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相模原障害者殺傷事件・植松聖死刑囚めぐる最高裁決定と、本人から最近届いた手記とイラスト

篠田博之月刊『創』編集長
植松聖死刑囚が最近書いた獄中手記(筆者撮影)

 2022年12月13日、相模原事件・植松聖死刑囚の控訴取り下げ無効申し立てが最高裁で棄却されたというニュースが読売新聞の速報を始め、一斉に流れ、私のところにも幾つかのメディアから問い合わせがあった。いったい何が起きているのか、ややこしいので整理しておこう。それと同時に、植松死刑囚の近況、最近届いた便箋25枚にも及ぶ獄中手記、そして獄中で描いたイラストも紹介しよう。

再審請求と別に控訴取り下げ無効手続きが

 まず今回の最高裁の決定だが、これは2022年4月に植松死刑囚が起こした再審請求と実は全く別に1審弁護人が行っている手続きについてのものだ。植松死刑囚は、横浜地裁での裁判がほとんど責任能力をめぐる審理に費やされ、自分の主張に対する裁判所の判断が十分になされていないとして再審請求を起こした。それを機に私は再び、彼と接触を試み、現状において直接面会はできないものの、やりとりはできるようになった。

 そして彼の情報が入るようになって、いろいろなことがわかった。実は2020年4月に彼の控訴取り下げを無効とする申し立てが1審弁護人によってなされており、棄却決定に対して弁護人が抗告、それに対する棄却決定が5~6月に出された。それに対して1審弁護人が特別抗告を行い、それが最高裁によって棄却されたというのが12月13日に報じられた今回の決定だ。これで1審弁護人による控訴取り下げ無効申し立ては最終的に退けられたことになる。

 ややこしいのは、これらの控訴取り下げ無効申し立ての手続きと植松死刑囚本人が4月に起こした再審請求は全く別の事柄であることだ。控訴取り下げ無効申し立ては、1審弁護人が植松死刑囚と全く接触せずに独自に行っていた。

 その申し立てに対する裁判所の決定は1審弁護人と別に植松死刑囚本人にも送られている。1審弁護人はそもそも植松死刑囚に責任能力がないという前提で取り下げ無効申し立てを行っているようで、植松死刑囚本人はむしろこの動きには反発している。

 今回、最高裁の判断が示されたことで、控訴取り 下げ無効手続きは結果的に終結することになると思われる。彼が4月に起こした再審請求は、この動きに決着がつくまで保留になっているようで、今回の決定を機に、本人が起こした再審請求をめぐってこれから何らかの動きが出てくる可能性がある。

便箋25枚の手記とイラスト

 その動きは今後も随時報告することにして、ここでは植松死刑囚の近況と最近届いた手記について書いておこう。この記事の冒頭に掲げたのが便箋25枚に及ぶ、その手記の写真だ。

 もともと私は相模原事件の1年後、2017年夏から植松被告(当時)と接触し、彼の証言や事件の背景などを月刊『創』(つくる)に取り上げてきた。その内容は『開けられたパンドラの箱』『パンドラの箱は閉じられたのか』の2冊の単行本に収録されている。

 死刑が確定してからは基本的に接見禁止となった。死刑確定者が家族と弁護人以外接見禁止となってしまう弊害については、多くの指摘がなされているが、知人と接触もできなくなって精神的変調をきたす死刑囚も少なくない。

 死刑確定から2年を経た2022年4月、植松死刑囚は自ら再審請求を起こした。その彼の行動を確認するために私も動き、前述したように、結果的に再び接触できる状況が作られた。

植松死刑囚が最近描いたイラスト(筆者撮影)
植松死刑囚が最近描いたイラスト(筆者撮影)

 ここに掲げたイラストは、最近植松死刑囚が獄中で描いたものだ。鯉のイラストは、彼が2016年2月に衆議院議長に届けた封筒にも入れられており、植松死刑囚は一貫してそれにこだわってきた。今回のイラストには例えば真ん中あたりに白いラインが見えるのだが、イラストを描いた後に、歯磨きのペーストを使って仕上げたという。獄中で道具も不自由な中で素材を工夫して描いているわけだ。

 手記は死刑に対する考え方、大麻などについて書いたものだ。全文紹介は分量的にも難しいし、彼の思想をそのまま活字にするのにはいろいろな判断が必要だ。私の方は、彼の近況や死刑確定後の処遇などに関心があるのだが、手記の中でそうしたことには少ししか触れられていない。その部分を少し引用しよう。

