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リングを離れても闘い続ける元日本チャンピオン

林壮一ノンフィクションライター
写真:山口裕朗

 元日本ジュニアフェザー(現スーパーバンタム)級チャンピオン、岩本弘行が東京都板橋区大山に自身の鮨屋をオープンしたのは2000年9月2日。先日、22年目を迎えた。

 無論、コロナ禍で営業停止を余儀なくされたが、お馴染みさんからは、一刻も早い再開のラブコールを受けていた。

 日本王座を通算10度防衛した真面目な人柄が、彼の握る鮨にも表れており、ボクシング好きも、そうでない人もリピーターとなった。

https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20200925-00199254

撮影:著者 2020年9月
撮影:著者 2020年9月

 岩本は、緊急事態宣言解除翌日の10月1日から、再び店を開ける準備に明け暮れていた。毎日、店に足を運び、隅々までくまなく清掃する。お客さんの顔が思い浮かび、「次回はどう喜んで頂こうか」と思いを巡らす日々だった。

 そんな矢先の9月21日のことだ。いつものように、正午過ぎに店内の掃除をしていると通行人の中年男性から声を掛けられる。

 「上の階から煙が出ていますよ!」

 次の瞬間、表に出ると、真黒な煙が空を覆っている。2階の大家さんを助け出そうと走ると、パーン、パーンと破裂音がした。

撮影:著者 2020年9月、店の前で
撮影:著者 2020年9月、店の前で

 『鮨処いわ本』の店舗は1階。2階に大家さんの住居があり、3階は3世帯が入るアパートとなっていた。3階の一室から火が出た。

 「『火事だ!』と大騒ぎになり、直ぐに数台の消防車が到着して放水活動が始まりました。幸い、火は消し止められましたが、座敷もカウンターも、冷蔵庫も水浸しです。生ビールを出すディスペンサーも冷蔵庫も、使い物にならなくなってしまいました。

 10月からようやくお客さんと再会できる。いくつか予約も入って、コロナで仕事ができなかった分を取り返すぞ、と楽しみにしていたんですが……」

撮影:著者
撮影:著者

 「これから保険会社や大家さんとの話し合いが行われます。プロボクサーを目指して15歳でヨネクラジムに入門した際、米倉健司会長の計らいで、後援者企業である宝石会社が正社員として迎え入れてくれました。26歳で引退するまで、同じ社で働きました。

 そのまま会社にお世話になることもできたのですが、私はどうしても鮨職人として、自分の店を持ちたかった。34歳から見習いとしてスタートし、8年間で8箇所の店を渡り歩きながら、研究してきました。大山で店を出してからは、『自分は潰れない』『絶対に逃げない』と誓って握り続け、21年が過ぎました」

撮影:著者
撮影:著者

 20年以上も店を構えていれば、山もあり谷もあった。苦しい時は、ボクサー時代の師、故松本清司トレーナーの言葉を噛み締めた。

 「松本先生が繰り返した『自分に勝て!』という言葉を思い出しましたね。今もそうです。こんな時こそ、人間は前向きにならなきゃいけませんよね」

撮影:著者 2020年9月
撮影:著者 2020年9月

 リングに上がるボクサーから人生を学ぶことは多い。岩本が暖簾を守る様からは、引退後、一から闘い続けた矜持が見える。

 今、直面している壁も、日本ジュニアフェザー級王座を通算10度防衛したスピリッツで、どうか乗り越えてほしい。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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