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三浦春馬さんを想う春友さんたちの「輪」が広がり、詩が生まれ、曲がついた

篠田博之月刊『創』編集長
第70回ヴェネチア国際映画祭(2013)にて三浦春馬さん(写真:ロイター/アフロ)

「春友」さんたちの「連帯と行動」

 三浦春馬さんを想い、喪失感からの回復をめざす、いわゆる「春友」さんたちの最近の傾向を、YouTube配信「ほっこりカフェ」を主宰する堀内圭三さんは「連帯と行動」と表現した。「行動」とは、春友さんたちがグリーフワークとしての行動を次々と起こして、春馬さんの映画などが続々と記念上映されているような状況をさしている。

 そしてもうひとつの「連帯」とは、各地の春友さんたちの連携の輪が拡大していることだ。北海道から九州、さらには台湾の春友さんまでもがいろいろな機会にSNSその他で連携を深めている。

 亡くなったアーティストをファンがいつまでも忘れず、追悼の動きをするというのは過去にもあったが、この三浦春馬さんのファンたちの動きは異例といってもよいかも知れない。

 さて今回はそういう事例のひとつを報告したいと思うのだが、まずは北海道の春友さん、通称「かんなお」さんの投稿から紹介しよう。これがなかなかすごいものなのだ。

美しい調べ 「三浦春馬」という旋律

《声に乗せても、ペンで記しても、心に思い描いても響く美しい調べ「三浦春馬」という旋律。

(み)魅せらるほど強く募る想い

(う)浮かぶのはあの笑顔の残像

(ら)羅針盤の狂いは寸分もなく

(は)走り抜けた美しき30年よ

(る)類を見ないその清らかさで

(ま)まぶたの裏の君と化す

(み)未来永劫を見据えていた

(う)憂いをおびた瞳は今、何を映す

(ら)来世での新たな翼を携え

(は)遥か彼方(かなた)を研鑽(けんさん)する魂よ

(る)流転の虚像渦巻くこの世界の

(ま)纏(まと)う鎧(よろい)はさぞ重かっただろうに

(み)三日月形の笑った目も

(う)内に秘めた情熱と強さも

(ら)ラクダのような濃いまつ毛も

(は)蓮のごとく潔い泥中の佇(たたず)まいも

(る)涙腺の豊かな感性と感受性も

(ま)また逢える日まで…抱きしめて

(み)魅惑の歌声、妖艶なS字ライン

(う)うつむくシルエットの繊細さに

(ら)ライブシアターが揺れる

(は)弾ける笑顔、躍動する肉体に

(る)ルージュとブーツの赤が映える

(ま)まさに唯一無二の私のローラ

 人間は時として、身勝手で強欲になる。

 彼の安住の地(築地本願寺)への不満、かつての役者仲間が「三浦春馬」の名を語らないことを嘆き、たまに口に出したら出したで罵(ののし)る。

 一方、彼が生前、心許し信頼して見せていたプライベートな顔、私的な会話を世に出す方もいる。

 もう彼には肯定も否定も反論もできないのに…。信頼に応えるってどういうことだろうね…。尊厳を重んじるってどういうことだろうね…。故人を敬うって…。

 彼を偲ぶ形は人それぞれだけど、私は一人の青年が30年の命を懸けて創り上げ、守り遂げた「表現者 三浦春馬」としての生き様を大切に守り抜きたい。

 そりゃ私だって色々、知りたい欲深さはある。でも彼は今のこの状況を喜んでいるのかな? 恋愛話やチーズ問題…望んでいるのかな?

