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オリラジ・中田敦彦の動画「松本人志氏への提言」の納得と違和感

田辺ユウキ芸能ライター
オリエンタルラジオの中田敦彦(左)(写真:アフロ)

お笑いコンビ、オリエンタルラジオの中田敦彦が5月29日に自身のYouTubeチャンネル『中田敦彦のYouTube大学』へ投稿した動画「【松本人志氏への提言】審査員という権力」の波紋が広がっている。

同動画は、松本人志(ダウンタウン)が多数のお笑いの賞レース番組で審査員をやっていることを話題に挙げ、「全部のジャンルの審査委員長が松本人志さんという、とんでもない状況」「松本さんが『おもしろい』と言うか、言わないかで新人のキャリアが変わる」などとコメント。「ほかの業界だったら信じられないぐらいの独占状態」とし、「松本人志さん以外の価値観を持つ人たちにそのハンドルを渡すことで、お笑い界に新しい価値観や新しいスターができる土壌を作ることが、お笑い界全体への貢献になるのではないか」と“提言”した。

中田敦彦が投稿する多くの動画の特徴は「納得と違和感」で構成されているところだ。自身の知識をもとに、資料なども持ち出してきて事実関係を強化し、さらに話の組み立てのうまさで視聴者を納得させながら、一方であえて違和感をまじえることで「意見」「反論」の余地も作る。視聴者がなにかを言いたくなる仕掛けを動画内に散りばめることで拡散されやすくなり、再生回数を伸ばしている。今回の「【松本人志氏への提言】審査員という権力」は、そんな中田の「納得と違和感」の方法論が発揮されていると感じた。

中田敦彦の主張から読み取れる「賞レースのあり方」について

納得できるところは、『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)、『キングオブコント』(TBS系)で審査員をつとめ、新設された『THE SECOND〜漫才トーナメント〜』(フジテレビ系)でもアンバサダーを担当するなど、大型の賞レース番組の重役が松本人志に“一極集中化”していることで、判断基準や価値観に偏りが生まれているのではないかという部分。中田敦彦は芥川賞を例にして「(審査員が)どの作家が良い文学かっていうのを規定できる」と言い、それがお笑いの賞レースの松本人志にも当てはまると持論を展開。つまり「松本人志が認める=おもしろいお笑い、良いお笑い」ということだ。

たしかにお笑い芸人のネタや、観客が「おもしろい」と感じることは多様であるべきだ。そういう意味で、松本人志に審査の行方が委ねられ過ぎている現状は「健全」ではないのかもしれない。特にこういった大型の賞レース番組での結果が、お笑い芸人たちの人生を左右するこの時代。判断を下す審査員にハマるか、ハマらないかは重要な鍵となる。中田敦彦が口にするように、そのなかでも松本人志の存在感はひときわ強い。賞レースは数多いのに責任が“一極集中化”して良いものかとの意見は理解できる。もしも彼が不在の状況になった場合、年々大きくなっている各賞レースはどこまで機能するのかという疑問もある(中田敦彦は不在になることを願っているが)。

中田敦彦はひとりのお笑い芸人として、これからのお笑いシーン、そして賞レースのためにも今のうちに“一極集中”の状況を薄め、より幅広い視野でお笑いが評価されて欲しいと言いたかったのではないか。

『M-1』『キングオブコント』はあくまでバラエティ番組であること

中田敦彦の言葉から「納得できるところ」をすくいあげたが、ただ大きな違和感があることも否めない。重要なのは、松本人志が審査員をおこなっている『M-1』『キングオブコント』といった大型の賞レースはあくまでテレビのゴールデンのバラエティ番組であることだ。

松本人志ほどの売れっ子がバラエティ番組に目立つ形で出演するのは当然のことであり、またテレビという大衆メディアにおいて、その業界のシンボリックな存在がそこにいるのは必要なことでもある。その重宝のされ方は、人によっては「権威」と捉えられるだろうし、もちろん「権威ではない」という人もいる。ただシンプルに松本人志がお笑い芸人として誰よりも売れているということであり、各番組から求められているということだ。もし彼がゴールデンにふさわしい数字が稼げなかったり、厄介な問題をかかえているのなら番組として出演依頼しなければ良いだけの話だ。

