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「私たちの服」を作るベトナム人女性実習生が直面する奴隷労働:「国に帰れ」と脅され、低賃金・長時間労働

巣内尚子研究者、ジャーナリスト
ベトナムの女性と子ども。家族を残し来日する女性実習生も。筆者撮影、ホーチミン市。

技能実習生として来日するベトナム人が増える中、困難に直面する人も出ている。中でも、課題が指摘されているのが、縫製業で働く技能実習生だ。縫製業で働く実習生は女性が中心だとみられるが、低賃金や長時間労働にさらされるなど、厳しい就労環境に置かれている人がいる。ベトナム北部出身のマイさん(仮名)もまた、長時間労働、休みなし、残業代の時給が400円という中で働かせられてきた。私たちが日ごろ身に付ける洋服をミシンで縫い上げる実習生の女性たちは、ここ日本で搾取と差別に直面している。

◆故郷に子どもを置いて日本にやってきた20代のベトナム人女性

岐阜駅の周辺。筆者撮影、岐阜。
岐阜駅の周辺。筆者撮影、岐阜。

故郷には、子どもがいます――。

そう話し、マイさんはにこやかに笑った。

7月のある日。

私は岐阜県の駅で、マイさんと待ち合わせをした。

その日は、気温が30度を超え、じっとしていても汗が出てくる陽気だった。そんな中、マイさんは暑さを気にする様子もなく、私を見つけると、小走りに駆け寄り、にこにこしながら、「こんにちは」と話しかけてくれた。

赤いタンクトップに黒のパンツ、それにサンダルを合わせ、小さなかわいらしいリュックを持ち、彼女は現れた。セミロングの髪の毛は綺麗に切り揃えられ、少しだけ明るい色に変えられていた。洋服や髪形に気を使っているのが分かる。でも、決して気取ることのない、気さくな人だった。

彼女の住んでいるところからこの駅までは遠いというが、この暑さの中をバスに乗りわざわざやってきてくれたマイさん。明るい雰囲気の彼女と、すんなりと話しをすることができ、すぐにお互いの話になった。

マイさんは笑顔で故郷のことや家族のことを話してくれ、そして、彼女自身が小さな子どもを持つ母親であることを教えてくれた。

岐阜駅のバスターミナル。筆者撮影、岐阜。
岐阜駅のバスターミナル。筆者撮影、岐阜。

技能実習生の中には子どものいる女性も少なくない。

中には、両親ともに技能実習生として来日するケースもあり、その場合、子どもは故郷の母や父が面倒をみていたりする。

子どもを故郷に残し、国境を超えて移住労働にやってくる人たちについて、もしかしたら「なにもそこまでして」と感じる人もいるかもしれない。けれど、実習生にとって、日本へ来て働くということは、ベトナムでは決して稼ぐことのできない賃金を得て、それを子どもの学費や生活費、家族の生活の改善に振り向けるということだ。多くが家族のために日本に働きに来て、実際に賃金の多くを故郷に仕送りして、家族の生活を支えている。

ベトナムでは、社会保障制度が十分には整備されていない中で、格差が広がり、お金を出すことでさまざまなモノやサービスを購入できる層と、そうではない層の差が出てきている。

岐阜駅の周辺。筆者撮影、岐阜。
岐阜駅の周辺。筆者撮影、岐阜。

モノやサービスには、時に教育や医療など、生きていくのに欠かせないものも含まれる。社会主義国の看板を掲げるベトナムだが、実際には、教育や医療にお金がかかり、庶民はこれらの費用を捻出することができないことがある。

海外で出身地よりも高い賃金を得ようとする試みは、こうした社会的な背景の中で、なんとかして子どもをはじめとして家族がよりよい生活を手に入れるのを後押しするための取り組みなのだ。

