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パレスチナ抵抗運動の衰退と壊滅

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2022年8月初頭に、イスラエルが「パレスチナ自治区」(だけれどもイスラーム主義組織ハマースの支配下にある)ガザ地区に対し、爆撃や暗殺作戦を主に軍事行動を起こした。しかし、この攻撃に対するパレスチナや国際社会の反応はなんだか低調なもので、まるで攻撃を当然かつ正当なものとして見過ごすかのようだった。ウクライナに対するロシアの攻撃や占領に対するのとは異なり、イスラエルがパレスチナや周辺のアラブ諸国に対し長らく続けている侵略と占領は、まるでなかったかのようだ。そうした状況は、当のパレスチナの反イスラエル抵抗運動の当事者の間でも自明視されているようで、占領や攻撃に対するパレスチナ側の武装抵抗運動は今や目も当てられないくらい惨憺たる分裂と衰退の道を進んでいる。

 事態のあらましは、2022年8月1日にイスラエルが「パレスチナ・イスラーム・ジハード運動(略称:PIJ。パレスチナ・イスラーム聖戦ともいう)」の活動家の逮捕、同5日に空爆でPIJの幹部ら多数を殺害したことを契機に、イスラエルとPIJとの間に軍事衝突が発生したというものだ。衝突自体は、「いつも通り」イスラエルが一方的にパレスチナを攻撃するものに終始し、早くも8月7日には「停戦合意」が成立してこれも「いつも通りに」衝突自体が何かの政治ショーみたいに収束した。しかしながら、今般注目すべき点は、この衝突を契機にパレスチナの反イスラエル武装抵抗諸派の足並みが全くそろわず、パレスチナ諸派の中では有力でも多数派でも何でもないPIJが圧倒的なイスラエルに対し単独で戦う状態で放置されたことだ。パレスチナにおける反イスラエル武装抵抗運動は、思想信条、活動方針、構成員の身元、組織の所在地、運動の支援者となる外部の当事者が誰か、などなどを理由にそれこそ「掃いて捨てるほど」あり、これらの諸派は資源や支持の獲得のための競合だけでなく報道露出のような「つまらない」ことが原因で、お世辞にも「一致団結」とか「なかよし」とか言えるような状態ではない。それでも、イスラエルが諸派のいずれかの活動家を暗殺したり、今般の様に一定の規模を超える軍事行動を起こしたりした場合には諸派は一応「団結」するふりをし、他派に対する援護射撃としての軍事作戦を実行したり政治的な意思表明をしたりしてきた。ところが、今般の衝突については、舞台となったガザ地区を「実効支配」しているはずのハマース(パレスチナ・イスラーム抵抗運動)がPIJを実質的に全く支援せず、イスラエルとの衝突の現場に置き去りにしてしまった。

 PIJもハマースも、政治的にはイスラーム主義を信奉する組織であり、軍事的・外交的にはイランやレバノンのヒズブッラーの支援を受ける、「オスロ合意」に代表される「二国家解決」に基づくイスラエルとの和平を容認しないなどの共通点がある。そのため、両派の成り立ちや活動方針や、現下の情勢に対する立場を全部捨象して、PIJとハマースを区別しない(できない)粗雑な分析や著述をそこらじゅうで見ることができる。しかしながら、この両派は全くもって似て非なるものであり、これを「イスラーム武装組織」なる妙な表現で混同している時点で、パレスチナをはじめとするアラブ・イスラエル紛争や反イスラエル抵抗運動の何たるかを誤認しているといわざるを得ない。ちなみに、筆者自身はイスラーム主義が大嫌いなので、PIJやハマースには事務所を訪問した際に他よりもいいお菓子や果物をくれたということ以外に肯定的に言うことは何もない。パレスチナにおける反イスラエル武装抵抗運動には、パレスチナ民族主義、アラブ民族主義、反植民地闘争、(旧ソ連的意味での)左翼運動、イスラーム主義運動など様々な思想信条と支持基盤に基づく運動・組織があり、されにそれらがイラン、シリア、イラク、旧ソ連、などなど中東内外のいろいろな支援者とつながって活動した。みんな大好き(?)日本の革命運動が仲良しだった団体もその中に含まれる。

