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イスラーム過激派の食卓(イスラエルと闘わない「イスラーム国」の面目躍如)

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 現在パレスチナ被占領地全域で(「ガザ」だけではないことから決して目をそらしてはならない!)パレスチナ人民とイスラエルとの衝突が続いている。衝突は、ラマダーン月のムスリムの礼拝の安寧にかかわるできごとを契機の一つとし、衝突の発生・激化の時期がラマダーン最後の10日間とラマダーン明けの祝祭の時期と重なった。そのため、衝突と直接関係のない中東・アラブ諸国は、2020年に相次いで同国と「関係正常化」を果たした諸国を含め、祝祭の雰囲気が少なからず殺がれ、中国発の新型コロナウイルスの蔓延と相まって社会の緊張が高まることとなった。

 そうした中、「イスラーム国」はまるでパレスチナで何も起きていないかのように、自派の戦果の発信や、ラマダーン中とその後の祝祭についての画像の発信を続けた。「イスラーム国」のこのような態度は、イスラーム過激派としては奇異なものに映るかもしれないし、アル=カーイダ諸派が近年の動きの鈍さに鑑みると異例の反応速度でパレスチナ人民とイスラエルとの衝突についての論評・扇動声明を発信したことに比べると不思議なことに見えるかもしれない。

 写真1~4は、「イスラーム国 イラク州」傘下の諸地域が個々に発信したラマダーン中のごちそうの調理風景の一部である。おそらくガスボンベを用いて稼働させるパン焼き機を使用している場面や餡入りの揚げ物を仕込む場面などがある一方、焚火で調理する場面も多くみられた。様々な画像を眺めていると、一つのタイトル(基本的には「イスラーム国 イラク州」傘下の諸地域が各々発信する)の中に、複数の集団が、撮影の時間・場所が別と思われる画像をごちゃ混ぜにして発信しているように思われた。つまり、「イスラーム国 イラク州」傘下の諸地域は、一つの地域で寝食や根拠地、そしておそらくは食事の準備とそのための資源の調達を別々に営む複数の集団を擁しているということであろう。

写真1:2021年5月5日付「イスラーム国 イラク州 キルクーク」
写真1:2021年5月5日付「イスラーム国 イラク州 キルクーク」

写真2:2021年5月11日付「イスラーム国 イラク州 デジュラ」
写真2:2021年5月11日付「イスラーム国 イラク州 デジュラ」

写真3:2021年5月11日付「イスラーム国 イラク州 デジュラ」
写真3:2021年5月11日付「イスラーム国 イラク州 デジュラ」

写真4:2021年5月12日付「イスラーム国 イラク州 バグダード北」
写真4:2021年5月12日付「イスラーム国 イラク州 バグダード北」

 こうして大量に発信された画像群だが、大量発信は筆者のように毎日にこれを眺めさせられる側はもちろん、発信する側にとっても手間だったらしく、ラマダーン明けの祝祭についての画像は個々の傘下地域の発信という体裁ではなく、「イスラーム国 イラク州」名義で発信された。このような発信のやり方が過去にあったかというとちょっと記憶にない。「イスラーム国 イラク州」(残念ながら具体的にはイラクのどの地域かはわからない)の傘下の諸集団の暮らしぶりには相当違いがあるようだ。写真5は、空き缶やドラム缶のふたの部分を利用してたくましく(?)調理する場面であるが、写真6では何処かから炭酸飲料(たぶんペプシ)を調達している上、写真の右上に太陽光発電パネルが映り込んでいる。イラクに限らず、アラブ諸国は電力供給が不安定なところも多いので、太陽光発電パネルや自家発電機の利用は珍しいことではないだろう。しかし、祝祭の風景を広報するための画像に、太陽光発電パネルを利用しているという生活水準(つまりこの画像に写っているいる集団はコンセントに指せば電源が採れる、などという恵まれた暮らしはしていない)が、その種の観察についてはシロート同然の筆者にも察せられるところで画像(または撮影・発信した者の頭)のデキがあんまりよくないことを示唆しているのだ。

写真5:2021年5月15日付「イスラーム国 イラク州」
写真5:2021年5月15日付「イスラーム国 イラク州」

写真6:2021年5月15日付「イスラーム国 イラク州」
写真6:2021年5月15日付「イスラーム国 イラク州」

 一方、パレスチナ人民とイスラエルとの衝突という「世界を騒がす」できごとの中で、「イスラーム国」がそれに構わず自分たちの暮らしぶりだけを発信し続けることは、同派の思考・行動様式に鑑みるとある意味当然のことである。というのも、「イスラーム国」にとっては、アラブ・イスラーム地域の諸国はもちろん、既存のイスラーム過激派諸派がパレスチナ/エルサレムの問題を外交政策や闘争の動機付けで重視し、「中心的な問題」と主張するのは、本来優先的に実現すべき「イスラーム統治」を実践しない言い訳に過ぎないからだ。「イスラーム国」にとっては、「聖地」がどんなに蹂躙されようが、「パレスチナの同胞」がどんなに破壊と殺戮にさらされようが、そんなことを気にしてイスラエルやその後援者であるアメリカと闘うヒマがあるなら自分たちの身近で「イスラーム統治」を実践し、「イスラーム国」流のイスラーム解釈・実践を周囲の(可能ならば制圧下の)人民に強制することの方がずっと大切なことなのだ。パレスチナ/エルサレムを「中心的な問題」と主張しているアラブ・イスラーム地域の諸国や既存のイスラーム過激派がろくな成果を上げていないことは確かだが、そうした行動を小ばかにする「イスラーム国」の実践がムスリムの役に立ったか、と問えばその答えもまた「否」だろう。今後、「イスラーム国」が今般の衝突について何か発信するにしても、小面倒な理屈をこねくり回す以上のことはしないだろうという筆者の予想を覆すには至らないだろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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