3月に続いた性犯罪4つの無罪判決の解き方

性暴力と性暴力判決に抗議 東京駅前で「スタンディング」開催(写真:Duits/アフロ)

■はじめに

 今年の3月に性犯罪に関して次の4つの無罪判決が続き、社会的に大きな関心が集まりました。

  1. 福岡地裁久留米支部平成31年3月12日判決(「久留米判決」)
  2. 静岡地裁浜松支部平成31年3月19日判決(「浜松判決」)
  3. 名古屋地裁岡崎支部判決平成31年3月26日判決(「岡崎判決」)
  4. 静岡地裁平成31年3月28日判決(「静岡判決」)

 それぞれの判決についてはマスコミでも取り上げられ、ネットでも紹介もされていますが、事実認定もそれに対する法的な評価もたいへん微妙な事案ですので、ここではそれらの判決について検討すべき論点について考えたいと思います。

■それぞれの判決の内容と問題点

1.久留米判決と浜松判決について

 (1) まず、久留米判決ですが、泥酔状態にあった被害者に対して被告人が性交を行ったという事案です。被告人は、被害者が「飲酒酩酊のため抗拒(こうきょ)不能であるのに乗じ、同人を姦淫した」として、準強姦罪で起訴されました(刑法改正前の事件ですので、現在の準強制性交等罪[刑法178条2項]に当たる「準強姦罪」が適用されています)。

 これに対して裁判所は、当時、被害者が「抗拒不能状態」(反抗が著しく困難な状態)にあったことは認めましたが、被告人は、被害者が抗拒不能だとは認識しておらず、性交についての同意があったと誤信したので、準強姦罪の故意がなく無罪だとしました。

 浜松判決も、事案の構造としては久留米判決とよく似ています。事案は、午前2時前、ネットバンキングの支払いのために、自宅付近のコンビニを利用して出てきた被害者に、外国人の被告人が声をかけ、そのまま店舗西側の敷地に連行し、ウッドデッキに座らせた被害者の身体を触るなどし、強制的に口腔性交を行い、被害者に口唇挫傷などの傷害を負わせたというものでした(強制性交等致傷罪[刑法181条2項])。最後は、被告人は自らの手により、その場で地面に向かって射精を行っています。

 このような事実に対して裁判所は、口腔性交の事実は認め、被告人がその際に被害者の口に指を入れるなどした暴行によって被害者の「頭が真っ白になり」、拒絶することが非常に難しくなったのであって、その程度は被害者の反抗を著しく困難にするものだったと認定しました。

 他方、被告人の行為については、裁判所は、いわゆるナンパをした女性に対してその反応をうかがいながら徐々に行動をエスカレートさせ、最終的に拒絶の意思を感じた段階で行為をやめたものとも評価できるとしています。すなわち、被告人は被害者に対して二度の口腔性交を試みたのですが、その際に、殴る・蹴るといった典型的な暴行は行っていないので、被告人が被害者の「消極的な同意」(黙認)があったと考えていた可能性は否定できず、被告人に犯罪の故意があったとするには合理的な疑いが残る(無罪)としました。

 (2) これら2つの判決に共通するのは、それぞれ客観的に被害者の反抗を著しく困難にする暴行あるいは抗拒不能状態があったと認定されたものの、そしてその限りで客観的には違法行為が行われたものの、被告人にその犯罪性に関する認識が欠けていたので、「故意はなかった」とされた点です。

 性犯罪の本質は被害者の意に反する性行為にあると考えられていますので、故意が認められるためには、行為者が「自分は相手の同意なく性行為を行っている」という認識が必要です。したがって、たとえば、被害者が「いや」と言ったのを行為者は「いい」と聞き間違えて、「相手は同意していると思った」という場合は、行為者には「自分は犯罪を犯しているのだ」という認識(故意)が欠けることになります。

 ただし、行為者が安易に同意があると誤信した場合や、同意があったと身勝手に思ったような場合には、裁判所は、犯行の態様やその具体的状況を全体として観察して、ほとんどの場合その誤信には理由がないと一蹴しています。それについては多くの裁判例がありますが、以下のような事例が参考になるでしょう。

