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「ダチョウ倶楽部を考えようSP」で映し出された、新生・ダチョウ倶楽部の「誕生の瞬間」

田辺ユウキ芸能ライター
(写真:つのだよしお/アフロ)

5月11日に上島竜兵さんを亡くした、ダチョウ倶楽部。7月19日には『アメトーーーーク ゴールデン2時間SP』(テレビ朝日系)のなかで「ダチョウ倶楽部を考えようSP」と題した特集が組まれ、ダチョウ倶楽部の秘蔵映像をまじえながら「これからどうなっていくのか」について放送された。

そんな今回の特番で特筆すべきだったのは、ダチョウ倶楽部の「誕生の瞬間」が映し出されていた点だ。

1998年、代表的ギャグ「どうぞどうぞ」が初披露された瞬間

たとえば、ダチョウ倶楽部の代表的なギャグ「どうぞどうぞ」が初披露された瞬間。1998年8月25日放送『ナイナイナ』(テレビ朝日系)のロケで、地上から空へ向かって打ち上がる逆バンジーの挑戦者を決める際、共演者たちが渋々挙手するなかで最後に上島竜兵さんが立候補したとき、それは偶然できあがった。当時、譲るときの掛け声は「どうぞどうぞ」ではなく、「じゃあ」などバラバラ。いろんな掛け声のなかに「どうぞどうぞ」が紛れ込んでいた。『アメトーーーーク』出演者の有吉弘行らも、「このときは『どうぞどうぞ』じゃなかったんだね」と振り返っていた。

ほかにも『ザ・テレビ園芸』(1986年5月4日放送)でテレビ朝日の番組に初出演した結成2年目時のネタ映像が放送されるなどした。

肥後克広は「くるりんぱ」、寺門ジモンは「キス芸」を継承

写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ

視聴者的に感動した部分は、番組を観進めるなかで、そういった「誕生の瞬間」が過去の出来事ではなく、現在進行形になっていたところではないだろうか。

番組終盤、上島竜兵さんがいない状況で定番のギャグをどう引き継いでいくかという話題になった。そこで肥後克広は、上島竜兵さんの持ちネタ「くるりんぱ」を、テンポや間合いがぎこちないながらもやってみせた。たどたどしさに周りからツッコミをいれられながらも、番組内で肥後流の「くるりんぱ」を誕生させたのだ。

喧嘩が始まりそうなふたりが顔を近づけあって最終的にキスをする「キス芸」も、寺門ジモンが出川哲朗を相手にチャレンジ。ただこちらも上島竜兵さんの「キス芸」のスムーズさとは打って変わり、寺門版は勢いがつきすぎるなどしてあまり上手にはいかなかった。その初キス芸を見た出演者・土田晃之は「不安しかない」と言ったが、それでも寺門ジモンは続行する決意があるという。

もし今後、肥後克広の「くるりんぱ」、寺門ジモンの「キス芸」が人気を集めるようになれば、このときが「誕生の瞬間」として語られることになるだろう。

定番芸でありながら、どこか新鮮でもあった

写真:アフロ

さらに肥後克広、寺門ジモンは「新熱々おでん」を初披露。箸に刺したこんにゃくが肥後克広の指にまでずり落ちてきて予想外の「熱々」が起きるなどし、大きな笑いも巻き起こった。

「新熱湯風呂」では、肥後克広と寺門ジモンが服を脱ぐのにモタつくという、狙いなのか、それともこのふたりだとちゃんとできないのか、そのあたりが分からないところがおもしろかった。しかも肥後克宏が持ち込んだ上島竜兵さんの写真を先に熱湯へダイブさせる前代未聞の技まで。

また両芸でツッコミにまわった寺門ジモンの叩き方が強すぎることも、ここでの初出しならではの動作ではないか。

いずれも新たな船出を感じさせるものだった。定番芸でありながら、どこか新鮮でもあった。今回の『アメトーーーーク』は、ダチョウ倶楽部のふたりがこれからも芸人として新しいことに挑戦していくという意思表示になっていたのではないか。

まさに、新生・ダチョウ倶楽部の「誕生の瞬間」を鑑賞することができた。

芸能ライター

大阪を拠点に芸能ライターとして活動。お笑い、テレビ、映像、音楽、アイドル、書籍などについて独自視点で取材&考察の記事を書いています。主な執筆メディアは、Yahoo!ニュース、Lmaga.jp、Real Sound、Surfvote、SPICE、ぴあ関西版、サイゾー、gooランキング、文春オンライン、週刊新潮、週刊女性PRIME、ほか。ご依頼は yuuking_3@yahoo.co.jp

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