「やれやれ…」と貴方の溜息交じりの苦笑いが聞こえてきそう。それとも、もう喧騒から離れた静寂の世界でただ心地よい風に吹かれているのだろうか。

 いずれにせよ様々な誘惑、葛藤の中で貴方のように清く生きるって本当に難しいなと思う。

 ねぇ…教えて…今日の築地本願寺の上空はどんな彩(いろど)りですか。柔らかな光に包まれていますか。

 ただただ貴方が恋しい夏がまたひとつ、こぼれ落ちるように無情に過ぎてゆく。》

                  (北海道 50代 かんなお)

自分の書いた詩にメロディがついた感動

 後半は春友活動をしていて最近思うことを、かんなおさんが書いたものだ。築地本願寺への納骨をめぐって意見が分かれるなど、春友さんと言っても決して一色ではないし、いろいろな考え方が時には行きかったりぶつかったりしているのだが、それはこの秋の「キンキーブーツ」公演をめぐってもそうだし、様々な局面であり得る。それでも何となく全体がまとまっていくのは、春馬さんがそうだったという寛容さだったり優しさだったりを多くの春友さんが忘れないようにしようという気持ちがあるからだろう。

 その後半はかんなおさんの意見を書いたものとして聞きおくとして、いやすごいと思ったのはその前に書かれていた詩だ。堀内さんは、これは6行詩というべきかなと言っていたが、ともかく、冒頭の語を並べると「み・う・ら・は・る・ま」になるのだが、それがずっとつながっていく。

 そのかんなおさんの詩に対して、ミュージシャンンである堀内さんが、口ずさんでいるうちにひらめいたと言って、メロディをつけ、YouTubeにアップした。いや別に最初からそういうコラボを狙っていたわけではない。かんなおさんと堀内さんも、私が編集する月刊『創』(つくる)に掲載された投稿にあった詩をきっかけに今回初めて面識ができた。それぞれが感じたままを表現した結果、歌ができあがったということだ。

 かんなおさんの感激のメールを紹介しよう。

《私の投稿に「ほっこりカフェ」の堀内さんがメロディーを付けて下さることとなり、歌が生まれるという奇跡的な瞬間に立ち会えた感動は言葉では表現出来ません。》

《私には春活を共にする春友さんがいなく、孤独を感じることも多々ありましたが、今回心温まるメッセージをたくさん頂き、同じ思いを共有している春友さん方々との絆を心強く感じ、ありがたい気持ちで満たされています。

 人生には想像すらしたことが無かった素敵な事が起こることもあるのだな、と感動しています。

 春馬くんに出逢わなければ体験することが無かった数々の出来事、悔しさ、喜びと哀しみの中にある感動、感謝、暖かな涙....

 今はただただ堀内さま、篠田編集長並びに多くの春友の皆さまに心からの「ありがとう」を伝えたいです。》

そして生まれた曲『み・う・ら・は・る・ま』

その堀内さんが曲をつけたという歌『み・う・ら・は・る・ま』は下記のYouTubeに公開されている。

https://youtu.be/fjFXJJvLqak

『み•う•ら•は•る•ま』動画のバックの海(筆者撮影)
『み•う•ら•は•る•ま』動画のバックの海(筆者撮影)

 バックの動画の海は、春馬さんがよく通っていたという鉾田市の野田海岸を堀内さんが撮影したもの。テロップが「鎌田市野田海岸」となっているのは「鉾田市~」の誤りらしい。

 かんなおさんの投稿が最初に私が編集している月刊『創』10月号に載り、それを読んだ堀内さんが曲をつけていくというプロセスを表現した映像が流れていくのだが、この歌がなかなかいい。心に残るメロディだ。

 私や『創』が当初関与したのはかんなおさんの投稿を載せたところまでで、あとは堀内さんが感銘して曲をつけ、それを「ほっこりカフェ」で披露したのを聞いて春友さんたちが思いを吐露し、その思いがつながっていって結実したという、かんなおさんに言わせれば「奇跡的な」展開だ。

 かんなおさんは北海道在住で、身近に春友さんがおらず、これまで一人で春馬さんへの思いを投稿し続けていたのだが、こんなふうに春友さんの思いがつながって輪ができていくというのは、まさにこの2年間、各地の春友さんたちの間で起きていったことだ。

 さて春友さんたちの輪がどんなふうに広がっていくのかという例をもうひとつ。洋子さんの投稿を紹介しよう。

春友さんたちとのとてもあったかい出会い

《昨年は行きたいと思ったものの行けなかった代官山での「HERO1」写真展。今年は7月9日、10日と…命日を前に春馬くんを偲ぶ旅をしたばかりだからとも思い、迷っていた。それでも東海地方から行くには近くはないけど、この頃どんどん近くなった感。写真展に行きたい!と強く思い、計画。新幹線のチケットも買い、少し前に春馬くんを観るために映画館で知り合った春友さんとふたりで行くことに。