死刑について植松死刑囚がつづったこと

 まず死刑についての考えを書いた部分だ。

《世界の7割は死刑を廃止している、死刑はコストがかかるというのは理由になっていません》

《死刑囚とかかわれば「なんとかしたい」と思うでしょうけど、死刑に反対するのではなく、犯罪がおきない幸せな社会を目指すべきです》

《人間が生き物である限り命尽きる日は必ずやってくる。死が人生の敗北であるなら、すべての人生は敗北で終わってしまうことになる。むしろ、死によって一つの人生の幕が下がり、時を経て、新たな人生の幕が上がると考えるべきです。

 大善は非情に似たり

 真の愛情とは、どうあることが社会にとって本当によいのかを厳しく見極めることです》

 次に手記の中に書かれた彼の近況だが、死刑確定者は特別にDVDで映画を観ることが許されており、月に4回観ているという映画から彼は傑作だとして5作品をあげてきた。

『華麗なるギャツビー』『スカーフェイス』『タイガー』『テッド』『ハングオーバー』だ。

 また獄中で行っている読書についても愛読書を書いてきた。書名は正確でないものもあるのだが、敢えて本人が書いてきたまま引用する。

『愛するということ』『アンネの日記』『安楽死と尊厳死』『生きがいについて』『インフェルノ』『永遠平和のために』『お金の真理』『漢方の暮らし365日』『これからの「正義」の話をしよう』『死ぬことと見つけたり』『夜と霧』『テスカトリポカ』『レンタルチャイルド』『武器ビジネス』『1日1話、読めば心が熱くなる』『マリファナの科学』『365人の仕事の教科書』『夢をかなえるゾウ』『SHOE DOG』。

 リストの後に彼は「本を大切にするとは、折り目をつけ、線を引くことです」と書いている。

 この間、植松死刑囚と接触してわかった様々なことについては、今後ひとつひとつ確認作業を行いながら報告しよう。例えば死刑が確定するまで彼は髪を切らず、伸ばしたままにして後ろで結んでいたのだが、確定後、その髪を切って短髪にした。そこに何らかの意味があるのかどうかはわからない。

相模原事件の解明されていない本質

 4月に植松死刑囚が再審請求を起こしたことが報じられた時は、相模原事件の被害者家族や遺族は一斉に反発した。あの凄惨な事件を考えれば当然だろう。

 そもそも私がなぜ今でも彼との接触にこだわるかといえば、事件がいまだに解明されていないと思うからだ。裁判はほとんど責任能力の有無、つまり被告を死刑にできるかどうかの審理に費やされた。

 裁判が始まった2020年1月、実は一方で重要な動きが始まっていた。神奈川県が事件の舞台となった津久井やまゆり園の障害者支援のあり方を本格的に検証し始めたのだ(その後、この動きは迷走しているが)。それは、何が植松死刑囚をあのような考えに追い込んだのかという事件の本質を探ることだ。その本質的な検証や議論が始められたのが、裁判が始まって以降だったというのは不幸なことだ。

現在の津久井やまゆり園(筆者撮影)
現在の津久井やまゆり園(筆者撮影)

 裁判は公判前整理手続きを終え、何を争点にするかも決められて、3月まで続いた公判はそのスケジュールに沿って進められる。だからその時期から始まった検証結果は、裁判には反映されない。実際、前述したように裁判は、責任能力の有無をめぐる審理に終始して終わった。裁判の過程で様々な証拠が開示され、真相究明に大きく寄与したのは確かだが、事件について解明すべき一番のポイント、つまり本来障害者を支援すべき職員がなぜ障害者を殺傷するという考えに至ってしまったのか、その背景や要因は何だったのか、という究明は不十分なままだ。

 その後、実は、植松死刑囚がやまゆり園で障害者支援をしていた時の活動報告が内部告発によって表に出るなど、彼が実際にどんな状況に置かれていたかなど実情が少しずつ表に出始めた(その内部情報は『創』2021年8月号などに掲載)。

 本当はそんなふうに少しずつ表に出始めた情報を、植松本人にぶつけて詳細を確認する作業をしなければいけないのだが、死刑確定者は外部との接触を事実上禁止されており、その作業は困難を極める。それが今の状況だ。そのあたりの問題点や事情は前述した『パンドラの箱は閉じられたのか』に詳しく書かれているので参照いただきたい。

 前述したように、控訴取り下げ無効手続きが最高裁で棄却されたことで、植松死刑囚自らが起こした再審請求を含め、事態は新たな展開を迎える可能性がある。あれほど深刻で重大な事件をきちんと解明するために、今後も努力は続けようと思う。ただ本人が自ら控訴を取り下げ、その有効性が確定したことで、彼の執行が早まる恐れもあり、残された時間はそう長くはないのかもしれない。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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