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フロイド・メイウェザー・ジュニアの叔父、ロジャーが永眠

林壮一ノンフィクションライター
フロイド・ジュニアは父とは衝突したが、叔父は慕っていた(写真:ロイター/アフロ)

 フロイド・メイウェザー・ジュニアのトレーナーを長く務め、自身もWBAスーパーフェザー級、WBCスーパーライト級のベルトを巻いたジュニアの叔父、ロジャーが亡くなった。享年58。

 現役時代の戦績は59勝(35KO)13敗。フロイド・メイウェザー・シニアは世界1位まで上ったが、タイトルには手が届かなかったので、メイウェザー・ファミリーから最初に誕生した世界チャンプはロジャーだった。

 アトランタ五輪で銅メダルを獲得したフロイド・ジュニアが<Pretty Boy>と名乗る若手だった頃は、自身も現役を続けながら甥っ子を指導していた。38歳で引退してからは、指導者に専念した。

 ボクシングが好きで好きでたまらず、ミットを持って教えることも、自分が練習する時間も大事にした。いつも気さくで、日本人選手がラスベガスを訪れた際には臨時コーチを買って出たこともある。2013年頃からパンチドランカー症状と糖尿病に悩まされていたが、アメリカ時間の3月17日、鬼籍に入った。

 フロイド・ジュニアは以下の声明を出した。

 「叔父はリング内外で、私の人生において最も重要な人でした。偉大な世界チャンプであり、トレーナーでした。残念ながら、ここ数年体調を崩しておりました。今、安らかに眠る状態となりました。

 ロジャーは私の世界を広げてくれました。父であるフロイド・シニア、もう一人の叔父であるジェフ、またメイウェザー・ボクシングジムに携わる人々にボクシング界への扉を開けてくれました。彼の死は、我々全員にとって辛いものです。我々は彼から受けた愛情に、感謝の気持ちでいっぱいです。ロジャーは私にボクシング界の多くの人と巡り合う機会を与えてくれ、本当に愛情を注いでくれました」

 フロイド・ジュニアがアトランタ五輪に出場した折、父は麻薬売買の罪で囚人服を着ていた。五輪後にジュニアがプロに転向した時には、トレーナーとして、叔父として後のパウンド・フォー・パウンドを支えた。シニアが出所してからは親子でリングに上がったが、やがて仲違いする。その際、ジュニアが頼ったのは、叔父のボクシング観と教えであった。

 「兄貴(フロイド・シニア)との仲はいいけれど、トレーナーとしては俺の方が上だよ。ジュニアの回転の速い連打は、俺との練習で身に付けたものさ」

 生前、そう言って片目を瞑った顔が蘇る。

 この人にも何度も取材に応じて頂いただけに、私も感謝の気持ちでいっぱいだ。Rest in peace, Roger.

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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