読み替えられる「バブリー」イメージ──「ダンシング・ヒーロー」再ヒットの行方

アネキカク「バブリーダンスPV 登美丘高校ダンス部」より

「バブリーダンス」大ヒット

 先日、YouTubeの国内年間トップトレンド動画が発表された。この非音楽動画部門で人気ユーチューバーを退けて1位に輝いたのが、大阪府立登美丘高校ダンス部による「バブリーダンスPV」だった。

 現在2500万ビューを超えるこの動画は、1985年に発表された荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」に合わせて、高校生たちがボディコン姿で踊るものだ。

 1985年11月に発表された「ダンシング・ヒーロー」は、同年発表されたアンジー・ゴールド「Eat You Up」のカバー曲だ。歌手デビュー2年目だった荻野目洋子の出世作とも言うべき作品で、当時すでにヒット曲として知られていた。それが32年後に再ブレイクしたのである。

「ダンシング・ヒーロー」も再ヒット

 9月16日に発表された「バブリーダンスPV」は、すぐにネットを中心に火がつき、音楽チャートにもその影響が波及した。直後の「Billboard Japan Hot 100」チャート(9月25日付け)では、「ダンシング・ヒーロー」が46位にランクイン。さらに翌週(10月2日付け)には、2位にまで躍り出た。12月20日には、15曲入りの『ダンシング・ヒーロー ジ・アーカイブス』も発売される予定だ。全般的に不作傾向だった2017年の音楽シーンにおいて、80年代のアイドルソングが一世を風靡しているのだ。

〈上〉荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」(1985年)、〈下〉同『ダンシング・ヒーロー ジ・アーカイブス』(2017年12月20日発売予定)
〈上〉荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」(1985年)、〈下〉同『ダンシング・ヒーロー ジ・アーカイブス』(2017年12月20日発売予定)

 すでに『ミュージックステーション』(テレビ朝日)などで荻野目洋子と登美丘高校ダンス部の共演は実現しており、12月30日には特別賞を受賞した『日本レコード大賞』(TBS)への出演も予定されている。この調子なら、『NHK紅白歌合戦』への出場も十分にありうるだろう。

 登美丘高校ダンス部のPVの特徴は、それが「バブリーダンス」と名付けられ、部員たちが80年代中期から後半にかけて流行ったボディコンスタイルをしているところだ。その大きなヒントとなったのは、やはりバブルネタで大ブレイクした芸人・平野ノラだろう。「しもしも」「おったまげ~」など、平野のネタをサンプリングしてPVにも取り入れており、テレビ番組でも共演している。

 さらに21日には、TBS系『ネプ&ローラの爆笑まとめ!2017』(20時)で、荻野目と平野がいっしょに「ダンシング・ヒーロー」を披露することが発表されている。三人はそれぞれ共演を果たしたのだった。

 平野ノラ、登美丘高校ダンス部、そして荻野目洋子――“バブリー”イメージはこの三者によってさらに拡大しそうな勢いだ。

バブル期じゃない“バブリー”イメージ

 しかしこうした“バブリー”イメージは、必ずしも実際のバブル期と一致するわけでもない。

 たとえば荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」が発表されたのは、1985年11月だ。このときの日本経済は、2カ月前のプラザ合意によって1ドルが200円を割る急激な円高が生じていた。それにより輸出産業は打撃を受け、「円高不況」と呼ばれる状況に陥っていた。

 バブル経済の始まりは、その1年後からだとされている。政府見解では、「景気基準日付」の第11循環である1986年11月から1991年2月までがバブル景気に該当する。これは概ねひとびとの実感とも重なっており、「バブル崩壊」という言葉が囁かれだすのも1990年の後半からだ。つまり「ダンシング・ヒーロー」は、バブル前夜に発表された曲だ。

 「バブリーダンスPV」でも、非バブル期のカルチャーがいくつも見られる。たとえばここで一部流される「ダンシング・ヒーロー」以外の曲も、その多くがバブル期の前後に発表されたものだ。登場順に列挙すると以下となる。

  • バナナラマ「ヴィーナス」(オープニング)……1986年
  • Maximizor「Can't Undo This!!」……1992年
  • デッド・オア・アライヴ「You Spin Me Round[Like A Record]」……1984年
  • アラベスク「ハート・オン・ファイア」……1984年
  • EARTH WIND & FIRE「宇宙のファンタジー(Fantasy)」……1977年
  • 石井明美「CHA-CHA-CHA」(エンディング)……1986年

 このなかでバブル期の発表は、最初と最後の「ヴィーナス」と石井明美の「CHA-CHA-CHA」のみ。中盤のフリーダンスシーンでかけられる4曲は、すべてバブル期前後に発表されたものだ。おそらくディスコのイメージで取り入れられたのだろう。

