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「イスラーム国」は新たな「カリフ」と公式報道官の就任を発表する

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:イメージマート)

 2022年3月10日、「イスラーム国」の指導者の演説や動画などを発信する「フルカーン広報製作機構」が、公式報道官アブー・ハムザ・ムハージルの演説音声を発表した。演説は、自称「カリフ」のアブー・イブラーヒーム・ハーシミー・クラシーと公式報道官アブー・ハムザ・クラシーが殺害されたことを認めるとともに、後任の自称「カリフ」としてアブー・ハサン・ハーシミー・クラシーが選出されたことを発表し、各地のムスリムに新しい自称「カリフ」に忠誠を誓うよう促す内容だ。アメリカのバイデン大統領がアブー・イブラーヒーム・ハーシミー・クラシーを殺害したと発表したのが2022年2月2日のことだから、これを認めるにせよ否定するにせよ、「イスラーム国」の反応はずいぶんのんびりしたものとなった。

 演説では、アブー・イブラーヒーム・ハーシミー・クラシーとアブー・ハムザ・クラシーの両名がどのような状況で殺害されたのか、同じ場所で殺害されたかなどについての説明が一切なかった。従って、公式報道官のアブー・ハムザ・クラシーの殺害はこの音声で初めて明らかになったことになるが、それを差し引いても今般の演説が発信された時期(=新たな自称「カリフ」が選出されたことの発表)は、「イスラーム国」がテロ組織としてアメリカをはじめとする敵対者の当局や世論に何かを主張するにはあまりにも遅いと言わざるを得ない。これは、単に同派の広報能力の低下を意味するだけでなく、新しい自称「カリフ」としてだれを、どのようにでっちあげるかについての組織内の調整に手間がかかったということをも示しているだろう。イスラーム過激派にとっては、敵に殺害されることは彼らの「ジハード」の帰結として称揚すべき「殉教」に他ならないので、自称「カリフ」や公式報道官が殺害されたならば、「イスラーム国」がこれを隠蔽したり、迅速に発表したりしない意義は全くといっていいほどない。また、殺害情報が誤報ならば、自称「カリフ」の生存を示す動画や音声を発表してアメリカをバカにする広報のネタとして利用すればいいだけなので、ここまで動きが鈍いのはやはり同派の退潮を示すものと思われる。実際、今般の音声では殉教を称揚するにしても、アブー・イブラーヒーム・ハーシミー・クラシーの実績を讃えるにしてもなんだか内容が乏しいものだった。2019年11月に就任が発表されたアブー・イブラーヒーム・ハーシミー・クラシーとアブー・ハムザ・クラシーの両名だが、「イスラーム国」が両名の死亡を認めるまでの間に世界の世論に影響を与えるようなことはたいしてしなかったというのが実態なので、「イスラーム国」自身にしても讃える業績がないことを自覚しているのだろう。

 新たな自称「カリフ」として名前が挙がったアブー・ハサン・ハーシミー・クラシーにしても、演説中では何者なのか全く紹介されていない。これまでの「イスラーム国」の自称「カリフ」や公式報道官の末路に鑑みると、新報道官のアブー・ハムザ・ムハージルと共にトルコやシリアの「反体制派」(実質的にはイスラーム過激派)との馴れ合いの中でシリアのイドリブ県の近辺でのんびり暮らしている可能性がある。現在「イスラーム国」はナイジェリアを中心にアフリカ大陸で活動を活発化させているのだが、「イスラーム国」が世界中の「州」に新しい自称「カリフ」に忠誠を誓うよう促したところで、これらの地域で活動する構成員らにしてみればどこの誰かもわからない上、これまでの実績がろくに紹介されない人物に忠誠を誓うというのも何とも居心地が悪いことだろう。今後、「イスラーム国」の各「州」から忠誠表明の動画や画像が発信されることが予想されるが、そうした忠誠表明もあくまで形式的な儀礼と化していくのだろうか。

 今般の新しい自称「カリフ」と公式報道官の就任は、「イスラーム国」の退潮と同派の社会的影響力の低下を如実に示すものなのだが、だからといって「イスラーム国」の観察・追跡・討伐をもうやめてしまってもいいというわけではない。というのも、かつて悪名をはせたアブー・バクル・バグダーディーが「イスラーム国」の前身である「イラク・イスラーム国」の「信徒の長」(=要するに「カリフ」)を自称した際、アメリカをはじめとする各国の当局は「イラク・イスラーム国」が既に衰えたと見なし、同人にあまり関心を払わなかった。その後の経過は、「アラブの春」に便乗して世界中から資源を調達した「イラク・イスラーム国」の増長と「イスラーム国」への脱皮だった。「イスラーム国」の増長の大きな要因は、シリア紛争に際しシリア政府やその同盟者であるイラン(さらにはロシア)に打撃を与えるため、欧米諸国がイスラーム過激派を放任し、「シリア革命成就」のために提供された武器などがイスラーム過激派に流出するのをそれと知りつつ放置したことである。国際情勢は、アメリカなどと中国、そして最近はロシアとの対決という局面へと大きく変動したが、そうした状況の中でも、各国がイスラーム過激派を放置することも、何かに利用することもあってはならないという教訓をちょっとでも覚えていてくれることを願ってやまない。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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