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レバノン:シリア沖での密航船沈没で明らかになるたくさんの誤解

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
沖合に見えるのが、問題の密航船が沈没した付近にあるアルワード島。(筆者撮影)

 日本では誰も気にしていないようだが、2022年9月22日、シリアのタルトゥース市沖の地中海で、レバノンのトリポリ市を出発してキプロスに向かっていたらしき密航船が沈没した。この船は、密航船のご多聞に漏れず過搭乗で、沈没の犠牲者は100人に達しようとしている。一方でシリア当局によって救助され病院に収容された人数は14人との由なので、運航する側も乗っている側も「それ」についてはそこそこ承知の上だったらしいことがわかる。

アイラーン・クルディーとの差は何だ?

 問題の密航船に搭乗していたのは、「シリア難民、パレスチナ難民、そして近年の経済危機に苦しむレバノン人」だったそうだ。彼らは皆、独裁、戦争、侵略、特権階級による搾取と暴虐に苦しむ無辜の人民であり、この点において世界的な関心と同情を寄せるべき人たちだ。にもかかわらず、犠牲者に対するそれはもちろん、レバノンから「安全性が低い」ことになっている密航船が多数出航し、多数が遭難死しているという事実に対して寄せられる関心も同情も、最低水準でしかない。この事実は、同様の密航船の沈没事件で世界的な関心と同情を集めたアイラーン・クルディーの遭難と比べると、「いまさらシリア・レバノン・パレスチナからの密航船がどうなろうが知ったこっちゃない」という、世界中の報道機関や視聴者の非情さを際立たせる。

 繰り返すが、個々の生命の価値はもちろん、「独裁、戦争、侵略、特権階級による搾取と暴虐に苦しむ」という意味で、クルディー少年と今般タルトゥース沖で溺死した人々との間には何の差もない。前者が「独裁政権による弾圧の被害者」だから「カワイソー」で、後者は「事情が複雑でよくわからない」から知らんぷりしていいという理由は一つもない。クルディー少年の件に多大な時間と労力を費やしたにもかかわらず、今般の遭難者の件については一行も書かない報道関係者とネット上の作家の皆さんには、ぜひ頭の悪い筆者にもわかるようにその理由を説明してほしい。

「悲劇」を論理的に考察する

 残念ながら、地中海を「安全性の低い船舶に乗って」渡り、その東岸や南岸の諸国から北岸のEU諸国を目指して密航する人々は毎年多数いるし、その中で遭難して亡くなる人々もたくさんいる。しかし、考えるべき問題は、「なぜ悲劇的遭難事故が多数発生するにもかかわらず、その経路を選択する者がいなくならないのか?」ということだ。答えは簡単、その経路で密航することの成功率は、一般に信じられているよりもはるかに高いからだ。密航する人々にとって、密航はそれこそ人生を左右する重大事なので、彼らは事前にできる限り情報を集め、自分にとって最適な(そして最も安全で安価な)経路と渡航先を選択する。難民や密航者の「必死さ」を慮ることなくこの問題を論じることは、大いなる誤解に基づいている。

 では、密航者がそうしなくて済むようにするために、例えばトルコ、レバノン、ヨルダンのようなシリアの隣接国を支援して密航者をよそに行かないように仕向ければそれでいいのだろうか?当然答えは「否」である。今般の遭難事件の出発地になったレバノンには、それこそ「どんなことがあろうとも」他所から来た難民を自国に半永久的に滞在させたり、自国民として包摂したりしない、できない理由がある。レバノンは、20世紀前半の推計値に基づいて社会を構成する宗派ごとの権益配分を決めてしまったので、それ以後の新参の集団を包摂して権益配分の量・質を変更することは、同国内のあらゆる党派・政治的立場に共通して「絶対なし」なのだ。そのようなわけで、過去も現在も国際社会が試みている、「難民受け入れ国を支援して難民をそこに定着させる」という方策は、少なくとも今の政治体制が続く限りレバノンには通用しない。

 さらに、日本を含む国際社会は、パレスチナにおいてイスラエルによるパレスチナ人民の圧迫や追放を止める手立てを全く持たないし、シリア紛争では「悪の独裁政権」であるはずの現体制を打倒する能力がないにもかかわらず、中途半端で無責任な制裁や封鎖を永続化している。当然、シリア難民が故郷に帰る支援なんて何一つしていない。つまり、国際社会は、シリアやパレスチナの人民に対し、「こっちに来るな、現在の居住地にも長居するな、でも故郷に帰るな」という矛盾した政策をとっていると言える。現在のシリアやパレスチナの状況に拱手する諸政府は、そうすることによって高まるシリアとパレスチナにおける移民・難民の押し出し圧力を全て吸収する措置を講じなくてはならない。

