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シリア人民は将来をどう展望しているのか

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 シリア紛争は、政府側の勝利がほぼ確定した。アメリカのトランプ大統領によるシリアからのアメリカ軍撤退決定とその後の同国の対シリア政策の動揺、トルコによるクルド民族主義勢力への脅迫、そして「シャーム解放機構」(旧称「ヌスラ戦線」。シリアにおけるアル=カーイダ)によるイドリブ県の大半の制圧などの動きがあるが、政府側の勝利や政府の機能・求心力の回復という大局的な流れを逆転させることは難しいだろう。

 現在は、復旧・復興、難民・避難民の帰還と再統合の局面へと着実に進んでいると言える。その勢いは上記の動きに影響され、加速したり衰えたりするだろうが、こちらもよほどのことがなければ趨勢が覆ることはなさそうだ。そこで気になるのは、当のシリア人民は自身の将来をどのように展望しているかという点だ。シリア人民の大半は、政府側・反政府側を問わず紛争の当事者からないがしろにされ、彼らの意向が紛争の展開に影響を与えることはなかったが、復旧・復興、帰還と再統合の局面において、彼らがどのような気持ちでどのように振る舞うのかは、状況の推移に大きな影響を与えそうだ。

 シリア人民が将来をどの程度楽観/悲観しているのかに重大な関心を寄せているのは、彼らをないがしろにしてきた当事者の一つであるシリア政府だった。権威主義体制の代表選手の一つであるシリア政府の下では、選挙や社会運動のような形で人民が意思表示することが極めて難しい。そこで、政府が人民意志や考えを知ろうとする場合には様々な形の調査や、諸般の社会集団との意思疎通が必要となる。世論調査もそのための重要な手段の一つと言える。

 実際、筆者が参加して2016年にシリアで行った世論調査では、調査実施機関側が当初用意した質問票にいくつかの質問を追加していた。追加された質問が、「あなたは今年を楽観視していますか」と「あなたの個人的な望みは何ですか」だったことから、調査実施機関とその背後にいるシリア当局が、将来に対する人民の見通しと彼らの願望に関心を抱いていることがわかる(『中東研究』。527号 86頁)。ただし、この追加質問の集計結果は筆者らに提供されなかったという、「いかにも」なオチがついたため、結果を知るためには手書きの回答を一枚一枚判読して集計しなくてはならない、という宿題が残っている。

シリア国内避難民の見方

 一方、シリア国内避難民を対象にした2018年の調査では、類似の質問を正規の質問に加えて調査を実施することができた。既に別稿で紹介した通り、国内避難民の所得状況は、避難を経験していないシリア人に比べて著しく悪い。また、「転居(=避難)直後との比較で現在の生活に満足しているか」との問いへの回答は、非常に満足+満足=約31%、あまり満足していない+全く満足していない=約35%、普通=約32%となり、国内避難民の避難後の生活状況は、所得の面でも主観的な満足度の面でも改善・回復が遅れていることが目立つ。

 そうした中、国内避難民たちが将来に希望を抱くことができているのかが気になる所だが、この問いについての回答を集計すると下の図の通りとなった。「現在と比べて3年後のシリアの経済社会状況をどのように見ているのか」との問いに対し、非常に楽観+楽観=44%、普通=32%、非常に+悲観=22%となり、将来を楽観的に展望している者が多いことがわかる。しかし、将来を楽観的に展望している者の割合は半数に達しておらず、このような見通しが国内避難民の間で主流となってはいないことも明らかである。

「現在と比べた3年後のシリアの経済社会状況をどの程度楽観的ないしは悲観的に見ていますか。」への回答。筆者作成
「現在と比べた3年後のシリアの経済社会状況をどの程度楽観的ないしは悲観的に見ていますか。」への回答。筆者作成

