。“おかんアート”って誰もがどこかで一度は見たことがあるんです。色々とアイディアを探したのですが、やっぱり「嗚呼」という言葉と、おかんアートの相性が抜群に良かったんですよ。このための響きだったのかな「嗚呼」って(笑)」。

画像

<Profile>

1976年、東京都生まれ。2001年3月インディーズレーベルより“直太朗”名義で、アルバム『直太朗』を発表。'02年10月ミニアルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』でメジャーデビューを果たし、翌2003年「さくら(独唱)」の大ヒットで一躍注目を集めた。その後もコンスタントにリリースとライヴ活動を展開。独自の世界観を持つ楽曲と、唯一無二の歌声が幅広い世代から支持されている。また、'05年には、従来のコンサートでも垣間見せた、シアトリカルな要素を高めた音楽劇での劇場公演『森の人』を成功させ、'06年には楽曲の共作者でもある詩人・御徒町凧の作・演出による演劇舞台『なにげないもの』に役者として出演。メジャーデビュー10周年を迎えた'10年にも7年ぶりとなる劇場公演『とある物語』を開催。音楽だけにとどまらない表現力には定評がある。'14年にはフジテレビ55周年ドラマ『若者たち』の主題歌を手がける。同年11月にはアルバム『黄金の心』をリリース。このアルバムを携え、'15年1月から半年間に渡り全国ツアー『西へ』を行い、このツアーを経て生まれた楽曲『生きる(って言い切る)』を2015年9月にリリース。'16年6月1日、約半年の”活動小休止”を経て生まれたニューアルバム『嗚呼』をリリース。