2021年11月24日、レバノン軍は地元紙の一部が報じた「軍が人員への給与の一部である12万レバノン・ポンド(LP)を削減し、その代わりに毎月“補給物資箱”を配布する」との情報を否定した。発表によると、レバノン軍は経済危機の下でも長期間にわたって地元から論理的な価格で食料を調達すること、軍人に給与を支払うことに尽力しており、問題の“補給物資箱”は「友好国・兄弟国から寄せられる食糧援助に加え、希望者に無料で配布されるものだ」とのことだ。

 レバノンの政治・経済・社会危機の中、レバノン軍とその要員たちは数々の自助努力に努めてきた。レバノン軍のヘリを用いた遊覧飛行ツアーの企画拠点やその周囲での野菜の栽培・家禽の飼育もその一例だ。また、上記のレバノン軍の発表にあるように、各国がレバノン軍への支援を実施している。筆者が掌握しているだけでも、アメリカ、フランス、中国、カタル、ヨルダン、トルコ、そして国連レバノン暫定軍(UNIFIL)がレバノン軍への支援を実施している模様だ。支援の中には、カタルによる食料提供、ヨルダンによる医薬品提供のように、装備や訓練面での支援ではなくレバノン軍の要員の生活を支援するための物資提供も含まれる。

 しかしながら、レバノンの危機は改善の兆しが見られないまま長期化・深刻化の一途をたどっており、依然紹介したLPの硬貨が額面よりも鋳潰して金属として売却したほうが価値が高くなる、との「都市伝説」はいよいよ現実のものになりつつある。この「都市伝説」についての記事では、1ドル=1万5000LPよりもLPの価値が下がると硬貨の金属としての価値のほうが高くなると紹介したが、今や闇市場では1ドルは2万4000LPで取引されている。状況がここまで悪化しても危機の打開のめどすら立たないのは、9月に組閣が済んだミーカーティー内閣の情報相が、閣僚に任命される前にイエメン紛争について述べたコメントに対しサウジが反発し、同国とそれに追従するアラビア半島諸国とレバノンとの間で外交危機が生じていることも一因だ。フランスをはじめとする欧米諸国は、レバノンの危機を打開するだけの支援や投資を自己負担するつもりがないので、アラビア半島諸国による支援・投資に期待しているのだが、アラビア半島諸国とレバノンとの外交危機は大使の召還や自国民へのレバノンからの出国勧告にまで達するほど深刻だ。

 諸外国からレバノンへの支援を妨げる要因としては、レバノン国内における「イランの手先」の代表格であるヒズブッラーの存在も挙げられる。同党が欧米諸国が求めるベイルート港の爆発事件(2020年8月)の捜査や、舌禍事件を起こした情報相の辞任・更迭を妨害することで、レバノン国内の反ヒズブッラー勢力や欧米諸国・アラビア半島諸国は態度を硬化させている。ただし、ヒズブッラー自身はレバノン軍よりも強いと評される軍事部門を擁するとともに、中央政府からの資源に頼らなくても支持基盤となる社会を養うことができる体制の構築を進めており、危機の深刻化を自らの基盤拡大の機会ととらえることもありうる。また、ヒズブッラーの存在や振る舞いを考えるのならば、同党の武装の大義名分であるイスラエルとの紛争やシリア紛争、「イランの影響力拡大」、そして何よりもレバノンの政治体制そのものという、レバノン危機の諸当事者の一部には文字通り生死にかかわる問題と包括的に向き合わなくてはならない。ヒズブッラーの特定の行動や振る舞いだけを矯正するだけでは根本的な解決にはならないし、ヒズブッラーだけを「きれいに切除」することも不可能だと思ってよい。

 かつてレバノンの首都ベイルートが「中東のパリ」と呼ばれ、隣接するシリアだけでなくアラビア半島諸国の人々にとっても憧れの地だった理由は、ベイルートにはそれらの諸国にはない金融・文化・報道・言論に関する自由と権利の保障・サービスの提供があったからだ。また、ベイルートでは様々な娯楽産業も繁栄しており、その中には賭博や「夜の街」にまつわるものも含まれる。現在、アラビア半島諸国は石油に代わる産業振興に努めており、金融・文化・娯楽(の一部)産業は各国の経済開発戦略で振興・誘致が図られているものだ。アラビア半島諸国の経済開発戦略が順調に進むようならば、これらの諸国がレバノンを大事に思う経済・社会的理由はますます減じていくことだろう。レバノンがだれにとってどの位重要なのか、という問いには地域の経済や社会の変化も含む多角的な観察から答えを求めなくてはならないだろう。