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追悼 名将&教育者 勝澤要先生 <後編>

林壮一ノンフィクションライター
写真:日刊スポーツ/アフロ

 21年間静岡県立清水東高校サッカー部の監督を務め、5月5日に永眠された勝澤要氏は、生前、こんな言葉を残していた。

 「成功していく選手の共通項は、絶対に人に負けない強い気持ち、闘争心を持っていること。それから人と人との関係を上手くやっていく協調性がある点でしょうね。闘志があっても、孤立するようなタイプは難しいですね。

 絶対に自分に負けないという強さを持った人間は、成功します。また、人間は一人じゃ生きていけないので、他者と仲良くできる、友情を大事にすること。生きていくための独立心を養えということが大切ですよね。

撮影:筆者 2014年のインタビュー時の勝澤氏
撮影:筆者 2014年のインタビュー時の勝澤氏

 ルールを守る、時間を守る、悪いことをしちゃいけないとかね。文武両道――勉強も厳しい、サッカーも厳しい、両方共いい成果を出すのはもっともっと厳しいんですが、まずは自分との闘いに勝たないといけません。サッカーは格闘技というけれど、自分に勝てない人間が、相手との戦いには絶対に勝てないですからね。

 高校時代に文武両道を掲げて、自分に厳しく成長してほしい、自分に強い人間になってくれ、というメッセージを込めて、そう伝えていました。

現在、名古屋グランパスで監督を務める長谷川健太は日本代表として27試合に出場した
現在、名古屋グランパスで監督を務める長谷川健太は日本代表として27試合に出場した写真:山田真市/アフロ

 出藍之誉(しゅつらんのほまれ)という言葉がありますが、自分より立派な人物がどんどん出る。素晴らしい人間が沢山育つことが教師の喜びです。

 監督として幸せを感じたエピソードとして思い出されるのは、辛い練習に打ち克って勝った時の喜びですね。挫折の繰り返しでしたが、艱難辛苦を乗り越えて、ようやく成し遂げた時でしょうか。選手権で優勝して大観衆の前で校歌を歌うことが出来た時のことは忘れられません。私たちにとっては、3度目の正直でしたし、言葉にならない喜びでした。最後まで粘り強く頑張ることを学びましたね」

大榎克己も元日本代表。早稲田大学の監督として結果を出した
大榎克己も元日本代表。早稲田大学の監督として結果を出した写真:山田真市/アフロ

 清水東高校はインターハイで3回、全国高校サッカー選手権大会で1度優勝し、数々の日本代表選手を輩出したが、勝澤氏が手を焼いた選手もいた。

 「どうしても言うことを聞かないSっていう男がいましてね、もうクビにしようとしたんですよ。その折、清水にサッカーを根付かせた堀田哲爾先生に『それはお前の負けだ』って諭されたんです。考え直して、根気よく接しました。その後、彼は明治大で活躍したんです。堀田先生は、そういう人を見る目がありましたね。物事を長い目で見られる人でした。

日本代表として58試合に出場した堀池巧
日本代表として58試合に出場した堀池巧写真:山田真市/アフロ

 清水だけに運動能力のある子が集まる訳はなく、当時は育成に長けたと感じます。僕が東京教育大にいた頃は、広島の全盛時代でした。でも、清水のように小中高と湧き上がるような力にはなっていませんでした。藤枝に追いつくのに5年、超えるのに10年というのは、少年育成にありました。

 僕の恩師である福井半治先生は清水東高の卒業生を教育系の大学に入れて、やがて地元に帰ってくれば必ず東高が強くなる、いい指導者として帰ってこさせよう、と仰っていました。反面教師にならないようにと思っていましたね。

 僕がいつも送ったメッセージ、<文武両道>が根付いたのが、清水東の伝統と言えるかもしれません」

1990年アジア大会、サウジアラビア戦の日本代表、長谷川健太、堀池巧、武田修宏と3名の清水東OBがスタメンに名を連ねた
1990年アジア大会、サウジアラビア戦の日本代表、長谷川健太、堀池巧、武田修宏と3名の清水東OBがスタメンに名を連ねた写真:山田真市/アフロ

 小学生の選抜チームである清水FC、清水東高校、清水エスパルスでチームメイトとなり、「清水の三羽烏」と呼ばれた長谷川健太、大榎克己、堀池巧と同じ学年に、久保田健という秀才がいた。彼はインターハイ予選までレギュラーのMFだったが、高3の夏から受験勉強に専念し、現役で東京大学合格を果たす。

 「合宿の時に、長谷川健太や大榎が久保田健に色々聞くんですよ。すると『こういうところが出るぞ』『こうやって勉強しろよ』って教えてくれるんです。久保田はサッカー部に入ったことによって、東大に行けたと言っています。サッカー部に入ったことで、サッカーから学んだ集中力や経験を武器に、周りと一生懸命励まし合ったと。まさに文武両道を実践したという自信があったんでしょう。監督の目から見ても自分に強く、努力家でしたね。妥協しないしサボらないし」

 学業を全く無視してサッカーだけに打ち込ませ、”名門”と呼ばれている高校はいくらでもある。しかし、人間教育を第一に、強豪チームを作り上げた勝澤先生の足跡を忘れてはならない。

 心より、ご冥福をお祈りします。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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