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NBAのKING、レブロン・ジェームズが選んだ背番号「2」

林壮一ノンフィクションライター
コービーの死後、レイカーズにとって初のホームゲームでスピーチするレブロン(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 1月31日、ステイプルス・センター。コービー・ブライアントの死後、ロスアンジェルス・レイカーズにとって初めてのホームゲームが行われた日、試合前に追悼セレモニーが行われた。

 マイクを手にしたレブロン・ジェームスは、用意していたメモを読まなかった。「自分の心に正直に語りたい」とし、まず、家族の重要性を説いた。そして、深い哀しみを乗り越えるには家族と寄り添うことが最善の道だと述べた。更に、家族のように一枚岩となっているスタッフも含めたレイカーズ全員に感謝の意を伝えた。

 現在のNBAで唯一無二のKINGであるレブロンは、時折言葉を詰まらせながら話した。

 「いつの日か、コービーを称える記念の何かが築かれると思う。でも、今日こそがコービーに感謝を伝えるべき日だ。18歳からの20年間、血と汗と涙にまみれ、傷付いた体をカバーし、偉大な男であることを見せたコービーを称えるのは今日だと信じる。そして、引退後の3年はベスト・ファーザーであったコービーの足跡に、心から敬意を払う。

 俺にとってコービーは、まさしく兄だった。高校時代は遠くから、自分が18歳でNBAに飛び込んでからは、間近で彼を見てき た。何度も火花を散らした。俺たちは、それぞれが絶対に勝つんだという執念と、最高の選手になってみせるという飢えを持ち合わせていた。

 今後もレイカーズのチームメートと共に、可能な限り長くコービーの遺産を継承しなければ。コービーもそれを望んでいるに違いない。彼は我々の心に生き続けるよ」

 耳にした誰もが心を震わせるスピーチだった。レブロンがコービーとマッチアップする際、「Come on KOBE!!」と修羅のような形相で両手を広げて叫んでいた様が蘇った。

 その感動的なスピーチから3日後のことである。2月16日に催されるオールスターゲームでレブロンは、自身がキャプテンを務めるチームは、全員がコービーの娘が愛用していた背番号「2」を着用するとアナウンスした。

 NBA側が先週、コービーの背番号「24」と愛娘ジアナの「2」を、東軍(チーム・ヤニス・アデトクンボ)と西軍(チーム・レブロン・ジェームス)のユニフォームにする案を提示。レブロンは「2」を選んだのだ。

 「なぜ、24ではなく、2にしたのか?」と訊かれたレブロンは言った。

 「ズリさ」

 レブロンにもズリという名の5歳の娘がいる。

 「引退以来、家族と過ごすコービーは、それまでに見たことが無い程、幸せそうだった。”娘のパパ”って感じでね。俺も娘にありったけの愛情を注ぐパパだから」

 レブロンのことだ。コービー、そしてジアナに捧げる魂のプレーを見せてくれるだろう。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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