前科で人を選別する仕組み
はじめに
子どもに対する性犯罪を予防するために、性犯罪前科で人を選別し、教育や保育の現場での就業を制限しようとする「日本版DBS」の国会審議が始まっている。
子どもに対する性犯罪の卑劣さ、被害の重大さは言うまでもないことであるが、それを予防するための「日本版DBS」はいわば劇薬のようなもので、その副作用はどこまで広がるか分からない。そんな怖ろしい法案である。以下、いくつかの問題点を指摘しておきたい。
犯罪が起きないような環境づくりこそが重要
教育や保育の現場で起こっている性犯罪の圧倒的大多数は、実は前科のない「初犯」である。前科がないから、DBSは使いようがない。
前科情報はもっとも慎重かつ厳格に国が管理してきた個人情報であるが、その縛りを解いて民間に流し、それを犯罪予防に使おうという発想じたいに、許容しがたい無理がある。
そこで、対象を広げて、前科がつかない少年時代の性犯罪や成人であっても示談などで不起訴になった事案も対象に含めるべきであるという意見がすでに出されていて、(予想どおりだが)止めどなく悪い方向に向かっている。むしろ、初犯や再犯にかかわらず、犯罪が起きないような環境づくりこそが重要であって、ここに社会の知恵を絞るべきである。
今問題なく働いている人も職場を追われる
この制度は、今働いている人たちにも適用がある。この点も重大だ。
過去に過ちを犯したものの、治療を受けたり、また本人も努力したりして、何年も問題を起こさず真面目に働いている人もいるだろう。にもかかわらず「日本版DBS」は、その人の過去を詮索し、ほじくり返して職場から排除しようとする制度である。
刑法では禁錮刑(拘禁刑)以上の執行後10年、罰金や執行猶予の場合は5年で「刑が消滅」する。つまり前科がリセットされ、刑の言渡しがなかったことになる(刑法第34条の2)。
だれでも不本意ながら恥とスティグマ(烙印)を抱えて生きているが、中でも前科はもっとも生きづらさの原因になるスティグマの一つであり、人生のやり直しを難しくする。刑法は、一度罪を犯して躓いた者に更生のチャンスを与えるために、このスティグマを消すのである。
しかし法案は、この刑罰制度の根幹を軽んじて、禁錮刑以上の重い場合は執行後20年前まで、軽い犯罪で罰金刑の場合や執行猶予の場合は10年前まで遡って前科(前歴)情報を照会し、利用できることにしている。
かりに10年前に事件を起こして罰金刑に処せられたが、その後反省して何も問題を起こさず真面目に働いている人もいるだろう。そのどこに「危険性」があるのだろうか。
更生に向けて努力するのは本人だけではない。家族や友人、周囲の人びと、あるいは官民で犯罪者の更生保護に携わっている人びとがいる。一度躓いた人たちの社会復帰を支え、社会へ後押しする、これら関係者の献身的な努力を法案はどのように評価しているのであろうか。
無実の人にも前科は残っている
えん罪の問題も無視できない。法案では、都道府県の迷惑防止条例違反、とくに痴漢などの前科も対象になっている。
通勤通学途中などで痴漢に間違われ、無実なのに、しぶしぶ示談に応じたり、罰金を支払ったりするケースなどが、実態としてどれくらいあるかは分からないが、大きな社会問題になっているほどである。この人たちにも「前科」は残っている。しかも、異議申し立てはできず、かりにできたとしてもどのような資料(証拠)にもとづいて、だれに向かって、どのように無実を証明すればよいのか。
教育現場で働いている人は140万人ほどいるといわれているが、DBSが実施されれば現場はパニックになるだろう。もしも前科が発覚すれば、そのまま働き続けることはできなくなる。二重三重にもスティグマが押されることになる。本人はもとより、家族や友人、職場、地域社会は大混乱になるだろう。
結語
法が成立すれば、さらに職域が拡大されるおそれもある。それが社会全体に及ぼす影響は、想像以上に大きいだろう。
何度でもいうが、重要なことは、初犯や再犯に関係なく、犯罪を行ないにくい環境をどのようにつくるのかということである。過去の前科情報に頼り、それに基づいて人の選別を行なう犯罪予防策は、刑事政策的にも間違っている。
「日本版DBS」は、真実の石に刻まれた言葉ではない。百害あって一利なしである。(了)