 また、このシーンでは部員たちがカラフルな羽扇子、いわゆる「ジュリアナ扇子」を持って踊る。後ろでかかるのは、Maximizorの「Can't Undo This!!」。これは芝浦のディスコ・ジュリアナ東京のお立ち台で流行ったカルチャーだ。

 しかし、ジュリアナ東京がオープンしたのはバブル崩壊直後の1991年5月。その後、92~93年をピークに大きな注目を浴び、94年には閉店する。しばしばジュリアナ東京はバブル時代の象徴であるかのように見なされるが、実際はバブル崩壊直後に登場したものだ。

 このように、「バブリーダンスPV」に登場する多くのカルチャーは、実際のバブル期には見られなかった。

バブル期に勃興したユーロビート

 実際はバブル文化ではないのに、バブル文化に感じられる──無意識のうちに生じるこうした記憶の読み替えは、なにを示唆しているのだろうか。

 それを考えたときに浮かび上がってくるのが、単調なリズムにメロディアスなシンセサウンドのユーロビートだ。それは、1985年発表の「ダンシング・ヒーロー」と、93年頃のジュリアナ東京を象徴する曲「Can't Undo This!!」との共通点でもある。つまり、ユーロビートが強い「バブリー」イメージを帯びている。

 実際、バブル期の86年から90年の間とは、洋楽カバーのユーロビートが次々とヒットした時期だ。その嚆矢が「ダンシング・ヒーロー」だった。その後、長山洋子「ヴィーナス」(1986年)、BaBe「Give Me Up」(1987年)、森川由加里「SHOW ME」(1987年)、Wink「愛が止まらない ~Turn It Into Love~」(1988年)、同「涙をみせないで ~Boys Don't Cry~」(1989年)と、アイドルによるユーロビートカバーが毎年のようにヒットし続ける。当時、これらの曲を洋楽カバーだと知らずに聴いていたひとも少なくないかもしれない。

安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S「TRY ME ~私を信じて~」(1995年)。安室の出世作もユーロビートだった。
安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S「TRY ME ~私を信じて~」(1995年)。安室の出世作もユーロビートだった。

 90年代に入ると、エイベックスのコンピレーションアルバム『SUPER EUROBEAT』が始まる。エイベックスはこのシリーズを軸に拡大していった。92年の「Can't Undo This!!」もその過程で生まれ、その後の小室哲哉による一連のプロデュースや、安室奈美恵のブレイク曲「TRY ME ~私を信じて~」(1995年)などに繋がっていく。

 00年代に入るとユーロビートは音楽の最前線からは姿を消すが、パラパラは一部のギャル文化には完全に根付いた。また、愛知や岐阜などでは盆踊りで「ダンシング・ヒーロー」が定着した。こうしたプロセスを経て、今年の登美丘高校ダンス部による大ヒットが生じたのである。

リブートかノスタルジーか

 老いも若きも大好きなユーロビート──おそらく、そこにはあの明るかった「バブリー」イメージが詰まっている。アメリカ起源のソウルミュージックやR&Bが海外ほど浸透しないのも、ユーロビート人気があるからかもしれない。もはやそれは、外国起源のラーメンやカレーのように日本社会に定着している。

 ただ、このとき問われるのはそのリバイバルの質だ。

 「バブリーダンスPV」は単なるノスタルジーなのか、それとも前向きなリブートなのか。より具体的に言えば、未来に希望を抱けない中高年層の自己慰撫のツールなのか、それとも登美丘高校ダンス部のような若者たちにとっての未来を切り開くための資産なのか。

 世界に目を転じても、リバイバルは各所で見られる。

 ハリウッドでは『スパイダーマン』や『スーパーマン』など、大ヒット映画のリブート(再起動)が盛んだ。K-POPでも、若手人気歌手による80年代のアイドルソング「オジャパメン」のカバーをはじめ(参考:「時空を超えた『オジャパメン』」)、5年ほど前から復古調はひとつの柱となっている。

 こうした海外のポップカルチャーは、おしなべてリブートの要素が強い。オリジナルのテイストを維持しながらも、現代的な再解釈を加えることで新しさを提示している。蓄積された資産を活用することで、過去と現在を文脈的に接続しようとするムーヴメントとも解釈できるだろう。全般的に前向きだ。

 では、「ダンシング・ヒーロー」やバブルカルチャーのリバイバルはどうなのか? たとえるならば、「独自進化したカレーライス」となるのか、それとも「懐かしい給食のカレー」で終わるのか?

 それは年末年始のテレビに登場する登美丘高校や荻野目洋子に対する反応、そして来年以降の80年代リバイバルの質から、その傾向はよりはっきりするだろう。32年後の「ダンシング・ヒーロー」は、日本のポップカルチャーが新しい地図を描けるかどうかのリトマス試験紙なのかもしれない。