また、中田敦彦は「中田で笑うのって結構、知性がいるからね」と同動画をしめくくったが、個々の芸風のあり方はそうであっても、果たしてお笑い番組、バラエティ番組を知性ありきで観なければならないのだろうか。「自分の笑いには知性が必要」という言葉はお笑いをよほどディープに見ている人に向けられるものであるだろうし、そうではなく軽い感覚で『M-1』などを楽しむ多くの視聴者にとって、「松本人志」という良い意味で分かりやすい存在はやはり大切なもの。「このネタはどこで笑ったら良いのか」「どういう意味なのか」などを教えてくれるガイドのような役割にもなる。そのガイド役は一般的にキャッチーでシンボリックであればあるほど説得力を持つ。そういったポジションを任されている松本人志は、それだけ幅広く好まれていて信頼も置ける芸人である、ということだ。

中田敦彦は松本人志のカリスマ性や功績を認めていたが、それが“一極集中”の答えでもある。賞レース番組が大型であればあるほど、たくさんのスポンサーや協賛も必要になってくる。番組がバックアップを受け続けるための説得材料としても、松本人志の名前は大きい。それは中田敦彦が言うようにカリスマ性と功績があり、そして一般的にもっともよく知られているお笑い芸人でもあり、なにより人気が高いからだ。ニュース性もある。“一極集中”している理由においても、やはりそれだけ松本人志の信頼が計り知れないということ。賞レース番組の華々しい演出も、コンテンツの数々も松本人志がいるからこそ実現出来たところもあるだろう。賞レースでの松本人志の影響はビジネス的にも大きな可能性があり、それらも含めて『M-1』などが若手芸人たちの目標になっているのではないか。

賞レースと『すべらない話』『IPPONグランプリ』が同列に語られた違和感

もうひとつ違和感があったのが、『M-1』『キングオブコント』と『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)、『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)が同列に語られていた点。後者の2番組は、たしかに「その回の1番を決める」という趣旨に違いはなく、また出演する芸人も松本人志から「おもしろい」と言ってもらうことに至福を覚えるのだろう。

ただ両番組とも賞レース感はない。まさにバラエティ番組である。中田敦彦は、松本人志と同じく大御所の明石家さんま、ビートたけしは賞レースの審査員をやっていないと言っていたが、ただ明石家さんまにしても『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)や『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ系)などがあり、それらの番組は芸人らが明石家さんまに自分たちの力を試したり、見せたりする場になっている。スタイルは異なるが、一般的な視聴者にとってはトークバラエティとして『人志松本のすべらない話』とそんなに違いはないように思え、『M-1』『キングオブコント』と同列に語って「審査員をやりすぎ」と批判するには少々無理があった気がする。

「あえて違和感をまじえる」というところでは、霜降り明星の粗品の名前を唐突に出した部分が印象的だった。粗品が自分のチャンネルを観ていることを知っていて、松本人志についてどう思うかを問いかけた。粗品の相方・せいやは、中田敦彦が自分の主張に粗品を巻き込んだことに激怒したが、感情的になるのは当然。ただこれは中田敦彦からすれば、粗品が話に乗ってくれば儲けもの、リアクションがなくてもノーダメージである。あと、松本人志の恩恵を受けずにここまでやってきたと自分の実績を誇り、その姿勢が高慢に映ったことから視聴者の反感を買ったとされているが、これも「そうすることで反響がある」と見越しての態度であるように思えた。これらは“あっちゃん流”の計算した違和感であると筆者はにらんでいる。

中田敦彦は、自分が松本人志の“流派”ではないから思い切ったことが言えるとしている。もちろん、お笑い界には同じことを考えていたり、“流派”ではなかったり、中田敦彦に賛同する芸人もいるはず。それであれば、彼の現在のフィールドであるYouTube、もしくは支持が得られるのであればテレビなどを使って、対抗できるなにかを発信するべきだろう。彼がなんらかの形を作ってカウンター的な立ち位置を担うのであれば、それはそれでお笑いシーンの動きとしておもしろくなるはず。実際、今回の動画が大きな話題になるほど「目が離せない存在」になっているのだから。

芸能ライター

大阪を拠点に芸能ライターとして活動。お笑い、テレビ、映像、音楽、アイドル、書籍などについて独自視点で取材&考察の記事を書いています。主な執筆メディアは、Yahoo!ニュース、Lmaga.jp、Real Sound、Surfvote、SPICE、ぴあ関西版、サイゾー、gooランキング、文春オンライン、週刊新潮、週刊女性PRIME、ほか。ご依頼は yuuking_3@yahoo.co.jp

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