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タイソンvs.ホリフィールド3「消滅」

林壮一ノンフィクションライター
(写真:ロイター/アフロ)

 シルエットが大きくなるに連れ、自分が数秒後に誰とすれ違おうとしているのかが分かった。

 4人の側近を従え、薄暗い通路を向こうから歩いてくるのは、マイク・タイソンだ。カードマンによって両サイドの出入口が塞がれているため、この通路にはタイソン一行と私しかいない。

 目と目が合った時、私は右の拳をかざし、彼に向かっておどけた。すると、タイソンもファイティングポーズをして笑顔を見せた。

 「復帰戦はいつなんですか?」

 近付いて訪ねると、 独特の甲高い声が返って来た。

 「来年の頭には、やりたいと思っている」

 握手の手を差し出し、「グッドラック」と肩を叩くと、タイソンは両手で私の右手を握り、「サンキュー」と2度繰り返した。柔らかな手の感触と、拍子抜けするほど腰の低い元統一世界ヘビ一級王者の姿に驚いた。

自身の時代を築いたマイク・タイソン
自身の時代を築いたマイク・タイソン写真:アフロ

 2002年11月2日、ネバダ州ラスベガスMGMグランドガーデン。この時私は、マルコ・アントニオ・バレラとジョニー・タピアによって争われたノンタイトルフェザー級12回戦を観戦し、記者会見場に移動中であった。

写真:ロイター/アフロ

 タイソンは、タピアを応援するために会場にやって来たのだった。この数年の間に何度もタイソンを目にしてはいたが、実際に言葉を交わしたのは初めてである。思いのほか、普通の男に思えた。

 この日を遡ること7年前の夏だった。私はタイソンの試合を初めてアリーナから観た。レイプ罪による実刑判決を受け4年余りのブランクを作った彼は、ピーター・マクニーリーという名のアイルランド系アメリカンを相手にカムバック戦を闘った。場所は、この日と同じMGMグランドガーデン。

 タイソンは僅か89秒でマクニーリーを沈め、再起した。その後、同じMGMグランドガーデンのリングに6度上がったが、かつての輝きは取り戻せなかった。2002年の11月とは、タイソンにとって、最後の世界タイトルマッチとなったレノックス・ルイス戦での敗北から5カ月後のことである。

https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20171201-00078376/

2002年6月8日、タイソンはルイスに8回KO負けした
2002年6月8日、タイソンはルイスに8回KO負けした写真:ロイター/アフロ

 MGMですれ違った日以降、タイソンは3度リングに上がり、1つの白星を挙げたが2連敗を喫して引退した。

提供:Joe Scarnici/USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 昨年、エキシビションマッチが話題となった54歳のタイソンだが、練習やロイ・ジョーンズ・ジュニア戦の映像を目にする限り、彼は本当にボクシングが好きなのだと感じる。

 ジョーンズとのエキシビションの後、タイソンはリングに上がり続けるとアナウンス。そこで彼と2度拳を交え、タイソンに耳を食いちぎられたイベンダー・ホリフィールドが対戦を熱望し、この数か月間は「Tyson v Holyfield 3」が実現するか否かが注目された。

両者の第1戦は1996年11月9日。前日計量で、タイソンが222パウンド、ホリフィールドは215パウンドであった。
両者の第1戦は1996年11月9日。前日計量で、タイソンが222パウンド、ホリフィールドは215パウンドであった。写真:ロイター/アフロ

 しかし、現地時間3月22日、プロモート会社、Swanson Communicationsが「マイク・タイソンは、5月29日に予定されつつあったイベンダー・ホリフィールドとのファイト(2500万ドルが保証された)を拒否した」と発表。

 NFL、マイアミ・ ドルフィンズのホーム、ハードロック・スタディアムも乗り気だったが、タイソン陣営の要求にプロモート側が耐え切れない、と判断したそうだ。

 ホリフィールドのマネージャーであるクリス・ローレンスは「私たちは実現に向けて交渉を重ねたが、タイソン陣営が全てを潰した。時間の無駄をしたよ」と語った。

11ラウンド37秒でまさかのKO負けを喰らったタイソン
11ラウンド37秒でまさかのKO負けを喰らったタイソン写真:ロイター/アフロ

 まだ詳細は伝わって来ないが、昨年のタイソンvs.ジョーンズは、勝敗がついていない。ボクシング界の面々は「タイソンは本気でパンチを出さなかった」と口を揃える。今、タイソンは、年齢に合ったエキシビションで、ボクシングを楽しみたいのではないか?

写真:ロイター/アフロ

 一方のホリフィールド(58)は、本気であることが分かる。エキシビションとは名ばかりで、渾身の力を込めたパンチを振るっていくであろう。両陣営の温度差は、そこにあったと私は見る。

 幻の会場となったフロリダ州マイアミは、あのモハメド・アリが1964年2月25日にソニー・リストンを下して世界ヘビー級王座に就いた地だ。興行としては成立しても、新たな歴史を刻むのは所詮、無理な話だった。それでもファンが心を躍らせたのは、現在、彼らに肩を並べるレベルのヘビー級選手が見られないからだ。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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