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御嶽山噴火から9年、規制緩和された「八丁ダルミ」を歩く 山小屋には当時の傷跡と「風化させない」思いが

関口威人ジャーナリスト
霧深い八丁ダルミを歩く筆者(9月20日、花井知之撮影/NAMEDIA)

 長野、岐阜県境の御嶽山(標高3,067メートル)が2014年に噴火してから27日で9年。死者・行方不明者が63人に上る戦後最悪の噴火災害ですが、記憶の風化も懸念されています。

 今シーズンは山頂近くの登山道「八丁ダルミ」が規制緩和され、一般の登山者も立ち入れるようになりました。

 私は噴火翌年の2015年から、取材と慰霊を兼ねてほぼ毎年この時期に御嶽山に登ってきました。今回も1週間前の20日から21日にかけて登山し、初めて八丁ダルミに立ち入れたので、その様子をお伝えします。

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2023年の入山規制図(木曽御嶽山安全対策情報サイトから)
2023年の入山規制図(木曽御嶽山安全対策情報サイトから)

王滝口登山道。今シーズンは八丁ダルミと二ノ池トラバースが規制緩和で10月11日午後2時まで通れるようになった(王滝村の2022年資料に筆者加筆)
王滝口登山道。今シーズンは八丁ダルミと二ノ池トラバースが規制緩和で10月11日午後2時まで通れるようになった(王滝村の2022年資料に筆者加筆)

遮るものなかった現場を実感

 八丁ダルミは長野県側の「王滝口」登山道の頂上から、さらに130メートルほど高い「剣ヶ峰」に至る尾根筋のコースです。

 9年前は好天の週末、ちょうど正午前で大勢の登山客が八丁ダルミを歩いていました。すると剣ヶ峰に向かって左手の谷からもくもくと灰色の噴煙が。やがて大小の噴石がバラバラと落ちてきただけでなく、「横殴りで飛んできた」という登山者の証言もあります。

 実際に八丁ダルミを歩くと、草木はなく、赤茶けた砂と石が延々と広がるだけ。噴石や火山灰を遮るものはほとんどありません。最初の100メートルほどを歩くと「まごころの塔」と呼ばれるモニュメントや神像群がありますが、身を守るには不十分だったようです。

 その道のりをジンバルカメラで動画に収め、昨年撮影したドローン映像と合わせて下のように編集しました。

 噴火後、地元自治体の一つである長野県王滝村は、登山者が身を守れるように八丁ダルミの2カ所に鋼鉄製シェルターの設置を計画。設置作業は昨シーズン中に行われる予定でしたが、噴火警戒レベルが一時的に引き上げられたことからシーズン中には設置ができませんでした。

 その後、ようやく2基の設置が完了したことで、今シーズンの規制緩和につながったとされています。

八丁ダルミのモニュメント周辺に設置されていた鋼鉄製シェルター(9月20日、花井知之撮影/NAMEDIA)
八丁ダルミのモニュメント周辺に設置されていた鋼鉄製シェルター(9月20日、花井知之撮影/NAMEDIA)

 かまぼこ型のシェルターは、まごころの塔のすぐ上に1基が設置されていました。非常時には30人が収容できるそうですが、実にシンプルな構造で、扉や照明などはありません。

 9年前の噴火当時は、噴煙に包まれて「自分の手も見えないくらい真っ暗になった」という登山者の証言があり、もしまた同じ状態になって、このシェルターに駆け込めるかどうか。自信は持てないというのが実感でした。

悪天候で山頂までの登山は断念

 実はこの日、午後からは山頂付近の天候が急激に悪くなり、この1基目のシェルターから上は真っ白な霧で何も見通せませんでした。本当は剣ヶ峰まで登って裏側の「一ノ池」沿いを下りる予定だったのですが、あきらめて迂回路となる「二ノ池トラバース」に進みました。

 「トラバース」とは水平移動を意味するので、平坦な道を30分ほど歩いて抜けられます。そして黒沢口登山道と合流する「黒沢十字路」から「二ノ池」方面へ。

 二ノ池は標高約2,900メートルの日本最高所の湖として知られ、かつては湖面が「エメラルドグリーン」に輝いていました。しかし、9年前に噴出した火山灰が周辺から徐々に流れ込み、湖はほとんど埋まってしまった状態に。残念ですが、それも自然の摂理と言えるのかもしれません。

 その二ノ池を通り過ぎてたどり着いたのが、今回の宿泊場所として予約していた「二の池ヒュッテ」です。

二ノ池近くにある山小屋「二の池ヒュッテ」への標識。この先も霧ですっかりかすんでしまっていた(9月20日、花井知之撮影/NAMEDIA)
二ノ池近くにある山小屋「二の池ヒュッテ」への標識。この先も霧ですっかりかすんでしまっていた(9月20日、花井知之撮影/NAMEDIA)