  • 被告人が性交に際して被害者に「いいか」と了解を求めたのに対して、被害者が「いい」と答えたという事情があったが、これは5人による集団レイプの事案で、他の共犯者が被害者に反抗を抑圧するような暴行を加えたあとの問答であった。(東京高裁昭和43年11月28日判決
  • 新聞勧誘員が白昼アパートにいた被害女性を姦淫したという事案で、被害者が抵抗らしい抵抗をしなかったので暗黙のうちに同意してくれていたとの被告人の主張に対して、被害者は心臓病を患っており、強く抵抗すると発作を起こすことを心配して強く抵抗しなかったのであり、被告人も被害者の顔色、息遣いその他身体的状況から病気中と知りながら姦淫したとされた。(束京高裁昭和60年10月14日判決
  • 被告人が経営するスーパーで万引をした被害女性に対して、情交に応じなければ警察に届けると脅迫して、2週間後にみずから承諾を申し出た被害者を姦淫したという事案で、姦淫じたいは通常の形態であっても、被告人の脅迫によって被害者は拒絶する気力を失っていたのであり、強姦罪が成立するとされた。(高松高裁昭和47年9月2日判決

 (3) このような裁判例と、久留米判決および浜松判決の一番の違いは、被害者の同意が実際にはなかったのに、被告人の方で同意されたと誤信し、その誤信には無理からぬ事情があった(つまり、その誤信は裁判所として納得できる)と認定された点です。

 たとえば、強盗の場合は、被害者の反抗を封じるほどの強い暴行脅迫が要件で、その程度に至らない場合は罪名は恐喝に落ちますが、強制性交の場合は、このようないわば「受け皿」に相当する犯罪規定が存在しませんので、強制性交における暴行の程度は(暴行そのものが脅迫的効果をもっていますし)、かなり緩いものでも認められる傾向にあるといえます。そのため、自分が行っている客観的な行為が「暴行」だとは気づきにくいということも言えるかと思います。また、久留米判決では、(判決書を読む限り)被害者の明確な拒絶の意思表示はなく、被害者が泥酔状態から覚めかけていたこともあり、「抗拒不能状態」かどうかの判断は微妙だったと言えます。

 ただ、特に浜松判決については、被害者(16歳)が面識のなかった被告人から夜間人気のない学校の校庭に誘われたのにこれを拒絶せず連行され、途中で接吻されたのに断固たる態度に出ることがなく、また殴る蹴るといった典型的な暴行もなかったという事案で、被害者の年齢や判断能力などから強姦罪を肯定した東京高裁昭和34年10月30日判決と、具体的にどのような点が異なるのかの比較検討が問題になると思われます。

 なお、相手の拒絶の意思に不注意で気づかなかった場合は〈過失で違法行為を行った〉ということになりますが、性犯罪には過失犯を処罰する規定がありませんから、その場合は無罪になります(性犯罪に過失犯の規定を設けるべきかどうかも現在の大きな論点の一つです)。

 *浜松判決について、個人的には1つ気になる点があります。それは、判決書の中で、「被告人は、射精後、『家に帰ったらメールして、心配だから』などと言って、Aと指切りをして別れた。」という事実が認定されている点です。被害者は、この直後、深夜であるにもかかわらず友人に約53分間にわたって電話をし、性被害にあったことを訴えています。被告人は、いったい何を「心配」していたのでしょうか。

2.岡崎判決について

 (1) 次に岡崎判決ですが、これは、同居の実子である被害者(19歳)に対して、中学2年生の頃から性交等の性的虐待行為を継続的に繰り返し、当初は被害者は抵抗していたものの、次第にその程度が弱まっていたところ、平成29年の8月と9月に愛知県のホテルで被害者の抗拒不能に乗じて性交を行ったとして、準強制性交罪(刑法198条2項)で起訴された事案です。

