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誰からも顧みられない中、パレスチナ難民の苦境が深刻化する

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 「中東和平」として何かを合意したり、解決したりする問題は、イスラエルと「パレスチナ自治政府(PA)」なるものとの間だけの問題ではない。また、ヨルダン川西岸やガザ地区と呼ばれるごくごく狭い領域とそこに住む「パレスチナ人」とやらの処遇を決めればいいというだけではない。実は、ヨルダン川西岸とガザ地区に住んでいるパレスチナ人と同じくらいの数の「パレスチナ人」が、それ以外のところに居住しており、レバノンにも数十万人が暮らしている。

 2020年8月~9月にUAEとバハレーンが相次いでイスラエルと外交関係を樹立し、他のアラブ諸国もこれに続こうとする中、「パレスチナ問題」を専ら中東諸国の国際関係の問題とみなし、「パレスチナ」の当事者はPAやヨルダン川西岸とガザ地区に住む人々「だけ」であるとの誤解が深刻化しているように思われる。筆者は浅学にして、アラブ諸国とイスラエルとの外交関係についての反応で、レバノン、シリア、ヨルダンにいるパレスチナ人の反応についての記事を全くと言っていいほど見かけなかった。本来、ヨルダン川西岸とガザ地区以外のところにいる「パレスチナ難民」の処遇をどうするのか、すなわち彼らが故地であるパレスチナに戻る権利としての帰還権をどのように扱うのかは「中東和平」の中で解決すべき重要な課題のはずだった。これが、いわゆるオスロ合意でも、アラブ和平提案でも「そのうち決める」との調子で先送りされ、ついにはヨルダン川西岸とガザ地区以外のところにいるパレスチナ人は報道機関のカメラも人権団体の目もむかない、「見えないもの」になりつつある。

 レバノン最大のアイン・ヒルワのパレスチナ難民キャンプには、1平方kmあたり12万人のパレスチナ難民が住んでいるそうだが、レバノンの政治・経済危機が深刻化するに伴い、パレスチナ難民の境遇はレバノン人と同等かそれ以上に悪化しているようだ。報道によると、同キャンプでの失業率は90%にも達し、飢餓が広がっているそうだ。レバノンでは、同国の政治体制やこれまでのレバノンの混乱・戦乱でのパレスチナ難民と彼らの政治・軍事組織の振る舞いが原因で、パレスチナ難民をレバノンの社会に包摂することができない。その結果、レバノン在住のパレスチナ難民は就労や所有の権利が著しく制限され、「うまいことやって」諸般の規制をすり抜けたり、ヨーロッパなどに移住して生活の基盤を築いたりできなかった者たちはまさに「なすところなく」暮らしている。また、レバノンの官憲は原則としてパレスチナ難民キャンプには立ち入らず、キャンプ内の治安はパレスチナの政治・軍事組織の諸派が担っているため、レバノンだけでなく国際的な犯罪者(特にイスラーム過激派)の容疑者にとって難民キャンプは格好の潜伏地となってきた。

 こうした状況に昨今の中国発のコロナ禍が重なったため、どうにかしてレバノンの農業・建設業・清掃業などに働き口を得てきたパレスチナ難民の失業が深刻化し、外部からの仕送りも減少した。こうして、レバノンのパレスチナ難民キャンプはキャンプ内での新型コロナウイルスの蔓延の他、深刻な経済・社会危機にさらされている。キャンプ内で活動するパレスチナ諸派や各種援助団体がパンの配布などを行っているようだが、パレスチナ難民向けの国際的な支援が減少する中、支援の内容は食事や食材の提供と呼ぶべき水準に達していないそうだ。キャンプ内の治安を仕切るパレスチナ諸派は、状況の悪化により過激派に与する者が増えることを懸念している。アラブ諸国とイスラエルとの外交関係樹立という動向の中で、レバノンのパレスチナ難民に対する報道機関などの関心も極小で、2020年9月初頭にこの問題に関連してハマースの幹部がレバノンを訪問したのはなぜか理解できた一般の読者はほとんどいなかったのではないだろうか?

 「パレスチナ」に住んでいないパレスチナ難民の問題、過去数年はレバノンのキャンプでイスラーム過激派が立てこもり事件を起こした際や、シリア紛争でダマスカスやアレッポの難民キャンプが戦場となった際、アメリカ政府がパレスチナ難民支援を担当する国連機関への資金拠出を止めてしまった際には国際的な関心を集めた。しかし、現在レバノンのパレスチナ難民に関心を抱く報道機関や視聴者はほとんどいないようだ。アラブ諸国とイスラエルとの外交関係樹立の際も、「現地取材」と称する情報発信も、そのほとんどがヨルダン川西岸とガザ地区の話しかしていなかった。これは、現場での制約もさることながら、レバノンのパレスチナ難民の話なんかしても取材する側にも視聴者の側にも、「ネタとして売れない」からという事情が関係しているように見受けられる。本邦にも世界にも、パレスチナ難民のために活動している団体や個人はたくさんいるはずなのだが、ヨルダン川西岸とガザ地区ではないところにいるパレスチナ難民は、「そこにいるのにいないことにされている」不思議な存在になっている。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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