Yahoo!ニュース

『紅白歌合戦』有吉弘行、ダチョウ倶楽部、純烈が歌唱した「白い雲のように」楽曲背景から紐解く感動の理由

田辺ユウキ芸能ライター
(写真:アフロ)

「最初は有吉のこと認めてなかったの。猿岩石自体を認めてなかった。アイドル的な人気だし、歌なんか出して」

2022年5月に亡くなったダチョウ倶楽部の上島竜兵さんは、お笑いコンビ・猿岩石として活動していた有吉弘行について、かつてこのように考えていたという(書籍『サラリーマン芸人』(2012年/双葉社)より)。

有吉弘行「上島も喜んでいると思います」

2022年12月31日に放送された『第73回NHK紅白歌合戦』で有吉弘行は、ダチョウ倶楽部の肥後克広、寺門ジモンとともに、純烈とのコラボステージに登場した。そこで披露したのが、猿岩石のヒット曲「白い雲のように」(1996年)。同曲は純烈とダチョウ倶楽部がユニットとして歌っていた。有吉弘行にとっては、テレビ番組でこの曲を披露するのは13年ぶりだった。

『紅白歌合戦』のイチ視聴者としての感じ方だが、有吉弘行は自身のパートの歌い出し<ポケットのコインを集めて 行けるところまで行こうかと君がつぶやく>から、こみあがるものがあったように見えた。

そして曲の終わりをダチョウ倶楽部の定番ギャグ「ヤー!」で締め、両手でマイクをつつみこんだ。まるで手をあわせているようであり、撮影カメラの角度がやや下からだったこともあって、有吉弘行が空を見上げているようにも映った(実際は客席を見上げていたのだろう)。さらに手を口にやる仕草、「上島も喜んでいると思います」という言葉。上島竜兵さんと有吉弘行の仲の良さはよく知られていた。だからこそ視聴者は、場面の一つひとつを深読みしたり、いろんなことをくみ取ったりして、そのすべてに感動させられた。

もちろんそこには、ダチョウ倶楽部の肥後克広、寺門ジモンのひたすら明るいステージング、そして「上島さーん」と呼びかけるなどした純烈のメンバーたちの温かさもあり、感動が後押しされた。どれもまったく演出めいていなかった。とても純粋で、やさしいライブだった。それらもあわさって今回の『NHK紅白歌合戦』のなかでもっとも泣けたパフォーマンスになり、そして多幸感があふれた。

「白い雲のように」が発表当時に映し出していた未来への不安感

「白い雲のように」は、1990年代に熱狂的な人気をあつめたバラエティ番組『進め!電波少年』(日本テレビ系)のなかで、猿岩石が挑んだ企画「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」をきっかけに生まれた楽曲。

もともと「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」は“騙し企画”だった。猿岩石は企画内容を知らされないまま、事務所のすすめで番組のオーディションを受けて合格。その後は特に打ち合わせもおこなわれず、「ネタを2、3個作っておいて」と言われただけ。1996年4月13日、夕方5時半に香港へ到着し、その1時間半後、カメラ前に立たされて「イギリスまでヒッチハイクで行く」ということを知らされた。

「白い雲のように」は、作詞は藤井フミヤ、作曲が藤井尚之、プロデュースを秋元康がつとめ、1996年12月21日にリリースされた。流されるように旅に出て、いつ着くかも分からないゴールを目指す猿岩石の姿が反映された曲内容だ。また帰国後は意図しないかたちで人気者になってしまったコンビの“浮遊感”も楽曲からは感じられた。ちなみに有吉弘行はレコーディング時、歌詞やメロディーを覚えて来ず、一方の相方・森脇和成は藤井フミヤに歌い方が似てしまうほど事前に聴き込んでいたという(書籍『猿岩石 芸能界サバイバルツアー 公式版』(1997年/太田出版)より)。コンビ間でも歌に取り組む姿勢には、かなり温度差があったのだ。

楽曲のサビは<風に吹かれて 消えてゆくのさ 僕らの足跡>。有吉弘行は自著『お前なんかもう死んでいる プロ一発屋に学ぶ「生き残りの法則50」』(2012年/双葉社)で、「僕は昔からいつでも『自分がこの先どうなるかわからない』と思いながら生きてきました。猿岩石でアイドル並みの人気だったときも、『こんな人気続くわけがない。自分たちの実力であるわけがない』って結構冷静に考えてました」と語っていたが、まさに猿岩石の行末を暗示したような歌詞だった。

それだけではなく曲の発表当時、リスナーのなかには自分たちの未来への不安を言い当てられたような気がした人もいたはず。バブル崩壊後の不景気のまっただなかで、就職氷河期が迫っていたからだ。「白い雲のように」には、無名だった若手お笑いコンビがさまざまな物事に翻弄される様子を通して「時代の不安定さ」が映し出されていた。どこか切なく、はかない曲であり、若者にとっては身に染みるところがあった。

「風に吹かれても消えない足跡」があること

ただ『紅白歌合戦』での「白い雲のように」は、しんみりするところが一瞬もなかった。「泣けた」が、それはネガティブな要素からくるものではなかった。とても前向きな印象を受けた。それはなぜなのか。

前述したように、上島竜兵さんは、有吉弘行に対して最初は良いイメージを持っていなかった。有吉弘行も、ダチョウ倶楽部は圧倒的に格上であることを認めながらも、「上島さんのことは『なんか、いつも機嫌悪い人だなぁ』と思ってたし、『こんな人、相手にしなくても十分生きていけるだろう』と思ってました。別にこの人と接点ないだろうって」と距離をとっていたという。上島竜兵さんも、「なんか、いっぱいマネージャーとかも付いてよ、大名行列みたいにして、なんか気に入らなかった」と猿岩石の人気を妬んでいたようだ(いずれも『サラリーマン芸人』より)。

その後、猿岩石フィーバーは落ち着き、有吉弘行は芸人として「地獄の低迷期」に入った。そうなったとき、面倒をみてくれたのが、猿岩石を妬んでいたはずの上島竜兵さんだ。最初は「相手にせずに生きていこう」と牽制していた、ふたり。しかしやがて芸歴や年齢をこえての付き合いになっていった。

音楽とはおもしろいもので、時代の移り変わり、歌っている人たちの状況によって、楽曲本来のメッセージも違って聴こえてくる。

『紅白歌合戦』での「白い雲のように」からは、有吉弘行はもちろんのこと、肥後克広、寺門ジモン、純烈、それぞれが上島竜兵さんとたどってきた道のりや関係性が重なって聴こえた。まるで私たちが知らないエピソードまで、歌を通して教えてくれているようだった。なにより全員、上島竜兵さんとの思い出をとても大切にしていることがパフォーマンスからうかがえた。楽曲にもともと流れていた「切なさ」「はかなさ」はそこにはなかった。もちろん「未来への不安」「時代の不安定さ」も。

<風に吹かれて 消えてゆくのさ 僕らの足跡>ーー。『紅白歌合戦』の歌唱パフォーマンスは、「風に吹かれても消えない足跡」があることを教えてくれた。それが、感動できた大きな理由ではないだろうか。

芸能ライター

大阪を拠点に芸能ライターとして活動。お笑い、テレビ、映像、音楽、アイドル、書籍などについて独自視点で取材&考察の記事を書いています。主な執筆メディアは、Yahoo!ニュース、Lmaga.jp、Real Sound、Surfvote、SPICE、ぴあ関西版、サイゾー、gooランキング、文春オンライン、週刊新潮、週刊女性PRIME、ほか。ご依頼は yuuking_3@yahoo.co.jp

田辺ユウキの最近の記事