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元レイカースのシックスマンがコカインに溺れた自身をKO⁈ 6月12日にボクシングのリングに上がる

林壮一ノンフィクションライター
(写真:ロイター/アフロ)

 14シーズンNBAでプレーし、2009年、2010年にロスアンジェルス・レイカースの一員として王座に就いたラマー・オドム(41)。

 1999年にドラフト全体4位でNBA入りしたオドムは、どのポジションでもこなせるオールラウンドプレーヤーとして高評価を得た。2011年にはベストシックスマンに選ばれている。 

写真:ロイター/アフロ

 オドムにとって3チーム目となったレイカースの在籍は、2004年から2011年まで。故コービー・ブライアントやパウ・ガソールほどの脚光は浴びなかったが、縁の下の力持ち的な仕事ぶりでチームに貢献した。当時、レイカースの背番号7はいつもコートで溌溂としていた。

 米国代表としても2004年アテネ五輪で銅メダル、2010年のワールドカップ優勝を果たしている。

2004年のアテネ五輪でもプレー
2004年のアテネ五輪でもプレー写真:ロイター/アフロ

 引退後のオドムがメディアを賑わしたのは、2015年10月13日。ラスベガス郊外に建つ売春宿で意識不明となり、病院に緊急搬送された。その折、数日前にコカインを使用していたことが判明。コカインによって心臓発作と腎臓機能の低下が生じたことが明らかになった。

 オドムは健康を取り戻すが、彼の薬物依存に触れる際、どうしても思い起こされるのが父親の存在である。ニューヨーク、クイーンズ出身のオドムは、ヘロイン中毒の父を持っていた。

 ドラッグだろうが煙草だろうが、第一歩は周囲の影響であるケースがほとんどだ。ヘロインが身近にある環境で、彼は育ったのだ。

 オドムは12歳で母を失っている。死因は、結腸癌。亡くなる直前、オドムは母親から「誰にからも好かれるように生きなさい」と助言される。そして母と死別後は、祖母によって育てられた。

 バスケットボールを手に人生を築いたかに見えたが、ダークな部分は切り捨てられなかったかーーー。

写真:Shutterstock/アフロ

 順調にリハビリをこなしていると聞いてから久しかったが、このほど、POPスターのアーロン・カーター(33)を相手にボクシングのエキシビションマッチに出場することが発表された。6月12日、ニュージャージ州アトランティックシティーのショーボートカジノで、3ラウンド拳を交えるという。

 オドムはアトランタのジムで、懸命にトレーニング中だそうだ。

アーロン・カーター
アーロン・カーター写真:Splash/アフロ

 カーターもまた、ドラッグ使用で話題となった過去がある。

 健康が何よりだ。両者とも、いい汗を流してほしい。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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