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なぜ北九州監督に?西岡剛スキッパーゆかりの地、“相棒”川崎宗則の仲介も

田尻耕太郎スポーツライター
会見後にポーズを決める西岡剛スキッパー(筆者撮影)

 プロ野球独立リーグ「ヤマエ久野 九州アジアリーグ」に来季から参入する福岡北九州フェニックスの初代監督に就任した西岡剛スキッパー(選手兼任監督)。

 関西で生まれ育ち、入団した千葉ロッテマリーンズですぐに頭角を現して「スピードスター」の異名と共に球界を代表するスター選手となった。その後米球界でもプレーし、13年から18年まで阪神タイガース、そして今季までの3年間はルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスに所属した。

北九州市民球場では両手を合わせて

左からヤマエ久野 九州アジアリーグ・田中代表理事、北九州球団・西岡スキッパー、同・河西球団社長、同・竹森専務(筆者撮影)
左からヤマエ久野 九州アジアリーグ・田中代表理事、北九州球団・西岡スキッパー、同・河西球団社長、同・竹森専務(筆者撮影)

 もちろん福岡にはビジターチームの一員としてこれまで何度も訪れていた。だが、九州や福岡、北九州市に特別深い縁などないのでは、と映っていた。当初は福岡北九州フェニックス球団のフロント陣もそのように考えていた。しかし、いざ面談をしてみると、西岡氏から思わぬ言葉が飛び出した。

「僕の母が大牟田出身なのですが、母方のお墓は北九州にある。それでよく小倉の街には来ていたんです」

 幼少期の思い出は「小1の時、焼き鳥の皮を初めて食べたのが小倉だった。一発で大好きになってしまい、今でも小倉は焼き鳥の街というイメージです」と明かして笑った。もちろん、今回のスキッパー就任も墓前に報告に行ったという。

 そのような縁もあり、ロッテ時代に北九州市民球場でプレーをした際には「試合前には両手を合わせていました」と、特別な思いを持って臨んでいたという。

「ご先祖様の力。パワーを貸してもらって、成績は良かったんですよ」

 調べてみると過去2試合プレーをしている。まずは07年4月11日に「1番遊撃」で当時・TSUYOSHIの登録名で出場して6打数4安打1打点の活躍。そして、2度目が09年5月13日に同じく「1番遊撃」で先発。三回表にソフトバンク左腕の大隣憲司(現ロッテ二軍投手コーチ)から2ラン本塁打を放つなど、4打数3安打2打点と大暴れした。

 福岡北九州フェニックスの河西智之社長は西岡スキッパーにオファーした理由を3つ挙げ、その中に北九州の街との縁が理由だったと明言。「西岡さんで行くしかないと思った」と話した。

 また、それ以外の2つは「西岡さんのビジョンと我々のビジョンが合致したこと。独立リーグの問題意識や危機意識なども、ディスカッションするうちに一致していると感じました。2つ目は知名度とスター性」とした。

ムネリン「九州でチャレンジしてこい」

2008年北京五輪。左から2人目が川崎宗則。右から2人目が西岡剛
2008年北京五輪。左から2人目が川崎宗則。右から2人目が西岡剛写真:アフロスポーツ

 そして、西岡スキッパーによれば、北九州球団との仲を取り持ったのは、今季まで栃木ゴールデンブレーブスで一緒にプレーをした川崎宗則だったという。

「この話を持ってきてくれたのはムネリン。『剛、九州でチャレンジしてこい』と。栃木にいる頃から新たなステップアップの話は2人で常にしていました。メキシコやオーストラリア、ヨーロッパにだって球団はあるなんて話もしていました。この先の野球界、そしてスポーツビジネスをどうしていくかという話も沢山しました」

 そんな中で北九州球団からの選手兼任監督のオファーを川崎から伝え聞いた。球団フロントと話を進める過程で、実際にグラウンドなどを見てみようと北九州まで足を運んだ際にも川崎は同行したという。

「最初は『2人で盛り上げよう』と僕は言っていたんですが、自分を九州に行かせるために同行してくれたんだということを後で知りました。その後も『九州に行け。面白いよ。俺は行かないけどね』って。彼は彼でやりたいことがある(来季も栃木でプレー)。別々の道になるけど、シーズン中以外はこれからも混じり合うことは沢山あると思います」

 会見の中では来季のチーム構想はもとより、未来の野球界につながる独立リーグの発展に向けた夢や構想を熱く語り続けた。

 来年から北九州の街に腰を据え、どのように夢を形にしていくのか。西岡スキッパーの船出、そして航海に大いに注目したい。

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。現在は「Number web」「文春野球」「NewsPicks」にて連載。ホークス球団公式サイトへの寄稿や、デイリースポーツ新聞社特約記者も務める。また、毎年1月には千賀(ソフトバンク)ら数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。2020年は上野投手、菅野投手(巨人)、千賀投手が顔を揃えた。

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