 国内避難民を対象とした調査(2018年)では、およそ83%の回答者が転居(=避難)前の住所に「非常に戻りたい」、或いは「戻りたい」と回答している。これは、国内避難民が元の居住地や生業に戻る上での条件や必要性に鑑み、「国内に避難する」という選択をしたことを示唆している。実際、少し前にシリア政府が国外に脱出した者が著しく不利になる「土地所有権の確認」手続きを含む法律を公布して物議をかもしたことがあった。法律自体はその後うやむやになり、実際にこれに基づく措置や手続きが取られているのか定かではないが、このような状況に直面する可能性があることから、シリア人民の少なくとも一部にとっては、紛争に対する立場や政治的意見を問わず、家業や財産の防衛という観点から「シリア国内(の政府の制圧地域)に残る」、「シリア国内(の政府の制圧地域)に避難する」という選択肢が有力だったと言えよう。つまり、シリア難民・避難民が避難・移動する/しないの判断や移動の際どこを行先にするかの判断は、各々が自身の能力や生活設計などを勘案してすることである。シリア国外で難民となっている人々はかわいそうで支援すべきだが、政府の制圧地に居住している人々はそうではないので構わないでおいていい、というわけでは決してない。

2019年のシリアを展望するには

 現在のシリア情勢やシリア紛争の帰趨に対する感情的・主観的好悪はさておき、2019年は内外のシリア人民にとって「帰還と再統合」が重要な課題・関心事となることが予想される。シリア政府やロシアからの発表によると、レバノンとヨルダンからは連日数百人が「帰還」しており、これが事実ならば2019年中にはレバノンとヨルダンの「シリア難民」は著しく減少する。レバノンもヨルダンも、今や国内のキャンプは閉鎖、シリア人は帰還させるという方針に舵を切っているため、帰還への流れそのものは間違いなさそうだ。このため、帰還や復興にまつわる諸政策・動向を観察すれば、2019年以降のシリアに対して楽観できるようになるのか、悲観し続けなくてはならないのかを判断できるだろう。

 非常に重要な課題は、上述の土地の所有権をはじめとする難民・避難民の生業や財産を回復・保護する問題であろう。また、それと同様に重要な問題は、軍などからの逃亡や徴兵忌避の結果、難民/避難民となった者の処遇である。逃亡者・徴兵忌避者は青年・壮年の男性であり、復旧・復興を担う働き手となるべき人々である。これまでシリア政府が公布した彼らに対する恩赦とその適用状況は、彼らが安心して帰還するには程遠いものである。筆者個人の懸念事項には、紛争を通じて兵役や戦闘から逃れて海外暮らしをしていた者たちと、何らかの事情でシリア国内にとどまることを選択した結果兵役や戦闘に常時直面し続けた者たちとの人間関係がどうなるか、という問題もある。個人レベルでの社会的関係の回復は、長期間にわたってシリア社会の重要課題となることが予想されるため、早期の状況把握・対策が望まれる。

 復旧・復興分野では、2018年に調査対象とした国内避難民の間ですら、復旧・復興のためには住宅・病院・学校などの再建、つまり社会基盤の本格的な再建が望ましいとの回答が圧倒的多数を占めた。シリア内外の支援事業の実施者にとっても、実施すべき事業の内容がテントや仮設住宅の提供なり移動診療所の導入なりの応急措置的なものから、「箱モノ」とその中身の復旧・復興へと移っていく場面が来ていると言えよう。逆の見方をすれば、シリア内外の様々な主体が営む復旧・復興事業がなかなか仮設的な事業から転換できないならば、シリア人民の間の楽観機運を醸成することもできないということだろう。

 2018年末にアメリカのトランプ大統領がシリアからのアメリカ軍の撤退を「決定」して以来、シリア紛争にまつわる外交・軍事動向を地域のパワーバランスや国際関係、安全保障問題としてのみ論じる傾向が強まった。それ自体は必要な議論ではあろうが、これは各国の利害得失の観点から紛争をいたずらに長期化させ、シリア人民を徹底的に疎外した従来の光景の繰り返しのようにも見える。現時点での居住地や政治的立場を問わず、シリア人民に安寧と楽観をもたらす動きが増えることを期待したい。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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