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ラスベガス銃乱射事件の現場

林壮一ノンフィクションライター
窓が割れているのがパドックが宿泊した部屋。32階からコンサート会場を狙った。(写真:ロイター/アフロ)

 10月1日(現地時間)に、ラスベガスで発生した銃乱射事件。少なくとも58人が死亡し、527人が負傷している。容疑者のスティーブン・パドック(64)は元会計士で、かなりリッチな男だった。47丁もの銃を購入していたのだから、カネに余裕があったのだろう。

銃を乱射後に自殺するまでは、ラスベガス北東約130キロにある年金生活者用の住宅地で、余生を過ごしていた。飛行機の操縦士免許を持ち、犯罪歴は無かった。

 パドックは、昨年6月まで、私の故郷であるネバダ州リノに住んでいた。ひょっとしたら、どこかで擦れ違っていた可能性もある…。

 

 そして、事件現場となったマンダレイベイ・リゾート・カジノはボクシングファンには馴染みの深い場所だ。3300強の部屋を持ち、1999年のオープンから、アリーナでは数々の世界戦が催されて来た。

 

 アリーナのこけら落としは、1999年5月22日にセットされたWBCウエルター級タイトルマッチ、オスカー・デラホーヤvs.オバ・カーであった。翌月の26日には、バンタム級史上最高のファイトと形容する人も多い、ジョニー・タピアvs.ポーリー・アヤラ、9月18日にはWBC/IBF統一ウエルター級タイトルマッチ、デラホーヤvs.フェリックス・トリニダード、2000年4月15日はフェルナンド・バルガスvs.アイク・クォーティー、11月11日にはレノックス・ルイスvs.デビッド・トゥア、12月2日のトリニダードvs.バルガスもこの会場で開催された。レノックス・ルイスがハシーム・ラクマンを下して3度目のヘビー級タイトルを獲得したのもマンダレイベイである。

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 僅か2年の間に、全米屈指のボクシング会場に躍り出たのだ。

 パドックは、32階のスイートルームからコンサート会場に向けて銃を乱射している。流石にスイートルームに宿泊したことはないが、私もマンダレイベイ・リゾートには何度か泊まった。イベントを取材するメディアは一般客と比べてかなり割安になり、チェックインすると広報チームがバスケットにフルーツを入れて挨拶に来た。深夜に到着した際には、メモ帳やバッグ、Tシャツなどのお土産が部屋に届けられた。

 「また、ここに泊まりたい」と思わせるホテルであった。

 しかし、今後マンダレイベイ・リゾート・カジノは、惨劇の場所として人々に記憶されることとなるのだろう。残念でならない―――。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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