【ホークスちょっと昔話】2年目高谷、初ヒーロー翌日に大ヒーローがキタ~

昨日撮った? いえ、2007年1月の西戸崎入寮時の写真です!笑(筆者撮影)

 ホークスあった数々のドラマを当時の温度のままで振り返っていく。

 その名も、ホークスちょっと昔話。はじまり、はじまり~。

短期集中連載中!

第1回   第2回   第3回

【2008年7月・スポーツナビに寄稿したコラムに加筆修正したもの】

2年目捕手が、鷹を生き返らせた

 7連敗、のち、6勝2敗。

 福岡ソフトバンクホークスが導入4年目で初優勝を決めた交流戦の頃のような勢いを取り戻した。6勝のうち首位の西武から4つの白星をマーク。頂上までのゲーム差は3に縮まった。

 今季最悪の大型連敗を喫したチームが好調に転じたのにはワケがある。1つの荒療治が、ソフトバンクを変えたのだ。

 チームの要である捕手に、プロ2年目の高谷裕亮を起用しはじめた。7連敗を止めた7月6日のロッテ戦(千葉マリン)、六回表に代打で登場してそのままマスクを被ると、その後失点を許さずに逆転勝利の立役者となった。8日の西武戦(西武ドーム)からはスタメンに。以降ここまでの7試合、ずっとフル出場を果たしている。

 そして、15日と16日にヤフードームで行われた西武2連戦で大活躍を見せたのだ。初戦はプロ初の猛打賞を記録して初めてお立ち台に立つと、翌日はプロ初本塁打を含むまたも3安打をマーク。そして3本目の安打は、これもまたプロ入り初となるサヨナラ安打になったのだった。また、この日は守りでも光るプレーを連発。五回表にパ・リーグ盗塁王ランキング断トツの片岡易之の二塁盗塁を阻止すると、続けざまに今季12盗塁の栗山巧も刺した。試合終盤にはファウルフライを追いかけて、1塁側ベンチに飛び込みながらもボールを離さないガッツあふれるプレーも見せた。

 王貞治監督へ強烈なアピールを成功。「大きなケガなどない限りこのままいけるんじゃないか」と事実上の“正捕手”と認める言葉が発せられた。

社会人→大学→プロの異色ルート

 高谷は2年目だが、2008年11月で27歳になる。チームの同級生といえば川崎宗則と馬原孝浩。もういくつもの経験と実績を重ねて、チームの主力を担っていてもおかしくない年齢だ。

 異色の経歴でプロ入りした。小山北桜高校から富士重工を経て白鴎大学、そして06年のドラフトでソフトバンクに入団した。しかし、富士重工では故障のため満足なプレーを出来ずに2年で退社。実家の造園業を継ぐ選択肢も心の中にあったが、「高卒だし、社会人経験も2年だけ。大学で一から勉強するのも悪くない」と机に向かう決心をした。野球一筋の人生で、体を動かさない生活にはなかなか慣れなかったが、結果的にその安静が効いたのか痛めていた膝や腰の状態がどんどん良化していった。一度はあきらめた野球への情熱に再び火が付くと、22歳の大学1年生は迷わず野球部の門を叩いたのだった。

 入学後は「社会人野球を経由した選手は1年間公式戦に出場できない」という規定でひたすら練習ばかりの日々もあったが、関甲新大学リーグの記録を塗り替える16本塁打をマークしている。

 そんな苦難や挫折を味わってきた高谷の人間性を高く評価する声も多い。ある新聞記者はドラフトの取材で彼に会っただけで「将来は選手会長になれる器だ」と言った。確かに取材の対応も丁寧。話す言葉もしっかりしている。そういえば、2日連続で立ったお立ち台でも「ピッチャーの方が頑張ってくださっているので」(15日)「投げてくださったので」(16日)と話していたのが、いかにも高谷らしかった。

 その一方でマジメ一辺倒でもなく、ユニークなキャラクターも持ち合わせている。福岡のテレビ局では、織田裕二のモノマネをする山本高広のモノマネで、「キタ~!!」を披露するなかなかの強心臓っぷりも見せつけていた。

 これから勝負どころの夏本番。高谷がもっとオモシロイ存在になるに違いない。

※※※※※※※※※※※

高谷裕亮(たかや・ひろあき)

 1981年生まれ、栃木県出身。実直な人柄にユニークさを持ち合わせており、ホークスでも人気上位の選手。2020年でプロ14年目を迎えた。野手では最年長。豊富な練習量と努力の継続に裏打ちされたプレーでチーム内からも厚い信頼を得ている。2018年、2019年と2年連続で日本一胴上げ捕手にもなった。