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パンチドランカー症候群に苦しむ90年代のスーパーチャンピオン

林壮一ノンフィクションライター
撮影:著者 WBCスーパーウエルター級タイトルを10度防衛。IBF王座も統一した

 生前のアルツロ・ガティへのインタビュー時に名前が挙がったテリー・ノリス。現WBC/IBFウエルター級チャンピオンのエロール・スペンス・ジュニアもノリスに憧れていた。

 ノリスの華麗でスピーディーなボクシングには、私も惹かれた。その彼に関する14年前の記事を再録(原文ママ)でお届けしたい。

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 「NOOOOOO !!」

 断末魔の叫びだった。

 深いダメージを負った身体を案じたセコンドがタオルを投げ入れようとするのを見て、テリー・ノリスが絶叫した。次の瞬間、白いタイルが投入され、ノリスはTKO負けを喫した。1998年11月30日、パリのリングだった。

 1990年代初頭にパウンド・フォー・パウンド(もし、全ての階級のチャンピオンが同じ条件で闘ったとしたら、誰が最強かを占う架空の論議)の名をほしいままにしたノリスのボクサー生命は、この夜絶たれた。最後の3試合は全て黒星だった。

 ラスト・ファイトから6年半が経過した2005年の初夏、ノリスは『国際ボクシング殿堂』にその名を連ねる。妻と娘を連れて殿堂の式典に出席する彼の姿は、生き生きとしていた。体型はチャンピオン時代とほとんど変わらない。

 だが元気なのは、あくまでも外見だけだった。

 「いやぁ・・・久しぶり・・・」

 現役時代に拳を交えた他のチャンピオンや顔馴染の記者に挨拶して回るノリスの口調は、明らかにパンチドランカー症状を伝えた。元々、饒舌な方ではなく、呟くように話す男であるが、一語一語が繋がらず、言葉が聞き取り難い。6年半が過ぎても、未だにダメージを引き摺っているのだった。

 「元気・・だったか・・・?」

 再会の握手を交わした私は彼の話し振りに驚き、作り笑いを浮べるのが精一杯だった。

 パウンド・フォー・パウンドと称されていた頃のノリスは、非常に美しいファイターだった。丁度、マイク・タイソンがレイプ罪で収監されていた時期であり、彼はボクシング界を背負うスター王者だった。

撮影:著者
撮影:著者

 テキサス州の片田舎で元プロボクサーの父に育てられたノリスは、幼い頃から2歳年上の兄(元WBA世界クルーザー級チャンピオン)と、スパーリングの真似事をやりながら成長する。本格的にジムに通い始めると、直ぐに注目を集めるようになった。

 19歳で、プロデビュー。以来、兄と出世を争いながらキャリアを重ねる。時に打たれ脆さも見せたものの、類い稀なテクニックとスピード、そして華麗なフットワークが光彩を放った。

 1990年3月、28戦目にしてWBCジュニア・ミドル級王座を獲得。同タイトルは2回手放したが、その度に返り咲き、1997年までトップに立ち続けた。世界タイトルマッチでは19勝を挙げている。

 しかし、スターであった彼もいつの頃からかスタイルが変わる。速い足を武器に鉄壁を誇ったディフェンスが影を潜め、打ち合うようになったのだ。アウトボクサーだった頃のノリスは、相手のパンチなどもらわなかった。が、インファイトをし始めれば、無傷ではいられない。ファイター転向後に蓄積されたダメージが、最後の3連敗に繋がったように思えた。

 「ずーっと・・カムバックしたいと・・・思っていたんだ・・。でも・・・ドクターが・・許可してくれなくてさ・・・。兄貴だって・・まだ現役で・・頑張ってるのに」

 ノリスの口調を聞いて、引退を勧告しない医師などいる筈もない。その声を耳にすればするほど、胸が苦しくなった。さらに彼は、今でも週に3度はジムで汗を流している、と語った。

 「現在の・・・チャンピオンを・・見ても・・・、負ける気はしない・・んだがな」

 とも付け加えた。

 『国際ボクシング殿堂』に選ばれるには、功績は勿論、引退から5年過ぎたことが条件とされている。如何に名ファイトを繰り広げたチャンピオンであっても、引退後は様々な道を歩む。5年の間に財を使い果たし、無一文となってしまった男もいれば、囚人服を纏っている者もいる。その点ノリスは十分な蓄えがあり、美しい妻と可愛らしい娘を伴ってこの場所に来ることができたのだから、幸せと呼んでいいのだろう。私は、そう信じたかった。

撮影:著者
撮影:著者

 「リング・・・への未練・・は、今でもある・・・。だから、己に言い聞かせるために・・、このTATTOOを・・・彫ったんだ」

 ノリスは、左上腕を私に見せた。現役時代からTATTOO好きのチャンピオンだったが、左腕には入れていなかった。妻の名であるエイミーの文字と、ダイヤモンドという娘の名が彫られていた。