一方、こうしたベトナムの状況を受けて来日したマイさんは、その明るい笑顔とはうらはらに、日本で厳しい状況に直面していた。

◆シングルマザーの決断、技能実習生になって「人生を変えたい」

ベトナム北部の農村部。筆者撮影、ハイズオン省。
ベトナム北部の農村部。筆者撮影、ハイズオン省。

マイさんは1980年代後半に、ベトナム北部の地方部で生まれた。

彼女が生まれる少し前に、ベトナム共産党第6回党大会で、市場経済の導入と外資への門戸開放を柱とする「ドイモイ(刷新)」政策を採択した。

その後、ベトナムは外資の投資誘致や他国との貿易関係の拡大などを受け、急速な経済成長を遂げていく。それに伴い、人々の暮らしも大きな変化を迎えた。

だが、経済成長に伴い所得が上がり、中間層や富裕層が出てくる半面、成長の恩恵を受けることない人もいるなど、経済格差が広がっていった。

マイさんはそうしたドイモイ以降のベトナム社会の急激な変化の中で、生きてきた。

そして、ほかのベトナムの地方部の女性がそうであるように、若くして結婚をし、子どもを産んだ。

しかし、結婚生活は長くは続かず、その後に夫とわかれることになる。

その後、実家で、母やきょうだい、そして自分の子どもと生活をしていた。

当時の暮らしについて、彼女は「経済的にとても苦しかった」と話す。

マイさん自身はベトナム企業の縫製工場に勤め、月に600万ドンの給与を得ていたものの、シングルマザーで子どもを抱えている上、マイさんの妹はまだ就学中で学費がかかっていた。

マイさんはそうした暮らしを改善するため、技能実習生として日本に行って働くことを希望するようになったという。マイさんは技能実習生として働くことで、「人生を変えたかった」と話す。

ベトナムからは政府の施策と送り出し機関(仲介会社)の事業拡大などを受け、多数の人が国境を超え、海外へ働きに行く動きが広がっており、マイさんの周囲にも日本へ技能実習生として渡った人や、韓国、台湾、マレーシアなどに働きに行った人がいたという。

その中で、彼女が技能実習生として来日を目指したのは、自然な成り行きだっただろう。

◆7,000米ドルの借金と仲介会社の“甘言”

ベトナム北部の地方部。筆者撮影、ハイズオン省。
ベトナム北部の地方部。筆者撮影、ハイズオン省。

そんなマイさんは技能実習生としての来日を目指し、日本に来る前に、ハノイ市にある送り出し機関(仲介会社)に対して手数料として6,000米ドルを支払った。

さらに、渡航前の日本語をはじめとする研修の費用も別に払っており、来日前に支払ったお金は合わせて7,000米ドル(約71万4,560円)程度に上った。

彼女とその家族はこれだけの大金を持ち合わせてはおらず、全てを借金した。

彼女のそれまでの月収は600万ドンで、これは日本円にすると2万7,475円ほどだ。つまり、彼女が2年間以上働かなければ得られない金額を借金して工面したのだ。

マイさんがこれだけの金額を払ったのは、送り出し機関(仲介会社)から「日本に技能実習生として行けば、土日は必ず休み。基本給だけで月給は14万円。残業がたくさんあり、実際の収入はもっと多くなる」と言われていたからだった。

ベトナムでは、こうして送り出し機関(仲介会社)が技能実習生として来日すれば「稼げる」とあおることが少なくない。そのため、十分な現金収入を得ることの難しい人々にとって、日本での技能実習生としての就労は自分たちの人生と家族の暮らしを劇的に変えることができると思える、一つの希望になるのだ。

◆残業時給400円、休みは月に1日、毎日夜10時まで就労

岐阜駅の周辺のバスターミナル。筆者撮影、岐阜。
岐阜駅の周辺のバスターミナル。筆者撮影、岐阜。

こうした多額の借金を背負った上で、マイさんは来日し、岐阜県にある縫製工場で働くことになった。そこは家族経営の小さな工場だった。日本人の数は少なく、ほかは中国とベトナムからの技能実習生の女性たちが働いていた。

一方、マイさんが直面したのは厳しい就労環境と搾取だった。送り出し機関(仲介会社)の言った就労条件は守られなかったのだ。

縫製工場での仕事は、朝から夜まで1日中続いた。途中、昼の12時から午後1時まで1時間の昼食休憩と、夕方の30分の夕食休憩がある以外は休憩がなく、夜の10時まで働く日々だった。

