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コービーのライバルをクローズアップ ~NBA同期のスター、アレン・アイバーソン~

林壮一ノンフィクションライター
コービーの方が、選手としての息が長かった(写真:ロイター/アフロ)

 1月26日に事故死したバスケットボール界のレジェンド、コービー・ブライアント。彼は5度NBA王者となったが、最後にVを達成した2009-10シーズンの取材ノートから、印象的だったライバル達を紹介する。2人目は、アレン・アイバーソンをセレクトした。

 

撮影:著者
撮影:著者

 コービーが最後にNBAチャンピオンとなった2009-2010シーズンの11月25日、アイバーソンは引退をアナウンスした。当時所属していたメンフィス・グリズリーズで出場機会に恵まれず、3試合しかプレーしていなかった。

 183センチと伝えられている身長は、おそらくもっと低いであろう。コービーと同じシューティングガードとして4度得点王に輝いたが、同タイトルを獲得した人間として、NBA史上最も背の低い選手がアイバーソンだ。背の低さというディスアドバンテージを、俊敏さと判断力で補い、2メートルを超える巨人たちの間を駆け巡ってリングに向かう姿は芸術的であった。

 引退発表から数日後、プロキャリアをスタートさせたフィラデルフィア・セブンティシクサーズが救いの手を差し伸べ、同シーズン終了までプレーする。しかし、もはや全盛期とは程遠い動きしか見せられなかった。同期のコービーがレブロンの猛攻に耐え、NBAナンバーワンの座を死守していた時期である。

 アイバーソンは”神”と謳われたマイケル・ジョーダンのようなタイプではない。身体のいたるところに施されたTATTOO。逮捕歴。そしてチーム・スケジュールを無視して気ままな行動を取る問題児だった。

撮影:著者
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 アイバーソンの母であるアンが、後にバスケットボール界のスーパースターとなる子供を体内に宿した時、彼女は15歳の高校生だった。暮らしていたのはバージニア州ハンプトンのゲットー。述べるまでもないが、アンは親となるには幼な過ぎ、生活力も無かった。

 暴行、恐喝、売春、ドラッグ売買などが蔓延る黒人貧民街の水道も引けない部屋で、アンは赤子を抱き締めながら、自身と愛息の将来を案じた。18歳の時、アンは母親を失うが、病院から請求された母の治療費である3818ドルがどうしても捻出できず、泣くしかなかった。

 貧困に喘ぎながらも、アンは息子が9歳となった折、バスケットシューズをプレゼントする。妊娠するまで高校のバスケ部に所属していた彼女は、息子がドリブルする姿を見たかったのだ。が、アレンは「俺はフットボールの方が好きだ!」とバスケットボールに拒否反応を見せる。

 やがて才能を自覚した少年は、バスケットボールで人生を築く。アイバーソンはスターになってから言った。

 「自分がどんな風に育ったかを恥じたことなんて一度も無い。過去から多くを学んだ。目の前に起こる負の出来事を、いかに早く処理するか、己を信じることがどれだけ重要かを、俺は理解している」

 このシーズン中、メディア嫌いとされるアイバーソンに、私は質問をぶつけた。

ーーーあなたはバスケットボールで成功し、ビューティフルライフを造ることができました。でも、ゲットーを抜け出せない人間、夢に破れた人間、希望の無いまま生きている人も多い。アレン・アイバーソンが勝利を手にできた鍵とは何でしょうか?

 

 白いタオルを膝の上に乗せていたアイバーソンは、一瞬体重をやや後ろに掛け、座り直した後応えた。

 「自分をとことん、信じ切ったことだね」

 吸い込まれてしまいそうな大きな瞳をこちらに向け、瞬き一つせずに語るアイバーソンは野生動物のようだった。

ーーー人生にもがいている人々、崩壊家庭に育ち、真っ暗な気持ちで生きている10代の若者を励ますとしたら、どんな言葉を選びますか?

 アイバーソンは、私から目を逸らさずに答えた。

 「まずは目標を作って走り抜け、と。自分はそれを成し遂げられる人間だといつも信じること。そして、絶対に己の夢を諦めないことが大事だね、って」

 

 2010年のシーズン終了後、アイバーソンはセブンティシクサーズを去り、トルコリーグのベシクタシュに入団するが、目立った活躍は見せられず、異国の地で引退した。

撮影:著者
撮影:著者

 アイバーソンはコービーが亡くなった翌日、「今、この感情を言葉に出来ない。ショックと深い悲しみで頭が一杯だ。昨日彼の死を知ってから、どうしても悲しさを振り払えないんだよ」という声明を出した。

 2人がNBAを沸かせたのは昨日のように感じるが、実際は遠い昔のことである。しかし、コービーの死は早過ぎたなと改めて思う。私も未だに気持ちを上手く表現出来ない……。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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