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2冠王者が語った”モンスター”井上尚弥

林壮一ノンフィクションライター
撮影:山口裕朗

 先日、引退式を終えた元WBA/IBFライトフライ級チャンピオン、田口良一。彼の足跡を振り返る折、鮮明に思い出されるのが、井上尚弥との日本タイトルマッチである。両者は2013年8月25日に拳を交えた。

 田口に、井上尚弥について語ってもらった。 

撮影:山口裕朗
撮影:山口裕朗

 2012年3月、僕は日本タイトルマッチを黒田雅之くんとやって引き分けたんですよ。僕がタイトルに挑んだので、黒田くんの防衛でした。

 その直後の5月に、高校を卒業したばかりの井上くんからスパーリングのオファーが来ました。こちらは日本タイトル戦が終わったばかりで、練習も行ったり行かなかったりだったんです。で、ボコボコにやられました。2回ダウンを奪われています。4Rスパーをやる予定が3Rで終わりました。確か1Rに1度、2Rにも1度倒されています。僕が拳を交えたなかでは、間違いなく一番強かったですね。僕は当時、スパーでも試合でも倒れたことは無かったんですよ。

 左フックを食って、自分の体が左側にズレていった感覚を記憶しています。

 

 井上くんは、間髪入れずに攻撃してきます。息もつかせてくれない。「この人、本気で俺を殺しに来ているな」と感じましたね。相手にほんの少しの隙も与えないんです。それを徹底していました。

 彼は上に行くんだろうな‥‥と、自分は絶望的な気持ちでしたね。日本タイトルも獲れなかったし‥スパーを終えてリングを降り、悔しくて泣きました。

 当時、僕は日本ランキング1位。日本チャンピオンにだって負けたわけじゃない。そういう自負を粉々にされました。自分はもう上には行けないんじゃないかとさえ感じました。

撮影:山口裕朗
撮影:山口裕朗

 ただ、そのスパーって、自分のコンディションがあんまりいい時期じゃなかったんですよ。ちゃんと練習して、いいコンディションで臨めば、勝負にはなるとも感じました。確かに井上くんに対する怖さもありましたが、「これじゃ終われない」と思いましたね。

 で、僕が日本チャンピオンになった時、彼は日本1位だったので「逃げた」と思われるのは絶対に嫌だと、対戦を希望しました。

 10R終わって「あぁ負けたな」って、悔しかったんですけど、何とか別の策で戦えなかったかなとも感じました。もしかしたらワンチャンスはあったかな‥‥と。完敗とは思わなかったですね。今となっては、井上くんは遥か上に行ってしまいましたけれど。当時は、自分のパンチも当たりましたし。なんとかなったんじゃないかと考えました。 

 井上戦の後、試合会場であるスカイアリーナ座間から友人の車で自宅に戻ったんです。僕はずっと助手席で頭を膝につけるように体を折ったままでした。気持ちが悪かったんですよ。3週間くらい、頭痛が止まりませんでした。試合の翌日はやっぱり頭が痛くて、3日目からも、毎日じゃないんですが突如、激しい痛みに襲われました。

撮影:著者
撮影:著者

 井上君はパンチもあるし、スピードもあるし、当て勘もいいし、ピンポイントでパンチを当てる能力も高いですし、テクニックも、打たれ強さもある。ボディーワークも上手い。全てにおいて素晴らしいんです。「この人はボクシングをやるために生まれてきたんだな」って脱帽しましたね。

撮影:山口裕朗
撮影:山口裕朗

 僕、アルベルト・ロッセルに判定勝ちして世界チャンピオンになった試合で、あんまり喜べなかったんですよ。ダウンを奪いながらも仕留め切れなかった。ベルトを巻きながら「あぁ、井上くんなら絶対にKO勝ちしただろうな」って考えていました。

撮影:山口裕朗
撮影:山口裕朗

 でも、今考えれば、会場に来てくださったファン、テレビ観戦してくださった方は不思議に思ったでしょうから、首を横に振るんじゃなく、悔しい気持ちを隠して喜べばよかったですね。試合前、井上くんも控え室に激励に来てくれたんですよ。

撮影:山口裕朗
撮影:山口裕朗

 井上くんと精一杯戦ったことが、自分の糧になりました。世界タイトルを獲って7度防衛、2冠なんて出来過ぎでしたよ。ただ、僕は井上くんのように「相手を殺してやる」みたいな気持ちではなく、スポーツとしてボクシングと向かい合っていたので、そこが違ったかな‥‥。

 でも、WBAタイトル6度目の防衛戦でロベルト・バレラを相手にした時は、「絶対にこいつを倒してやる!」と決めていました。バレラは試合前に挑発して来たり、記念撮影の時に僕のベルトを掴もうとしたりと失礼な男でしたから。8Rまでにスタミナを使い果たし、その後は気持ちで戦うって決めてリングに上がりました。だから、9回にKO出来たんだと思います。

 井上くんは、常にああいう気持ちで戦っているんじゃないですかね。

 

撮影:山口裕朗
撮影:山口裕朗

 先日のドネア戦は、1人のファンとして見ていました。発表はしていなかったけれど、引退は決めていたので。

 ドネアがいい状態に持ってきたなという印象です。36歳にして、井上くんと対等に渡り合いましたね。

 井上くんはずっと僕のことを「今まで戦ったなかで一番強い相手だった」と言ってくれていましたが、もうドネアでしょう。井上くん、ドネア戦ではいいパンチも食らいましたね。ああいう経験をしたことによって、彼はさらに上に行くように思います。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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