 「でも、神に・・感謝してるよ・・・。女房との・・・出会いを作ってくれた。こうして、家族で殿堂のイベントに・・・参加できた・・んだし」

 私と立ち話をしているノリスに、ダイヤモンドが走りよって来た。元チャンピオンは、笑顔で娘を抱きかかえると、頬にキスをした。

 「今、・・振り返っても・・・素晴らしい・・ボクシング・ライフだったと・・・思えるよ。4回・・・もチャンピオンの・・・座に・・就けた。決意を持って・・生きることの・・・尊さを・・教えて・・・もらったな」

 私とノリスが話しこんでいると、いつの間にかファンの輪が幾重にもできていた。ノリスは、彼らにサインをするため、「また・・・後で」と、ファンの輪に近付いていった。

 そんなノリスの姿を、妻が心配そうに見詰めていた。案の定、数分後に、こんな囁き声が聞こえた。

 「ノリスの話し方、すっかり変わってしまったじゃないか」

 「何で、あんなにスローなんだい?」

 ファンの声が本人の耳に届かないように、妻のエイミーはノリスの手を引き、その場を立ち去った。痛々しく、物悲しい光景であった。

 『国際ボクシング殿堂』の式典は、4日間に渡って催された。歴代のチャンピオンによる講演やサイン会、ゴルフコンペ、マラソン大会、盛大な夕食会、そしてパレードが予定された。2005年に殿堂入りを果たしたメンバーの中でも、特に名前が知られているノリスは、3度壇上に立ち、スピーチしなければならなかった。

 オープニング・セレモニーの折には、「一言だけ語る。この場所に立てる自分を、誇りに思う」とだけ話して事無きを得た。

 晩餐会の途中でマイクを手にした際にも、多くを述べなかった。出席者のほとんどが酩酊していたため、口調のたどたどしさに気付いた人もあまりいなかった。だが、エンディング・セレモニーは、そんな訳にいかない。

 ノリスは妻が用意した草稿を前の晩から繰り返し読み、十分に予行演習を積んでいた。前夜のパーティーから引き上げ、ホテルのロビーで会った時にも練習中であった。

 目が合うとノリスは、「明日は・・・ちょっと心配だよ・・・」と照れたように言った。

 エンディング・セレモニーで、壇上に立ったノリスの言葉は、出席者の大部分の耳に届かなかった。少し話し出したところで、激しい雨が降り出し、マイクの音が飛んだからだ。草稿が濡れ、風で吹飛ばされそうになっても、ノリスは懸命に読み上げた。

 パウンド・フォー・パウンドと絶賛されながらも、年齢を重ねると共にスピードを失った彼は、インファイトに活路を見い出した。勝つため、生き残るための手段だった。ノリスは、自らが打たれ強いタイプで無いことを十分に認識したうえで、インファイトを続けたのだ。

 現役の世界チャンピオンが、パンチドランクに脅えるようなことはない。ボクサーとは目の前の勝利に、文字通り生命を賭けるからだ。ましてノリスほどのチャンピオンなら、自分が将来、呂律が回らなくなることなど予期し得なかった筈である。

 この日の夜、再びホテルのロビーで顔を合わせると、ノリスは訊ねてきた。

 「どうだった? オレの・・スピーチ?」

 「とても良かったですよ」

 そうとしか、私には答えられなかった。

 「良かった・・・」

 ノリスは呟くと、傍らにいた妻に微笑みかけた。

 1967年生まれのノリスは、現在38歳。“余生”と呼べるのかもしれないが、今後の人生も長い。彼は、その時間をパンチドランカー症候群との闘いに費やさねばならない。

 「ボクシングから、学んだことを教えて下さい」

 私が問い掛けるとノリスは、数十秒間黙った。そして、頭に手をやりながら応じた。

 「オレを・・・全く別の人間にしてくれた。皆・・・が、称えてくれ・・注目してくれた・・・。オレの言葉に・・・耳を・・・貸すように・・・なってくれたね。今の人生の目標は・・・、妻と・・・娘と幸せ・・・に過ごしていく・・・ことだな」

 そう言うと彼は、左腕のTATTOOを指差した。傍にいた妻は、夫のTATTOOを目に止めながら、気遣うように左腕を触った。娘は、その左腕に抱きついた。微笑ましい、家族だった。

撮影:著者
撮影:著者

 テリー・ノリスの通算戦績は、47勝9敗31KO。ボクシング史に名を刻んだ彼は、TATTOOへの誓いを胸に、第二の人生を歩んでいる。いつの日か、その口振りが昔の様に戻ることを願ってやまない。

『TATTOO BURST』2006年1月号 BOXER'S ROAD〔ROUND 6〕 より

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 現WBC/IBFウエルター級チャンピオンのエロール・スペンス・ジュニアはノリスの大ファンで、何度か試合に招待している。スペンスとのやり取りを見る限り、上記の原稿を書いた2005年よりは体調が良さそうだ。ノリスが少しでも回復することを、心から祈る。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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