同意の問題を性犯罪の中心で議論すべきではない―伊藤詩織さんのケースについての一つの見方―

(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 相手に薬や酒などを飲ませて抵抗不能な状態(「抗拒不能(こうきょふのう)」といいます)にしたり、すでにそのような状態にあることに乗じて性交を強要する準強制性交(かつての準強姦)は、身体にアザや傷が生じたり、衣服等が損傷するといった暴力的行為の痕跡(証拠)が残りやすい強制性交(かつての強姦)に比べて、被害者の意識レベルが著しく低下した状態で性交が強要されることから、証拠が残りにくく、立証が難しい犯罪だといわれています。しかも、「抗拒不能」とはどのような状態なのかについても必ずしも明確ではなく、裁判でも議論になるケースは少なくありません。

 「抗拒不能」とは、「反抗が著しく困難な状態」(判例)のことだとされています。これは、強制性交罪における暴行・脅迫の程度が、被害者の抵抗を完全に封じるほど強いものである必要はなく、より弱いものであっても犯罪の成立を認めてよいとされていることと連動しています。

 もちろん、それは相対的な判断ですから、暴行・脅迫の態様、時間的・場所的状況、被害者の年齢・精神状態等の事情を考慮して客観的に判断されることになります。ただ、手段の強度を緩めると被害者保護につながるように見えますが、現実はそうとは限らず、手段が弱いだけ抵抗の余地が生じることから、その程度を判断するときに被害者の態度が問題とされることがあります。

 性交を同意している者に性交のための暴行・脅迫を加えることは普通はありえませんから、被害者が抵抗しなかったように見えることが同意の存在を推定させることになり、捜査の過程で被害者に対して、抵抗する余地があったのに、「なぜ抵抗しなかったのか」、「なぜ逃げなかったのか」、「なぜ叫ばなかったのか」などの残酷な質問がなされ、被害者を打ちのめすことになります。しかし、抵抗しなかったことが暴行や脅迫がなかったことにはならないので、それが暴行や脅迫の評価にプラスの影響を与えるとすれば、それは本末転倒な議論だといえます。

 準強制性交でも、薬物の種類・量や摂取したアルコールの量、性行為に至るまでとその後の状況、人間関係などの情況証拠から慎重に推論を重ねて性交時の同意の有無が認定されることになりますが、意識混濁状態での性交について拒絶・抵抗しなかったことを「抗拒不能」の判定資料とすることは、議論の本質を誤るおそれがあります。

 2017年に刑法の性犯罪規定は、大きな改正を経験しました。その背景には、性犯罪を人の性的尊厳を傷つける犯罪と見るべきだという意見が影響を与えています。性的自由を問題にすると、犯罪の成否が、被害者がどれだけ意思決定の自由を奪われたのかという量的な問題として矮小化されるおそれがあります。性犯罪は、むやみに他人から性的干渉を受けない権利、すなわち性的不可侵性ないしは性的尊厳を侵害する犯罪行為ととらえるべきです。

 このような見方は、性犯罪における同意の意味にも影響を与えることになります。

 同意の要件は、性犯罪の中心に位置づけられるべきではありません。性的尊厳の否定へとつながるような行為がなされたのかどうかが問題の入り口であって、そこに被害者の態度を参照することは不毛な議論を生み、問題の本質を誤ることになります。なぜなら、(よく言われることですが)恐怖のあまり固まってしまい、外見的には同意しているように見える場合もあれば、「早く済ませる」ためにむしろ協力的な態度を取る場合すらありうるからです。したがって、行為の評価に際して被害者の態度を参照することは避けるべきです。被害者の同意は、あくまでも行為者の規範的なマイナスを埋め合わせる要件とされるべきです。

 行為者が、女性の同意があったと主張するならば、その主張が客観的に納得できるかどうか、つまりその主張に「相当な根拠」があるのかどうかが吟味されるべきです。そして、その場合の相当な根拠とは、裁判において主張を裏付けるに足りる程度の証明資料を用意できたような場合がその典型例でしょう。そうでなければ、同意があったという抗弁を認めるべきではありません。相手の女性が性行為に同意しているとの誤信は、性犯罪の故意がなかったということと決してイコールではないのです。(了)

【追記】

本稿は、岩波書店「世界」2018年1月号192頁以下に執筆した、拙稿「同意の要件は性犯罪の中心から外すべきである」を元に、表現を分かりやすく修正し、本文を若干短くしたものです。転載を承諾していただいた「世界」編集部に謝意を表します。