 裁判では、被告人は性交の事実について認めており、いずれも被害者の意に反するものであったことは裁判所も認定したのですが、被告人による長年の性的虐待はあったものの、被害者が性交を拒むことができないほどの強い支配服従関係が形成されておらず、その時の被害者の状態が(心理的)抗拒不能状態だったとするには合理的な疑いが残るとして、無罪としました。

 (2) 準強制性交等罪は、被害者の抗拒不能に乗じるか、被害者を抗拒不能にさせて、性交等を行うことが条件になっています。「抗拒不能」とは、反抗が著しく困難な状態と解釈されていますが、実際の裁判例を見ると、それほどハードルが高いとは思えず、最近ではかなり緩やかに解されています。これについては、とくに状況や人間関係が本件と似ている次の2つのケースが参考になります。

  • 被告人が、同居していた自己の養女である被害者に対し、被害者が小学校6年のときから27歳に至るまで長期にわたり性的虐待や暴行等を繰り返し、同女が被告人に対し恐怖心から抗拒不能な状態に陥っていることに乗じ、同女を姦淫した等の事実が問題になった事案で、裁判所は被害者が抗拒不能状態にあったことを認め、被害者との性的関係にはすべて同女の同意があった、あるいは同意があると誤信するような同女の言動があったとの被告人の主張を不自然かつ不合理として退け、被告人を懲役10年(求刑は懲役15年)に処した。(広島高裁岡山支部平成24年7月4日判決
  • 被告人が、自ら主催するゴルフ教室の生徒である被害者(当時18歳)を、ゴルフ指導の一環との口実でホテルの一室に連れ込み、恩師として信頼していた被告人の言動に強い衝撃を受けて極度に畏怖・困惑し、思考が混乱している状態の被害者を姦淫したとする事案で、裁判所は、当時被害者は「抗拒不能」状態にあったことは認めたものの、被告人にはその認識が欠け、準強制性交の故意はなかったとして無罪にした。(最高裁平成28年1月14日決定

 これらの事案は、岡崎判決と類似の事案といえますが、両事案とも、被害者が抗拒不能状態にあったことは認めています。ここから判断すると、岡崎判決の抗拒不能に関する判断基準はかなり厳しすぎるものであると評価せざるをえません(なお、最高裁平成28年決定の事案における故意の認定については、久留米判決および浜松判決と同様の論点が含まれています)。

3.静岡判決について

 この事件は、被告人が実子である被害者(12歳)に対して性交を行ったとして起訴された事件です。強制性交等罪(刑法177条後段)は13歳未満の被害者に対しては暴行脅迫を要件とはしていないため、被害者に対してただ性交の事実があれば犯罪が成立します。

 客観的な状況としては、狭小な自宅に被告人夫婦、被害者を含め4人の子ども、さらに被告人の母の家族7人が暮らしており、被害者の隣には約50センチ離れて妹がいつも寝ているような状況でした。そして、被害者の証言によれば、小学5年生の冬頃から週3回程度の頻度で約2年間毎週のように実父から性交を強要されたとのことです。そして、裁判所は、次のように判示して、被告人を無罪としたのでした(なお、他に被告人は児童ポルノ画像3点について、児童ポルノ所持罪で起訴されており、これは有罪[罰金10万円]とされました)。

 「本件被害者は、上記のように、約2年問、週3回程度の頻度で家族が就寝した夜に、寝室で姦淫被害を受け続け、その際、小さくない声で何度も、『やめて』と言ったり、隣で寝ている妹の名前を呼んだりしたなどと証言しており、そうであれば相応の頻度で相応の音量の物音が発生していたはずである。そして、上記のように、被告人方の各寝室は隣室に音が聞こえてくる構造で、本件被害者の寝室は被告人夫婦らの寝室と祖母の寝室の間にあったのであるから、真実、本件被害者のいうような姦淫被害があったとすれば、同じ寝室で就寝していた妹や隣の寝室にいた家族が、姦淫被害に気付くのが自然である。仮に他の家族が就寝していたとしても、家族が寝静まった状況下で本件被害者が声を出して抵抗すれば、誰かしら目を覚ますと考えるのが合理的であり、約2年もの間、週3回の頻度で姦淫があったにもかかわらず、他の家族が誰一人姦淫被害ばかりか、本件被害者の『やめて』という声にさえ気付かなかったというのは余りに不自然不合理である。また、他の家族が姦淫被害に気付きながらあえてこれを隠していることをうかがわせる事情もない。したがって、本件被害者の証言内容は客親的な状況に照らすと余りに不合理であり、弁護人の指摘するその余の事情を考慮するまでもなく、信用することはできない。」(太字は筆者)