休みは1カ月に1度だけしかない。

毎日夜10時まで働き、休みは月に1度となると、残業時間は過労死ラインの80時間を超えてしまう。

しかも残業時間の時給は400円で、最低賃金を大幅に下回る低水準だった。

その上、マイさんは「家賃」と水光熱費として月に2万円を給与から徴収されてきた。

部屋はWiFiの設備こそあるが、古い住宅に二段ベッドがつめこまれ、他の技能実習生との共同生活だ。テレビはない。エアコンもなく、夏はとにかく暑く、冬は寒い。

それでも、「家賃」と水光熱費として1人当たり毎月2万円を必ず徴収される。

毎日夜遅くまで働き、休みは月に1度。これだけの長時間労働をしていたが、給与から「家賃」、水光熱費、税金、社会保険料などを引かれると、マイさんの手元に残るは月に11~12万円にしかならなかった。

彼女はこの状況の中でも、生活費を切り詰め、なんとか来日1年目で渡航前費用の借金を全て返済した。

現在は数カ月に一度、故郷の家族に9~10万円を送金しているという。

休日は月に1度しかなく、その日は近くのスーパーに買い物にいったり、近くで同じように就労しているベトナム人技能実習生の友人と会ったりする。それがマイさんにとって、日本で唯一、自由になる時間だった。

◆「ベトナムに帰れ」と怒鳴る雇用主、味方となってくれる人のいない職場

岐阜駅の周辺。筆者撮影、岐阜。
岐阜駅の周辺。筆者撮影、岐阜。

そんなマイさんがさらに、困惑を隠せないのが、雇用主が技能実習生に向ける差別的な態度だった。

「会社で差別されたことはあります?」とマイさんに聞くと、彼女は「いつも怒鳴られる。社長はいつも『ベトナムに帰れ』と怒鳴る」と即答した。

私はこれまで、技能実習生に同じ質問をしたことが幾度もあったが、これだけはっきりと会社の日本人から差別を受けていると答える技能実習生はそう多くはない。

1975年のサイゴン陥落で長きにわたる戦争を終え、1986年に採択した改革開放政策「ドイモイ(刷新)」が実際に実施されるのはその後であるというベトナムでは、近代的な労使関係に基づく賃金労働が現在進行形で広がっている段階で、労働者としての権利保障や労働者の権利意識の確保はまだ十分ではない。

また「セクハラ」や「パワハラ」のような概念も十分には浸透していない。日本でも以前は「セクハラ」という概念自体が知られておらず、職場内での性的ないやがらせが問題視されないできた経緯がある。ベトナムでは今も、こうした概念がそこまで浸透していないために、労働者がなにかの困難に直面しても、そのことを問題として認識すること自体、なかなかできないケースがあるだろう。

そのために、ベトナム人技能実習生に、「差別を受けたり、いやなことをされたりした事がありますか?」「困ったことはありましたか?」と聞いただけでは、なかなか状況が見えないことがある。

具体的に、「体を触られたことがありますか?」「怒鳴られたことはありますか?」「1日の就労時間は何時間ですか?」「休みは週に何日ありますか?」というように質問しなければ、なかなか就労の実態が見えてこない。

しかし、マイさんは「差別」という言葉に敏感に反応し、私の質問に対してすぐに、会社から不当な扱いを受けていることを説明した。彼女がこうした答えを即座に返したのは、彼女の置かれた状況があまりにもひどいということではないかと、私は感じた。

◆限られた日本人との接点、日本にいても習得できない日本語

また、マイさんは、せっかく日本にきても、仕事以外の場所で日本人と交流したり、日本語を学んだりする機会はほとんどないという。

技能実習生として日本の企業で働く中で、日本人と交流したり、日本語ボランティア教室に通うなどして日本語を学んだりし、一定の日本語能力を身につける技能実習生もいる。

だが、マイさんは、長時間労働と休みのない生活の中で、日本語を勉強する時間を確保することは難しい。夜10時まで働いていれば、勉強どころではなく、体を休める時間さえないだろう。

