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シリア政府とハマースとの「和解」

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
ダマスカスで記者会見するハマースのハイヤ政治局員(写真:ロイター/アフロ)

2022年10月19日、パレスチナ抵抗運動の諸派がシリアを訪問し、同国のアサド大統領と会談した。パレスチナ側の出席者には、PIJのジヤード・ナッハーラ書記長、PFLP-GCのタラール・ナージー書記長、サーイカのムハンマド・カイス書記長、ファタハ・インティファーダのイヤード・サギール書記長、PFLPのジャミール・ムズヒル副書記長、DFLPのファハド・スライマーン副書記長、PPSFのハーリド・アブドゥルマジード書記長、PLFのユースフ・マクダフ書記長、ハマースのハリール・ハイヤ政治局員、パレスチナの駐シリア大使らが含まれる。諸派の多くは、アメリカなどにより「テロ組織」に指定されているか、「中東和平プロセス」に反対するかといったもので、これらの動向についての記事はマニア垂涎のネタである(つまり一般の人々にとってはどうだっていいということ)。今般の訪問団は、去る10月13日にアルジェリア政府が取り持ったハマースやパレスチナ自治政府の与党であるファタハなどとの「和解」合意についての報告や説明のためにシリアを訪問したことになっているが、訪問団の主役は間違いなくハマースである。

 というのも、ハマースはシリア紛争勃発後に「反体制派」を支援したトルコやカタルに同調し、「反体制派」支援に回り、長年ハマースに政治的・軍事的支援や活動場所を提供していたシリア政府と絶縁していたからだ。そのハマースが、およそ10年ぶりにシリア政府と復縁し、ダマスカスの事務所を再開すると発表する機会となったのが、今般の訪問団だ。2011年に勃発したシリア紛争は、イスラエルによるパレスチナ、シリア、レバノンに対する侵略や占領に反対する陣営に深刻な打撃をもたらした。道義的には、侵略と占領に抵抗するという至極まっとうな行為を支援する者たちが、「自由と尊厳と民主主義を求めるシリア民衆の革命」を弾圧する「悪の独裁者とその仲間たち」しかいなくなってしまったという錯綜した状況になった。政治・軍事的にも、紛争勃発前は「抵抗枢軸」を形成していたイラン、シリア、レバノンのヒズブッラー、ハマースなどのパレスチナ抵抗運動諸派からなる「抵抗枢軸」が動揺し、影響力が低下した。シリアは軍事的に弱体化し、紛争に便乗したイスラエルによって日常的に爆撃されるがままになった。シリアに拠点を置くパレスチナ諸派は、PFLP-GC、ファタハ・インティファーダ、サーイカ、PPSFがシリア政府に与して民兵を動員し、PFLPとDFLPはシリア政府との関係を維持しつつも紛争からは距離を置いた。PIJもシリア政府支持を維持した。そうした中、ハマースだけが「反体制派」に与し、長年ダマスカスを拠点としていた同派の在外幹部らは拠点をカタルに移した。シリアに残されたハマースの活動家たちは、「アクナーフ・バイト・マクディス」と名乗る民兵組織を結成し、ダマスカス南郊のヤルムーク・キャンプで「反体制派」に与してシリア政府と戦うようになった。ちなみに、「アクナーフ・バイト・マクディス」の構成員たちは、活動拠点のヤルムークが政府軍と「イスラーム国」などのイスラーム過激派との戦闘の舞台になると、「イスラーム国」に加わったとも言われている。

