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「200年に一人の天才ボクサー」の命日に

林壮一ノンフィクションライター
撮影:筆者 2008年7月末、亀田昭雄は26年ぶりに宿敵と再会した

 2年前の今日、「200年に一人の逸材」と形容された元WBAジュニアウエルター級1位、日本同級&日本ウエルター級王者だった亀田昭雄が亡くなった。本コーナーに何度も登場し、数々のファイターや試合に関するコメントを頂いた。享年65。2年ほど直腸癌との闘いを続けていた。

 日本ウエルター級で無敵だった亀田は、1982年7月4日、1階級落としてWBAジュニアウエルター(現スーパーライト)級チャンピオン、アーロン・プライアーに挑む。ファーストラウンドに亀田が鮮やかなカウンターの左ストレートでダウンを奪うも、その後5度倒され、第6ラウンドに力尽きた。

撮影:筆者 
撮影:筆者 

 筆者は2003年6月からプライアーの取材を始めたが、元パウンド・フォー・パウンドKINGは会う度に「アキオ・カメダはどうしているんだ? 元気なのか? 会いたい」と繰り返した。そしてある時、自身の若き姿が写ったパネルに「我が友、カメダへ」と記し、サインを入れて私に届けてくれと言った。

 当時米国ネバダ州で暮らしていた私は、亀田を探し当て、一時帰国した折にそのパネルを届ける。そして2008年、私はプライアーと亀田の再会の機会を作ったーーーー(その模様を詳しく知りたい方は拙著、講談社刊『神様のリング』をお読みください)。

撮影:筆者 吉野弘幸(左)と坂本大輔 
撮影:筆者 吉野弘幸(左)と坂本大輔 

 亀田が永眠してから、私の下に戻って来たそのパネルをどうしたらいいか、迷っていた。この程、ようやく適任者が見付かった。

 元日本ウエルター級暫定チャンピオン、坂本大輔だ。現役時代、トレーナーに「プライアーみたいなボクシングを目指せ!」なる助言を受け、引退まで意識して過ごした男である。

 坂本は小学5年の長男を、吉野弘幸が経営するエイチズスタイル・ボクシングジムに小学校入学時から通わせている。現役時代、吉野の代名詞だった左フックを習いに通ったことが縁となっている。

 「吉野さんは本物でしたからね。東京ドームで初めて勝利したプロボクサーとなってから、日本ウエルター級王座を14度防衛。そして、全て左フックで12連続KO勝ち。人格者でもある。ずっと尊敬の対象ですよ」

 エイチズスタイル・ボクシングジムの受付で、プライアーが亀田昭雄に贈ったものと同じパネルが飾られている様を坂本は目にする。そして、吉野から借りて、『神様のリング』を読み、プライアーの人生を知った。

 「プライアーの生き方に触れ、心が震えました。亀田さんのような天才がいたんだな。また、真の実力者なのになかなか光が当たらなかったプライアーみたいな人もいたんだな…自分は16歳から20年ボクシングをやりましたが、そういう男を知ることが出来て本当に良かった。また、諦めずにボクシングをやって良かったと、改めて感じます。

 今、パネルを自宅に飾りながら、プライアーみたいに、心を強く生きねば、と思っています」

 筆者は、2016年10月9日に永眠したプライアーと、2年前に鬼籍に入った亀田昭雄に、2人の友情の証がどうなったのかを天に向かって報告した。

 日本ウエルター級王座に就いた3人が、思い思いにプライアーの大きさを感じている点にも、胸が熱くなった(明日に続く)。※文中敬称略

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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