そして、職場では社長から「ベトナムへ帰れ」と怒鳴られる日々だ。日本人との交流など、期待できないだろう。

◆「会社が怖い」、やっとの思いで労組に駆け込む

岐阜駅。筆者撮影、岐阜。
岐阜駅。筆者撮影、岐阜。

こうした状況はマイさんと同じように働く職場の技能実習生を追い詰めた。

残業の時給400円という低賃金、過労死ラインを超える長時間労働、生活環境の課題、そして雇用主から怒鳴られたり、暴言を受けたりすることから、彼女は相談をすることを決め、最終的に愛労連(愛知県労働組合総連合)に加入した。

ただし、外部に相談するのにも、相当の不安があったようだ。

高額の渡航費用を借金し、さらに家族の期待を一身に受けて来日した技能実習生はこの借金を返すためにも、家族の期待に応えるためにも、途中で帰国することはできない。

そのために技能実習生は、会社や管理組合との間で、なにか問題が生じ、強制的に帰国させられては困ると考えるのだ。さらにマイさんのケースでは、職場で日本人から怒鳴られ、「ベトナムへ帰れ」と脅されることが多々あった。マイさんにとって会社も、雇用主も「怖い」のだ。

外部に相談することにより、会社や雇用主、管理組合と対立することになるのではないかと不安にさいなまれることもあるだろう。

その中で、マイさんは勇気を振り絞り、相談をし、愛労連に加入したのだった。

現在、マイさんは愛労連を間に入れ、会社との交渉を続けている。だが、その中でも、交渉には課題もあるなど、彼女は今も困難に直面している。

家族を助けるために、子どもを育てるために、自分の人生を変えるために、大きな期待をいだいて足を踏み入れた日本で、マイさんは厳しい状況に置かれてきた。彼女は、それでも今、あきらめずに希望をつかもうとしている。

一方、日本社会に生きる私たちは、店頭で売られる洋服をマイさんのような女性がつくっていることをきっとよく知らないままにすごしているのではないか。

いくら発展途上国への国際貢献や技術移転という建前を掲げても、日本の外国人技能実習制度は「短期契約の入れ替え可能な労働者」を低賃金で雇い入れ、日本人労働者を確保できない人手不足が深刻な部門での労働に振り向けている。その中で、最低賃金を下回る低賃金や過労死ラインを超える長時間労働という違反行為、パワハラ、人権侵害など数々の問題が起きている。

技能実習生はもともと、高額な渡航前費用を払ってでも、国境を超え日本で働くことで人生を変えたいと希望するバイタリティーにあふれた存在だったはずだ。

言葉も文化も違う国にきて、なんとか働きたいという彼ら彼女らは、本来は自分の人生を自分の手によって変えようとする力強い存在であったはずだ。しかし、外国人技能実習制度が持つゆがんだ構造の中で、マイさんたち技能実習生が「被害者」にさせられていく。(了)

■用語メモ

【ベトナム】

正式名称はベトナム社会主義共和国。人口は9,000万人を超えている。首都はハノイ市。民族は最大民族のキン族(越人)が約86%を占め、ほかに53の少数民族がいる。ベトナム政府は自国民を海外へ労働者として送り出す政策をとっており、日本はベトナム人にとって主要な就労先となっている。日本以外には台湾、韓国、マレーシア、中東諸国などに国民を「移住労働者」として送り出している。

【外国人技能実習制度】

日本の厚生労働省はホームページで、技能実習制度の目的について「我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力すること」と説明している。

一方、技能実習制度をめぐっては、外国人技能実習生が低賃金やハラスメント、人権侵害などにさらされるケースが多々報告されており、かねてより制度のあり方が問題視されてきた。これまで技能実習生は中国出身者がその多くを占めてきたが、最近では中国出身が減少傾向にあり、これに代わる形でベトナム人技能実習生が増えている。

研究者、ジャーナリスト

東京学芸大学非常勤講師。インドネシア、フィリピン、ベトナム、日本で記者やフリーライターとして活動。2015年3月~2016年2月、ベトナム社会科学院・家族ジェンダー研究所に客員研究員として滞在し、ベトナムからの国境を超える移住労働を調査。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了(社会学修士)。ケベック州のラバル大学博士課程に在籍。現在は帰国し日本在住。著書に『奴隷労働―ベトナム人技能実習生の実態』(花伝社、2019年)。

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