噴火当時の状態を残す山小屋の部屋

 二の池ヒュッテの建物はもともと、同じニノ池周辺にある「二ノ池山荘」の「新館」として建てられました。しかし、9年前の噴火で被害を受けたことや後継者難もあり、当時のオーナーが譲渡を決断。そのニュースを見て関東から移住し、新たなオーナーとなったのが髙岡ゆりさんです。

 髙岡さんは別の山小屋で働いた経験はありましたが、御嶽山に関わるのは初めて。実際の「新館」を見てみると「お化け屋敷のよう」に老朽化していましたが、地元の人たちの協力を得て手直しし、2018年にリニューアルオープン。あえて「山小屋らしくない」かわいらしい雰囲気やオーガニックな食事メニューを打ち出して、評判を広げていきました。(髙岡さん自身が化学物質過敏症だという事情もあるそうです)

二の池ヒュッテの内部。木のぬくもりある大広間で宿泊者同士の会話が弾む(9月21日、花井知之撮影/NAMEDIA)
二の池ヒュッテの内部。木のぬくもりある大広間で宿泊者同士の会話が弾む(9月21日、花井知之撮影/NAMEDIA)

 私も工事中の様子を見たことがあるのですが、宿泊するのは今回が初。強風と冷たい霧雨の中を歩き続けてきたので、木のぬくもりのある屋内に入るだけで心からほっとしました。

 この日は平日にもかかわらず十数人の団体客がいて大広間は賑やか。私と同行の花井知之カメラマンも他の宿泊客と交流しながら、夜は4畳半の個室と布団2組を用意してもらい、午後9時までには就寝しました。

 その個室の並びにある一部屋が、噴火当時の状態を残しているといいます。翌朝、髙岡さんが朝食の準備を終えた頃にお願いをして、案内してもらいました。

9年前の噴火当時の状態を残している二の池ヒュッテの部屋。壁のカレンダーも2014年9月のまま(9月21日、花井知之撮影/NAMEDIA)
9年前の噴火当時の状態を残している二の池ヒュッテの部屋。壁のカレンダーも2014年9月のまま(9月21日、花井知之撮影/NAMEDIA)

 部屋の中を覗くと、天井板が外れてぶら下がり、その下にヘルメット大の噴石が転がっています。床には木の破片が散乱し、畳は灰まみれ。壁のカレンダーは2014年の9月のままです。

 「ここから噴火口までは1キロありますが、こうした大小の石が飛んできています。9年が経って、軽装で来る人も少なくありません。当時の記憶を風化させないためにも、この状態で残して希望者には案内しています」と髙岡さん。

 行方不明者の捜索が続く中、複雑な気持ちでオープンしてから「あっという間に6年目を迎えた」感覚だそうですが、あらためて山登りの楽しさと噴火の悲しい事実を伝えられるこの小屋を「閉めるわけにはいかない」と感じていると言います。

二の池ヒュッテのオーナーとして6年目の営業に入った髙岡ゆりさん(9月21日、花井知之撮影/NAMEDIA)
二の池ヒュッテのオーナーとして6年目の営業に入った髙岡ゆりさん(9月21日、花井知之撮影/NAMEDIA)

山の魅力と背中合わせのリスク伝える

 スタッフの中には、地元の王滝村出身で「新館」の頃から小屋の手伝いに来ているという澤田義幸さんもいます。

 「この地域の中で山と関わってきただけに、今回の噴火で犠牲者が出たことは今も残念に思う。自然環境が目まぐるしく変わるのが山の魅力だけれど、そこにはリスクが伴うことを知ってもらいたい」

 こう話す澤田さんは自身も「御嶽山のことを学びたい」として2018年に「御嶽山火山マイスター」の資格を取り、火山防災と地域文化を伝える活動にも取り組んでいます。

8合目付近から王滝登山道の入り口を望む(9月20日、花井知之撮影/NAMEDIA)
8合目付近から王滝登山道の入り口を望む(9月20日、花井知之撮影/NAMEDIA)

 もっとじっくり取材をしたかったのですが、この日はご来光も拝めないほど濃い霧に包まれ、さらに天候が悪化するとの予報だったため、髙岡さんたちに見送られながら早々に下山しました。

 今回たどり着けなかった八丁ダルミの上部では、今年7月の県などによる捜索で、行方不明者の男性のものとみられるストックが新たに見つかったそうです。

 山との付き合いに簡単な「終わり」はないのかもしれません。

 王滝口登山道の規制緩和は10月11日午後2時まで。御嶽山の活動状況は気象庁のサイトを、現地の総合的な情報は木曽御嶽山安全対策情報サイトを参考に。

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。2022年まで環境専門紙の編集長を10年間務めた。現在は一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」代表理事、サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」編集委員、NPO法人「震災リゲイン」理事など。

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