出典:判決書より

 以上のように、本件は上述の他の判決に比べて論点は単純であって、犯罪事実が証明されなかったために無罪になったという事案です。裁判所のこの判断には、私は個人的には違和感はありません。なお、被害者は週に3回程度、約2年間毎週のように性交被害を受けたと証言しているのですが、判決文を読む限り、被害者が医師の診察を受けたかどうかはわかりません。証言どおりならば、何らかの身体的な痕跡が残ると思われるのですが、この点はどうだったのでしょうか。

■まとめ

 以上、4つの無罪判決について検討しましたが、それぞれの判決については、私は現在のところ次のように思っています。

 静岡判決は証明の問題で、性犯罪に特有の問題性は少ないように思います。結果的には、私は裁判所の認定に違和感はありません。

 岡崎判決は、抗拒不能の評価が問題になりましたが、過去の裁判例と比較すると、この無罪判決には違和感を覚えます。

 最後に、久留米判決浜松判決ですが、それぞれ被害者の意に反する違法な性行為が行われことは認定されましたが、行為者が「被害者が同意していた」と誤信していたので故意がなかったとされました。

 性犯罪における(真意に基づく)同意は、犯罪性を否定する要素ですから、「同意があると思った」という心の状態は一般には「故意」と呼べません。しかし、(1)被害者が「いや」と言っているのを「いい」と聞き間違えた場合のように、事実の認識そのものに誤りがある場合は、暗がりで人をマネキン人形と見間違えて石を投げる場合(これは過失傷害罪)のように、故意は否定されます(ただし、その場合でも、その後の状況で性行為の違法性には気づいたはずだと言えます)が、(2)被害者が(言葉や態度で)「いや」と言っているのを正確に認識したにもかかわらず、これは「『いい』という意味なんだ」と同意を身勝手に解釈したような場合は、客観的に犯罪とされる事実を認識している以上、原則として故意は否定されません。ただ、そのときの状況から、許されていると思うことは無理もなかったと言える場合にのみ、故意は否定されます。久留米判決浜松判決では、このような理由で故意が否定されたのではないかと思います。このような論点については参考となる過去の事例も乏しく、どのような個別事情があったときに「故意がなかった」という判断に合理性が認められるかは、今後研究されるべき重要な課題だと思います。(了)

【補足】

 刑法学では、「評価の対象」について誤認した場合と「対象の評価」について誤認した場合とを区別して議論するのが一般です。

 「評価の対象」の誤認とは、たとえば襲われるという事実がないのに「襲われる」と思って正当防衛を行うような場合です。この場合、行為者の心理は、事実誤認の結果、「自分は正当防衛(適法行為)を行う」ということですから「故意」とは呼べません。運転中に前方不注意で人に気づかなかった場合のように、誤認について不注意(過失)があれば、過失犯が問題になります。

 これに対して「対象の評価」を誤認する場合とは、たとえば先制攻撃をかけることも正当防衛だと勝手に条文を解釈して、脅迫文を送ってきたが、まだ何もしていない相手を攻撃するような場合です(これは正当防衛ではありません)。この場合は、犯罪とされる「事実」そのものは正確に認識しており、その評価、つまり刑法を勝手に解釈しており、故意は否定されません(刑法38条3項)。

【参考】

 次の拙稿も合わせてお読みいただけると幸いです。