Yahoo!ニュース

コービーのライバルをクローズアップ ~ストリートから這い上がったレイファー・アルストン~

林壮一ノンフィクションライター
ヒューストン・ロケッツには4シーズン在籍。コービーと競るアルストン(写真:ロイター/アフロ)

 41歳で亡くなったコービー・ブライアントがNBAの主役だった2009-2010年シーズン、ニュージャージー・ネッツはリーグワースト記録となる18連敗を喫した。ネッツは、10月下旬の開幕から12月4日まで白星を挙げることができなかった。

 試合終了直後、単なる”1勝”で、まるで優勝したかのように狂喜乱舞するネッツの輪の中に、同チームで唯一とも呼べるスター選手であったレイファー・アルストンの姿は無かった。

 コービー・ブライアントを擁するロスアンゼルス・レイカース戦で左膝を痛め、DLに入っていたのだ。レイカース戦でネッツは17連敗となり、下部組織とやっても勝てないのではないか? と囁かれる程だった。

 当時33歳でNBA選手として10年目を迎えたアルストンは、2番手のポイントガードとして、チームのまとめ役を担っていた。開幕から17試合で平均プレー時間は32.5分。前季、オーランド・マジックの一員としてプレイオフで活躍したアルストンと比べると、その様は淋しかった。

 連敗中、控室で声をかけるとアルストンは早口で言った。

 「チームの状態は非常に厳しい。何とかこの状況を打破したいんだが……。まぁ、目の前の事柄に全力でぶつかっていく他に、道は無いさ。こんな時こそ、バスケットボールへの愛や情熱を思い起こさなきゃね」

 

 アルストンはNBA選手の大多数が愛用する有名ブランドのシューズは履かず、AND1という、当時ストリートバスケ界で名を馳せたメーカーと契約していた。愛用するAND1のシューズは、アルストンのキャリアの象徴でもあった。

 1976年6月24日、アルストンはNY、クイーンズの貧困地区で生を享けた。生まれ故郷について、彼は話した。

 「絶望的な場所だった。周りは犯罪だらけさ。まともに食事を摂ろうと思ったら、犯罪に手を染めるしかないような地区だよ」

 そんな街にも至る所にバスケットコートがあった。

 「故郷がどんな地区かを説明しろって言われたら、2番目に出てくるのが<バスケットボール・シティ>って言葉だね。幼いころから、いつもボールを持っていた。俺も近所の仲間たちもトラブルに巻き込まれたくなかったし、楽しかったから、いつも公園でボールを追いかけていたよ。コートは安全だったし、幸せを与えてもらえる場だったからね」

 物心がつく頃、アルストンはストリート・バスケットで評判の少年となっていた。

 「バスケに喜びを見出したのは5歳の時だった。裕福な家庭の子は、キッズ・バスケット・アカデミーやクリニックに通って基礎を学ぶけど、俺は誰かにプレーを教わったことなんか無い。シュートもドリブルも、そしてダンクも、全部自分で身につけた。

 いつか、貧しさを抜け出してやる! それにはNBA選手になるんだって思っていた。仲間も、同じ夢を持っていたよ」

 2つのコミュニティー・カレッジ、1つの4年制大学を渡り歩き、1998年にドラフトされてNBA入りする。学生時代は、ストリート・バスケ界のスター「Skip to My Lou」として名を売った。

 「NBAとストリート・バスケは別物だよ。でも、愛情は変わらない。自分の技術を高めることもできた。何より、心から楽しめた」

 ストリート・バスケのプロの試合とは、ドリブルしながら敢えて飛び上がったり、相手の頭をボールで小突いてからシュートしたりと、エンターテイメント的な要素を多分に含んでおり、通常のバスケットボールとはルールも異なる。無論、得点を争うが、どれだけ観客を魅了するかも問われるのだ。

 ストリート・バスケ界は、全米各地をツアーで回り、興行を重ねていったが、どの地でもファンが最も熱い視線を浴びせたのが、「Skip to My Lou」の華麗なボールコントロールだった。

撮影:著者
撮影:著者

 「NBAじゃないバスケにトライしたのも、いい経験だった。自分はどんなチームにも、あらゆるスタイルにも対応できることを証明できたから。次世代のストリート選手にも、チャンスがあるってことを示せたしね。

 俺はいつだって、バスケへのLOVEやRESPECTを忘れたことは無い。絶対にゲームに勝つというモチベーションを失ったことも無い。だからこそ、NBA選手を10年やれていると思っている」

 とはいえ、コービーが率いるレイカースとは対照的に、どうしても勝てないネッツの控室は悲壮感に包まれていた。16連敗となった試合後のアルストンも、シャワーを浴び、バスタオルを腰に巻いたままの格好で放心したように俯いていた。

 そんな彼にコメントを求めると、アルストンは笑顔で語った。

 「チームと自分を見つめ直して、ポジティブにならないと。自分を信じなければ前に進めないから…。昔、オフクロに言われたよ。『明日を今日よりもベターな日にしたいのなら、今日と同じ事をやっていちゃダメよ』って。俺はその積み重ねで人生を拓いて来た。努力することの意味を理解し、忍耐を覚えた。今、まさにオフクロの言葉を噛みしめるべきなんだろうね」

 このシーズンの途中で、アルストンはネッツを解雇された。直後にマイアミ・ヒートが手を差し伸べたが、存在感を現すことは叶わず、中国のリーグやDリーグでプレーした後、2012年のシーズンを最後に引退した。

 現在43歳であるアルストンは、スカウトとしてNBAの世界にいるらしい。どこかの会場で再会したいものだ。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

林壮一の最近の記事