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【ホークスちょっと昔話】「仏様」的場の前に現れた「神」バティスタ

田尻耕太郎スポーツライター
ソフトバンク時代の的場捕手。背後にも懐かしい選手が…!(大村選手!)(筆者撮影)

 ホークスにあった数々のドラマを当時の温度のままで振り返っていく。

 その名も、ホークスちょっと昔話。はじまり、はじまり~。

【2005年8月・スポーツナビに寄稿したコラムに加筆修正したもの】

念願の初お立ち台で郷ひろみ!?

 8月16日、ソフトバンクは本拠地ヤフードームでのオリックス3連戦初戦に7対2で快勝した。勝利のハイタッチで喜びを分かち合った直後、的場直樹は球団広報に呼び止められた。「ヒーローインタビュー、よろしく」。勢いよく返事をして、心の中で大きくガッツポーズをした。ついに来た。入団6年目にして初めての本拠地でのお立ち台である。

 初回に先制39号2ランを放った松中信彦、そして無傷の開幕13連勝の快挙を飾った斉藤和巳に続いて台に上る。

 的場は、四回に貴重な追加点となる適時二塁打を放ち、守っては斉藤の女房役として好リードで引き立てた。いよいよマイクを向けられる出番が回ってくると、いつのまに打ち合わせをしたのかアナウンサーからマイクを受け取ると大絶叫をかました。

「福岡ヤフードームジャパ~ン(順番あべこべ。郷ひろみのマネをしたかったようだ)のみなさん、元気ですかー(ほぼ猪木)!! 応援お疲れさまでした。6年目的場直樹、とうとうこの、お立ち台というオブジェに乗ることが出来ました。ありがとうございます!」

 3万人超の笑い声がヤフードームにこだまする。

 これはまだ序の口だ。

「(頭を指差し)アドレナリンを出しすぎてこんな頭になっちゃいました!」

「(フェンス直撃の二塁打だったが)ホームランと勘違いして二塁ベース手前で思い切りガッツポーズをしてしまいました(笑)」

 もう的場節は止まらない。球場ファンはこれまでテレビでごく稀にしか見ることのできなかった的場のキャラを堪能してかなり喜んでいた。王貞治監督も「彼はひょうきんなところがあるからね。チームを明るくしてくれるからいいよ」と大満足の笑顔だ。

 大観衆の歓声と爆笑を浴び、ベンチ裏に戻ってきた彼は本当に嬉しそうな顔だった。しかし、目は少しだけ潤んでいたのを見逃さなかった。

「感激しました」。

 照れ隠しのように、そっと呟いた。

敵は城島ではなく、己自身だった

 アマチュア時代は輝かしい実績を誇りプロ入りするも、苦難の道のりだった。

 上宮高校から明治大学へ進学。明大では主将で4番捕手。全日本にも選ばれて、シドニー五輪のアジア予選も戦った。1999年ドラフトでは3位だったが、契約金は1億円と年俸1300万円(いずれも推定)という評価は1、2位と同等だった。「城島をおびやかす存在になる」。誰もがそう思ったし、もちろん本人もそのつもりだった。

 即戦力のアマナンバーワン捕手の呼び声通り、1年目から一軍でプレーし、城島の故障一時離脱によりスタメンマスクを被った試合もあった。福岡ドームでホームランも打った(プロ1号は2000年6月23日、ロッテ戦)。

 しかし、的場の最大の敵は、城島でも他の捕手でもなく自分自身だった。右肩を手術し、2年目からの2年間はほとんど野球をすることが出来なかった。

 苦しいリハビリを乗り越えてなんとか戦列に戻ってきたが、1歳年上のスーパー捕手の壁はますます高くなっていた。

「試合に出るのは難しい。だけどそれで気を抜いたら落ちていく一方の世界。常に自分を磨く。それだけは忘れてはいけない」

 何度も何度も、自分に言い聞かせた。

突然バットを差し出された

 この2005年夏、またも城島の故障によりスタメンマスクを被るチャンスを得た。必死に積み重ねてきたことに嘘はなかった。チームの要である捕手が入れ替わってもソフトバンクは好調をキープした。

「リード面では彼の良い部分も出ている」(王監督)と首脳陣の評価も得た。しかし、打撃はなかなか結果を出せずに苦しんだ。開幕から21打席連続無安打。的場のバットには芯がないんじゃないかとからかわれることもあった。

「自分への不安な気持ち。チームに申し訳ない気持ち。1日1時間しか眠れない日が続きました」。

 そこに「神」が現れた。

 8月9日、西武戦(インボイス西武ドーム)。打席に向かおうとする的場にベンチ内で声をかけたのはトニー・バティスタだった。バットを差し出し「これを使ってみろ」という。普段使用しているものより長く、重い。完全なぶっつけ本番だったが、的場に迷いはなかった。

「振ってみるとヘッドが重くて、自分には合う。今まではヘッドが先に出る悪いくせがありましたから」

 第4打席、右中間へ二塁打を放った。待望の今季初ヒットだ。翌日も同じバットを使うと、また二塁打を打った。そして、八回の打席ではレフトスタンドへ豪快なアーチを掲げた。ルーキーイヤー以来6年ぶりのホームラン。その試合のヒーローになった。

「あの時、声をかけてくれなかったらどうなっていたか分からない。トニーには本当に感謝しています。今は毎日熟睡できるようになりました」

 仏の的場(実家がお寺)と、聖書が一番の愛読書だと話すバティスタの不思議な融合。的場はその後も「H77」の刻印の入ったバットを使用した。

 ただ、近いうちにまた試練が訪れるだろう。まもなく城島が復帰する。早ければ20日の対西武戦(ヤフードーム)に一軍登録され、翌週からはマスクを被るとも言われている。的場にとっては厳しい状況だ。

 しかし、彼は腐らない。どんなに辛い状況でも、常に自分を磨き続ければ必ず良い事が訪れる。的場直樹は、身をもって知っているから――。

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的場直樹(まとば・なおき)

 1977年大阪府生まれ。実家はお寺。明治大学から1999年ドラフト3位でダイエーに入団。自己最多出場は2006年で82試合だった。また、その年はエース斉藤和巳とともに「最優秀バッテリー賞」を獲得した。2009年オフに戦力外通告を受けるも、ロッテにテスト入団。新天地でも明るいキャラはそのままで人気を誇った。2012年シーズンを最後に現役引退。その後はソフトバンクでスコアラー、日本ハムの二軍コーチを務め、2017年10月よりロッテでコーチを務める。

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。現在は「Number web」「文春野球」「NewsPicks」にて連載。ホークス球団公式サイトへの寄稿や、デイリースポーツ新聞社特約記者も務める。また、毎年1月には千賀(ソフトバンク)ら数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。2020年は上野投手、菅野投手(巨人)、千賀投手が顔を揃えた。

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