 ハマースがこのような態度をとった理由として、2011年~2013年頃までは「アラブの春」に乗じて同派の母体であるムスリム同胞団やその系譜を汲む政党が勢力を伸ばしていたことが考えられる。シリアと絶縁した後のハマースが「代わりのスポンサー」として乗り換えたトルコやカタルは、「アラブの春」後の地域の政治変動でムスリム同胞団を後押ししていた。また、ハマースは2007年6月以来「パレスチナ自治区」の一部のガザ地区を「実効支配」するようになっており、同派にとってはイスラエルに対する武装抵抗・パレスチナの解放という目的や政策のほかに、支配下の人民の生活と彼らからの支持の獲得、パレスチナ内外の政治・外交交渉、何よりもガザ地区における「与党」としての立場の維持を考えて振る舞う「フツーの政党」と化していった。以前も指摘したが、ハマースは教条主義的にイスラエルに戦闘を挑むのではなく、「フツーの政党」として自派の利害得失を計算して行動する団体である。シリアにとっては、様々な打算に基づくハマースの態度は「裏切り」ともいえるものだった。また、ムスリム同胞団は紛争勃発のずっと前からシリアにとっては不倶戴天の敵でもあった。

 しかし、その後の政治情勢は大きく変化した。シリア紛争は、「民衆による革命」の結果としてシリア政府を打倒する可能性が絶無になったという意味で政府側の勝利が確定した。ムスリム同胞団は、2013年のエジプトのクーデタで政権から追われ、カタルを除くアラビア半島の産油国でもテロ組織同然の扱いを受けるようになった。また、ハマースが頼ったトルコやカタルは、ガザ地区やヨルダン川西岸地区のパレスチナ人に多少のお金や政治的支援をくれたかもしれないが、イスラエルに対するパレスチナ人民の権利の擁護や増進という観点からはたいして役に立たなかった。トルコ、カタルの両国は「パレスチナ自治区」以外の所に住んでいる数百万のパレスチナ人の存在を「なかったことにする」という国際的な風潮が加速するのを止めようともしなかった。以上のような状況で、「抵抗枢軸」の再結集を目指し、イランやヒズブッラーがハマースとシリアに「和解」を促した。ハマースは2022年に入るとシリア政府との関係改善の意向を度々表明するようになり、9月15日にはイスラエルによるシリア爆撃を非難する声明の中で、「パレスチナ人民を支持するシリアの指導部と人民の役割を評価する、ハマースはシリアの領土と人民の統一を支持し、その侵害を拒否する」と表明するまでになった。このような立場の表明は、シリア政府から「和解」のための踏み絵を踏まされたようなものだった。トルコ、カタルも、ハマースがシリア政府と「和解」しようとするのを止めなかったようだ。

 シリアにすると、現時点でハマースと「和解」することにさしたる利点はないように思われる。かつてのように、ヒズブッラー、ハマース、PIJの対イスラエル武装闘争を制御する役回りを演じるほど国力が回復していないし、ハマースがどうしようが「反体制派」によって政権が打倒される可能性を考える必要もなくなった。「抵抗枢軸」陣営の強化と、それを望んだイランとヒズブッラーの顔を立てた、というささやかな外交上の利益があるくらいだろう。「和解」に際しても、シリアは「ハマースの中の“抵抗運動推進組”と“ムスリム同胞団組”を峻別し、前者とはお付き合いしてもいい」との醒めた態度をとっている。シリアのアサド大統領は、パレスチナ諸派の訪問団に対し、「シリア紛争にもかかわらずパレスチナ人民を支持するシリアの態度は変わらなかった」と強調した。一方、訪問団の一員のハマースのハイヤ政治局員は、記者会見で「過去のページを閉じて未来へ進む」と述べた。これらの発言に象徴されるように、シリアとハマースとの「絶縁と和解」は、紛争や外部からの軍事攻撃・政治的圧力にもかかわらず(パレスチナについての)外交的立場を変えなかったシリアと、「フツーの政党」としての打算の結果政治的立場や与する陣営を変えたハマースとを違いを際立たせるものとなった。以上の観点から、今般の「和解」はハマースの道徳的な損失、威信の失墜ともいえるものであり、「抵抗枢軸」の再集結の中で同派がどのくらい役に立つのかはさして期待できないのだろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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