Yahoo!ニュース

日本ライト級最強の男がリングに復帰<前編>

林壮一ノンフィクションライター
撮影:筆者

 来たる6月17日、吉野修一郎がリングに戻って来る。“世界”を覗いて以来の復帰戦だ。4月17日、彼をインタビューした。

WBAチャンピオン、ジャーボンテイ・デービス
WBAチャンピオン、ジャーボンテイ・デービス写真:ロイター/アフロ

 135パウンド(61.2kg)。この階級にはWBAのベルトを巻くジャーボンテイ・デービスという化け物がいる。WBC王者のシャクール・スティーブンソンもフェザーから3階級を制覇中だ。

 そのスティーブンソンと、吉野修一郎が拳を交えたのは2023年4月8日のことだ。WBCライト級挑戦者決定戦として、本場でメインイベンターとなった。16勝無敗12KOで、日本、OPBF東洋、WBOアジアパシフィックと、アジア圏内で敵なしだった吉野だが、米国ニューアークでは6ラウンドKOで敗れた。

撮影:筆者
撮影:筆者

 日大ボクシング部OBの父親から手解きを受けた吉野は、中学生時点で近隣の強豪高校の部員たちをスパーリングで圧倒した。作新学院時代は高校4冠。東京農大、そして、およそ1年間のサラリーマン生活を経て、2015年に三迫ジムからプロデビューする。

 順風満帆に歩を進めて来たかに見える吉野だが、2021年8月の日本ライト級タイトル7度目の防衛戦の頃から、両肘に痛みを覚えるようになる。

 「左もでしたが、右の方が酷くて。段階的に言えば、その頃がレベル1だとすると、2022年4月の伊藤雅雪(元WBOスーパーフェザー級王者)戦の頃の痛みは、8~9になってしまって、自分の右ストレートを躱されたら、もう抜けてしまうような感じでした。靭帯、尺骨神経が傷付き、さらには変形性関節炎も併発していました。肘の骨が変形しちゃったんですよ」

 長くボクシングを続けてきたことによるものだった。

写真:山口 裕朗   中谷正義戦
写真:山口 裕朗   中谷正義戦

 「騙し騙しやるしかなかったです。練習でもスパーリングでも、サポーターで固定したり、時間を掛けてのアイシングを繰り返したり。試合が終わった日は、45度くらいしか肘が回らない状態でした。1カ月くらい練習を休んでも治まらず、ストレスを溜めながらずっとやっていました」

 挑戦者を迎え撃つことはもちろんだが、吉野はケガとの戦いも強いられていたのだ。スティーブンソン戦の5カ月前、国内の実力者である中谷正義を6回で仕留めたファイトは、見応え十分だった。やはり、日本のライト級で吉野は頭一つ抜け出ているという内容での快勝だった。

写真:山口 裕朗   中谷正義戦
写真:山口 裕朗   中谷正義戦

 「中谷戦も、正直、肘がヤバかったんです。実は、右ストレートを打たない作戦でした。でも、そういう訳にもいかないですよね。途中で『あ、痛い』という局面もありました。まぁ、アドレナリンが出ているから…やって、終わった後は案の定という……」

 そんななかで決まったのが、スティーブンソン戦だった。

 「念入りにアイシングをして、病院にも通って、中谷戦よりはコンディションが良かったですね」

撮影:筆者
撮影:筆者

 リオ五輪で銀メダリストとなり、プロ転向後も3階級を制したサウスポーと、吉野は対峙した。

シャクール・スティーブンソン
シャクール・スティーブンソン写真:ロイター/アフロ

 「前半は自分のパンチが当たらないことを予想していました。なので、中盤、後半が勝負だなと。とはいえ、スティーブンソンは巧みでしたね。2発打っても捕らえられないし、ポジショニング、足の位置取りも上手く、空間支配能力も高かった。全てにおいてスキルが一枚上でした。僕のしたいことを、やらせてもらえない。こちらが嫌なことをしてくる選手でしたね」   (後編に続く)

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

林壮一の最近の記事