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「移民の増加」=過激派「テロ」の増加?:イスラーム過激派モニターの視点から

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
アラブ「だけ」を対象にしたトイレ使用の注意書き(2015年スウェーデン)

はじめに

 過去数年、移民・難民の受け入れ問題が各国を賑わし、本邦もその例外ではなくなった。受け入れに肯定的な立場からも、反対する立場からも、「移民・難民の受け入れが過激派の流入と定着を招き、受入国における“テロ”を増加させる」との論点についての発言が多数みられる。筆者はこの問題について総合的・包括的に論じる立場ではない。また、各国の政策について評価や論評する立場でもない。しかし、「イスラーム過激派や“テロ”」という観点から、「イスラーム国」がこの議論のヒントとなる興味深い文書を発表したのである。

「移民・難民はテロリスト・犯罪者」ってほんと?

 本論に入る前に、「移民・難民の受け入れ増加は治安を悪化させる」という論点を、イスラーム過激派やテロリズムという視点から考えてみよう。テロリズムは政治行動の一形態であり、テロ組織はそのためにある組織なので、どのような思想・信条・政治的主張でも、テロリズムの根拠となりうる。つまり、イスラームや共産主義は「常に危険」だが、他の宗教や思想・信条は「絶対安全」というわけではないし、ムスリムや外国人は政治行動をする際「必ずテロリズムを選択する」が、他の宗教の信徒や受入国の人々は「絶対そうしない」という発想も正しくない。要するに、「移民・難民の増加」を「テロリズム、テロ行為の蔓延」と直結させることは、テロリズムやテロ組織についての分析・考察を怠っているか、曲解してしまった結果ともいえる。

 また、この種の議論では、イスラーム過激派によるヒト・モノ・カネのような資源(特にヒト)調達に対する分析・論考が無視・軽視され続けている。とりわけ、イスラーム過激派によるヒトの移動という問題には、1970年代からの古株の活動家の個人の遍歴の叙述から、「イスラーム国」の構成員名簿の統計的分析に至るまで、優れた業績が多数ある。それらを見ると、イスラーム過激派の盛衰には活動家個人の縁故や直接的な人間関係を通じた勧誘・ネットワークづくりが深く関係している。それなりに説得力のある論理や主張を構築した上で、優れた活動家が十分な経済・社会的基盤に乗って勧誘・扇動をしなければイスラーム過激派が流行・拡散するのは難しいのである。これは、報道やネットの情報だけを基に「真似事」しただけの犯罪行為とは区別すべきものである。また、イスラーム過激派は資源の移動に際し、送出し地、経由地、目的地の出入国制度を悪用している部分もあるので、ヒトの出入国を問題視するならば、観光旅行や留学のようなヒトの移動も当然問題視しなくてはならない。

お黙り「アアマーク」

 イスラーム過激派、特に「イスラーム国」が世界中に拡散している、或いは欧米諸国に住むムスリム起源の移民・難民やその子孫が同派を支持し、受入国・社会を攻撃していると信じられている。その理由の一端は、何か事件があった際に、「イスラーム国」の自称通信社である「アアマーク」が、事件を「イスラーム国」の戦果であるとの短信を迅速に発信し、世界中の報道機関がそれを「犯行声明」として大きく取り上げたことにあろう。しかし、こうした反応は、「アアマーク」の機能について深く考えることなしに過剰反応し、「イスラーム国」の流行に手を貸したものと言わざるを得ない。「アアマーク」の機能には、世界各地のムスリムが引き起こす非行や粗暴犯の中から都合のよいものを、「「イスラーム国」戦果として取り込む」という機能が含まれる。また、彼らがいかにして「ネタ」をとっているのかについてと、最近の衰退ぶりについてもしっかり観察する必要がある。

 「イスラーム国」が組織として企画・実行した作戦については、それなりの証拠と共に本当の「犯行声明」を発表してくれるので、「アアマーク」の短信だけで済ませようとする場合、視聴者の側は追加の情報や証拠を求めればいいだけだ。「イスラーム国」の世界的な拡散で本当に懸念すべき点は、同派が世界各地に「長年にわたり」資源を調達する仕組みを構築して機能させた点であり、「アアマーク」が各地の事件に短信を乱発することや、そこで取り上げられることを期待する共鳴犯・模倣犯が多発したことではない。

ちょっと拝借

 「アアマーク」の機能についての指摘は、何の根拠もない主張ではない。というのも、11月に「イスラーム国」が自身の週刊の機関誌の中で、「アアマーク」の機能を白状してくれたのである。それによると、「イスラーム国」は欧米諸国で発生した諸般の事件の大半で、実行犯とは人的接触もなければ、思想・軍事的訓練を施したことも、物的支援をしたこともない。記事自体は、「イスラーム国」の論理や実践が正しいからおのずと支持が広がっている、との主張ではあるが、実際には「イスラーム国」が世界中のムスリムの非行から「それっぽいもの」を戦果として取り込んでいたということに過ぎない。つまり、非行を「非行でない」と装ったり、何かの自己顕示に利用したりしたい者も、「イスラーム国」っぽくやれば、ただの通り魔犯から「カリフの兵士」へ昇格できる、というわけなのだ。

 ここから、例え「アアマーク」が「イスラーム国」の作戦であると主張する襲撃事件が発生したとしても、それを直ちにイスラーム過激派の拡散や、中東やムスリム起源の移民たちの存在と結びつけるべきではないと言えるのだ。

おわりに

 イスラーム過激派の資源調達・広報のメカニズムや「アアマーク」の機能を理解すれば、より注意深く監視すべきなのは「移民」やその共同体ではなく、イスラーム過激派で資源調達を担う活動家や、イスラーム過激派の個々の団体の資源調達の手法や方針である。このような監視は、移民を受け入れるか否かとは本質的に別次元の話である。なぜなら、日本においても「イスラーム国」に迎合したり加担したりした者は外国人や外国起源の者だけではなかったからだ。共鳴犯・模倣犯の存在やイスラーム過激派のプロパガンダを過大評価したり、「事件の背景」として格差や差別を強調したりすることは、共鳴犯・模倣犯とプロパガンダの続発に手を貸すだけだということを改めて肝に銘じたい。本邦におけるイスラーム過激派のモニターや分析の体制や、それに費やされる資源の量・質は、貧弱なままである。

 その一方で、イスラームの解釈や実践、特にイスラーム過激派による解釈と実践に、日本人の日常生活に深刻な損害や摩擦をもたらす要素があることも否定できない。「移民」を受け入れる社会が彼らを「理解」したり「配慮」したりすることが問題解決につながるとは限らないということだろう。殊、イスラーム過激派については、イスラームやその教理教学についての知識の量や理解の程度を競うだけの議論をしても、実態把握や被害の予防にはたいして役に立たない。また、「移民」全般についても、「来る側」と「受入れる側」のいずれか片方だけに「理解」や「配慮」が科されるようなことは好ましくない。

 結局のところ、イスラーム過激派という観点から「移民受け入れ」について考えた場合、単調な議論や「わかりやすい」説明や解決策に飛びつくのではなく、論理的思考が大切としか言いようがない。そこでは、「移民受け入れ」の問題でどのような効能があり、誰がそれを享受するのか、という点とともに、どの程度の負担が生じ、誰がそれを負担するのか、という議論が欠かせない。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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