 残念ながら、様々なパレスチナ解放運動諸派について網羅的に紹介する著述はネットの場も含めて「ない」と言っていい。行政上「テロ組織」と指定されているものについては、ものすごくマイナーなものも含めて『国際テロリズム要覧』あたりを参照するのが最も効率的な方法だ。それにも網羅されていないものもたくさんあるのだが、そんなものに関心を持つ物好きは少ないので、筆者の昔の著述の前編後編も挙げておこう。本稿で重要なのは、PIJとハマースとの違いだ。いずれもムスリム同胞団の運動に関わった者たちが結成した組織なのだが、PIJが1980年頃にイラン革命の影響を受け、反イスラエル武装闘争を基軸とする少数精鋭主義的な組織として結成されたのに対し、ハマースは1987年のパレスチナの大衆蜂起を契機に、同地のムスリム同胞団の政治・抵抗運動部門としてこの世に現れたものだ。両派は、時に対立し、時に合同が話題になるほど連携して活動してきたが、2006年にハマースが同派にとって否定すべき「オスロ合意」に基づくパレスチナ立法評議会(PLC)選挙で勝利し、パレスチナの「与党」になってしまったことなどを契機に状況は大きく変わった。

 まずPIJとハマースの違いとして挙げるべき点は、前者は少数精鋭主義の武装闘争団体なのに対し、後者は医療・教育・福祉などを通じて整備した動員構造を基盤としてパレスチナ人民の多数が支持・参加することを前提とする政治・軍事行動を行う団体だということだ。両派は共に(パレスチナをシオニストの占領から解放するという)に政治目標を達成する手段として暴力(≒ジハード)を採用するという点で、テロリズムを政治行動の一つとして採用している。しかし、活動の現場では、(人民の動員を重視しない)PIJには比較的高性能な武器(例えばイランから提供されたロケット弾などを)を多数保管・隠蔽する能力が乏しいのに対し、(人民の動員を基盤とする)ハマースには「実効支配」しているはずのガザ地区において装備や施設を「そこそこ」保管・隠蔽する能力があるという差異が生じる。つまり、イスラエルと事を構える場合、PIJよりもハマースの方が能力が高いということだ。また、PIJがパレスチナ人民の何かを政治的に統治・支配する立場にないのに対し、ガザ地区を「実効支配」していることになっているハマースは、自派の政治的目標に加え、「支配下の」人民の生活や要求・不平不満、そして「支援者」や「交渉相手」となるパレスチナ域外の諸当事者にも一定の配慮をすべき立場にあることも大きな違いだ。

 この両派の差異が、今般の衝突に際してハマースの態度に影響を与えたようだ。おりしも、中東においてはイランとアメリカとの間の「核合意」再建の交渉の進捗が取りざたされており、ハマースは「支援者」であるはずのイランが中東の外交・軍事情勢の激化を望まないであろうことを忖度せざるを得ない。また、ガザ地区の「実効支配」者であるという手前、PIJという競合的な他党派をきっかけに全く勝ち目のないイスラエルに対して事を構え、その結果ガザ地区の人民の生活が復興どころか復旧のめども立たないくらい破壊されることになる軍事衝突は、ハマースにとって迷惑以外の何物でもない。つまり、ハマースから見れば、イスラーム主義に基づく政治目標も、それを達成するための手段としてのテロリズムも、「与党」としての立場や「与党」としてかかわらざるを得ない外部の当事者との関係の中でどうするのかを決めざるを得ないものになってしまっているのだ。そういう意味で、(イスラーム主義などに基づく教条主義的理由ではなく)自派の政治的な立場を維持するために行動方針を決める党派として、ハマースは「フツーの政党」になったのだ。こうして、ハマースは今般の軍事衝突において、自派の立場を危うくしかねないPIJとの共闘ではなく、「PIJに対するイスラエルの攻撃を放置する」との立場を選択した。

 当然ながら、PIJはハマースの態度に「ブチ切れた」。PIJは、今般のハマースの利己的な振る舞いを理由に、一応パレスチナ武装闘争諸派の間で形成されていた「合同作戦室」からの離脱を宣言した。PIJとハマースは競合的な別組織なので、両派の間の連携や対立はいつでも生じうる。しかし、今般生じた両派の対立は、人民の生活に責任を負う必然性が乏しい少数精鋭主義のPIJと、人民を統治する「フツーの政党」としての属性がますます強まるハマースとの間の、「生き方」の差異に基づく根本的なものだ。2006年以降、ハマースがPLCの多数派を占め、ガザ地区の「実効支配」者と化したことは、当初は「二国家解決」などの「中東和平」の阻害要因とみなされたが、それから時を経た現在では、イスラエルに対する武装抵抗運動を抑制するどころか最終的には解体する要因として作用しているようだ。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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