 ここでさらに面倒なのが、「レバノン在住パレスチナ難民」という、近年では大方に理解不能な不思議な属性を持つ人々の問題だ。重要なのは、世界中のどこに在住していようがパレスチナ人の「自国・故郷」は「パレスチナ」であり、他のどこでもないということだ。「オスロ合意」とそれに基づく「二国家解決」を目指す「中東和平」は、「ガザとヨルダン川西岸」以外を「パレスチナ」ではないことにして、それ以外に住んでいる「パレスチナ人」を見なかったことにするという問題をはらんでいるものだ。その問題点の最大の被災者がレバノン在住のパレスチナ難民であり、(いろいろな抜け道はあるが)論理的には最低限の自己実現の機会も剥奪されたまま、数十万人のパレスチナ難民がレバノンで誰からも顧みられることなくまさに「なすところなく」時間を浪費し続けている。彼らが人生を賭してより恵まれたところに密航しようとするのを止める道理を、筆者は知らない。

 次の誤解は、今般の密航船にはレバノン人も相当数搭乗していたことについてのものだ。一般には、レバノン人は古代の地中海世界をまたにかけて活躍したフェニキア人の末裔として、現在も世界中を飛び回って商才を発揮している人々であるとの誤解が横行している。この誤解を象徴する人物が、日本でもみんな大好き(?)な、日産のカルロス・ゴーン元会長だ

 レバノン人が皆国際的に活躍する商才あふれる人々であるという誤解は、レバノン国民を対象とした世論調査の結果を学術的に分析した考察により、誤解であることが証明されたといってよい。つまり、レバノン人の中でも、一定以上所得のある人々とその家族だけが世界をまたにかけて移動している人々であり、それ以下の所得のレバノン人は海外に行く機会もなければ、海外に行きたいと思ってすらいない人々だったのである。「一定以上所得があって海外で活躍しているレバノン人」の範疇に入る人々は、現在の同国の政治や経済を運営する人々らしいのだが、当然のことながら、彼らは公務員として公職に就く以外にも政治・経済・社会的に「お大尽暮らし」するための所得がたくさんある。

 となると、そうした人々の公務員としての所得や生活の水準を基に末端の(=公務員給与による所得以外に収入源がない)人々の給与を決めるという発想にも大きな問題があるようだ。報道によると、レバノンの国家元首格の3ポスト(大統領、首相、国会議長)の給与は、昨今の経済危機を踏まえた追加給付も含め今や月額300ドル台のようなのだ。当然ながら、大統領、首相、国会議長、その他高級官僚を務める人々は、そんな給与や手当がなくても立派に「お大尽暮らし」できる人々だ。問題は、その程度の給与や手当を基準に、末端の公務員や兵員の給与が定められてしまっていることのようだ。現在の為替相場によると、レバノンの公務員や兵員の月給は60ドル台に過ぎない。要するに、国家の財政が危機だから公務員の人件費を極小にすべきだとの議論は、レバノンについては全く当てはまらないということだ。論理的に、待遇が悪い職に優秀な人材は集まらないので、この場合、公務員の待遇を攻撃すればするほど、レバノンの社会の運営が滞るということになる。非難の対象とすべきなのは、レバノン社会が、ボスとその庇護民との関係によって運営されている状況なのであって、個々の公職の給与や手当ではない。これを抜本的に変革する、つまりレバノンで文字通り革命でも起きない限り、レバノン人民の生活水準についての議論は常に表面的なものにとどまるだろう。

 「シリア難民が職を奪う」からレバノン人が困窮する、という観察や論評も、表層的なものに過ぎない。何故なら、レバノンにおけるシリア人への人件費が「不当に」安く抑えられているのは、レバノンに職や居場所を求めてやってくるシリア人の存在だけによって説明できるものではないからだ。いくら求職者がいても雇い主がいなくては雇用も賃金も決まらない。つまり、レバノンにおける法的立場が脆弱なシリア難民(や出稼ぎ者)を搾取して、本来負担すべき賃金・社会保障費・租税を回避する「レバノンの雇用主」がいなければ、「シリア人が不当な低賃金で雇用を奪うことによってレバノン人が失業する」という現象は生じないのである。残念ながら、この種の雇用主こそがレバノンの政治・経済を牛耳るボスの皆さんであり、本邦も含めレバノン国外の報道機関や研究者に愛想よく付き合ってくれるレバノン人もそうしたボス・資本家なのである。

 以上のように、レバノンから出航してEUの国に向かう密航船がシリア沖で沈没し、多数が亡くなるという、世界中の報道機関や視聴者にとっての「些事」には、ちゃんと読めば諸当事者が抱える重大な問題や、改善に努めるべき点が明らかに示されているのである。密航船の沈没と乗員の遭難という一事を挙げてみても、その時々の状況によって「世界的な悲劇」にされたり、「どーでもいい」些事にされたりする、ということこそが、もっとも嘆くべきことだとは思う。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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