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レバノン兵は野菜を栽培する

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 レバノンの経済危機は、相変わらず打開や改善の見通しが立たないまま悪化の一途をたどっている。最近では、燃料不足→(発電機を稼働させられないので)電力不足→(ポンプを動かせないので)水不足、といったように、レバノン人民の日常生活どころか生存に欠かせない財やサービスの入手も困難をきたすようになった。燃料の調達もままならない以上他の輸入品の調達も滞っており、レバノンで医薬品の不足・供給途絶が言われるようになってからも久しい。

 そうした中、『シャルク・アウサト』紙(サウジ資本)は、レバノンの将来に見切りをつけ国を去ろうとする者たちの逸話など、危機に生きるレバノン人民の逸話を紹介した。それらの中で目を引いたのが、レバノン軍の軍人たちが駐屯地の周辺で野菜の栽培や家禽の飼育を始めて食料の調達を図っているとの逸話である。レバノン軍においては、2020年8月のベイルート港での爆発事件に先立ち、兵士らに提供する食事のメニューから肉類が外されるなど危機に際して兵士らの待遇の悪化が深刻化していた。軍や治安部隊での要員の待遇悪化は、即応性や士気の低下に直結する。そのため、国家の統合の象徴という重責を担うとともに、経済危機に抗議して続発する抗議行動や密輸・犯罪の取り締まりでも役割を果たすことが期待されているレバノン軍で部隊の能力や士気が低下することは、レバノン人民の身の安全に直結する一大事である。

 危機に際し、レバノン軍も自助努力(?)に努めており、軍の訓練ヘリの機材を用いた遊覧飛行事業に乗り出したり、レバノン軍の司令官が各国を歴訪し、軍人の給与や彼らの供給する食糧の確保に努めたりしている。ただし、このような努力は上記の野菜の栽培や家禽の飼育同様その場しのぎにすぎず、レバノンの国家・政府がまともに機能しない限り現在の危機を打開するために必要な国際的な支援が得られる見通しは立たない。実は、レバノンにおける電力・燃料供給の問題のより抜本的な解決策としては、電力はヨルダンから、天然ガスはエジプトから供給するという案も取りざたされている。これはアラブ諸国が同胞国の苦境に助けの手を差し伸べる名案にも見えるが、電気もガスもシリア領を通過しなくてはレバノンには届かないという致命的な難点がある。電気でもガスでも、通過に際しては「通過料」やシリア向けの現物供給のような対価が発生しうるし、シリア紛争などが原因で長年使用していなかったエジプト・ヨルダン・シリア・レバノン間のパイプラインや送電網を手入れしなくては、安定的な資源の供給はできない。そして、シリアへの対価の支払いでも、シリア領内の送電網・パイプラインの手入れや拡張でも、これらは当然ながらアメリカなどが科す対シリア制裁の対象となる。つまり、レバノンにより安定的に電力や燃料を供給しようとする際の障害は、レバノンの現下の危機がレバノン「だけ」で発生したわけではないし、レバノン「だけ」を支援すれば解決するわけでもないという現実を象徴しているのである。残念ながら、フランスなどが取り組み「対レバノン支援」はこうした現実を考慮していないため、まさに糊口をしのぐ手段としてのレバノン軍人による野菜の栽培や家禽の飼育は長期化するよりほかなさそうなのである。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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