 その後7月18日にお母様から発表された築地本願寺での納骨を済ませたというお話。最愛の息子さんである春馬くんのことはずっとずっと手元に置いておきたい気持ちもあったと思うのに、私たちファンのことや春馬くん自身のことも考えて納骨されたことに感謝の気持ちでいっぱいに。たまたま写真展に日帰りで行くことを決めていたのは7月20日。この日にお参りに行けるんだ!とわかり、当日は写真展に行く前に築地本願寺でお参りできました。

 その後は写真展に行き、その帰りに、また不思議な出会いで千葉から来ていた新たな春友さんと知り合い、「僕いた~」のロケ地のアースカフェや私は2回目のキャッスルさんに3人で。その方もあちらこちらに春馬くん気配旅をしている方。とても話しやすく春馬愛にあふれていた。キャッスルさんでは岩手から一人で写真展を見るために来た方ともお話して、行く先々で、とてもあったかい出会いがありました。

 10月からキンキーブーツが再々演されるにあたり、春馬くんローラからゆうローラに引き継がれるということで、店内の模様替えがあるかも?と聞いていた、打ち上げとして行ったとされている渋谷の「icocca」さん。変わるとなると春馬くんローラであふれているだろうお店! 春馬くんたちが打ち上げで楽しく過ごしたであろう空間に、どうしても今行きたくて仕方がなくなった。7月に2回上京したじゃない!と自分に言い聞かせてみたけど、とまらず。写真展で初めて知り合った千葉の方は、命日にそこのお店に行ったと言われていたけど。ダメ元でもう一回行かないかお聞きしてみたら、行ってもいいというお返事。2人が合う日時を決めて8月17日にお店へ。

 入った途端に春馬くんが幸せな時間を過ごした場所だと涙ではなく嬉しくて嬉しくて! 話もとまりません。それとランチのお肉の美味しいこと! 焼肉屋さんにあまり行ったことのない私ですが、もう全てのお肉が美味しくて幸せな時間! 店主の方も快くお話しして下さり。また上京したら食べに来たいなーと心から思えました。

 ランチのあと春友さんとは別れて一人で東京タワーへ。数年前のキンキーブーツ初演のときに来た時は一番上までは行けなかったのに、今回は上まで別のエレベーターで。春馬くんが住んでいたマンション街やレインボーブリッジや海、お台場の景色をゆっくり見た! 雨が降り出し、この東京タワーを好きだと言っていたことや住んでいるところからこの東京タワーも見えただろうなとか、だからあの港区のマンションを選んだのかな?とか、マンションから見える海は土浦駅近くの霞ヶ浦のヨットハーバーと似ていると思ったのかな?とか、レインボーブリッジも歩いたことあった?とか、思いを巡らせた。

 1時間ほどゆっくりして外に出たら、雨はやんでいて。なんと東京タワーから出たように見える美しい虹 昨日はお盆の送り火。春馬く~ん虹の橋を歩いて今いる世界に帰ったの?と夢見る夢子の私は思えた! そう思うと嬉しいやら悲しいやら安心するやらのわけのわからない涙が浮かんだ。

 春馬く~ん! ありがとう~また時々でいいから私たちの世界に遊びに来てね! いつでも心の中にいてずっと思ってあなたのことをみんなといっぱいお話しするよと思った。

 虹の写真と共に!》

(いつまでも春馬くんのことが大好きな洋子より)

 洋子さんから送られてきた東京タワーの虹の写真も掲載しよう。

東京タワーと虹(洋子さん提供)
東京タワーと虹(洋子さん提供)

 何か感動するものを見てはそのたびに春馬さんを想う、というのが春友さんたちなのだが、「春活」ででかけた先でまた新たな春友さんに出会うというのも、春友さんたちの「輪」がこの2年間、どんなふうにして広がっていったかをイメージさせるものだ。

 7月18日の三回忌、築地本願寺への納骨、そして秋の「キンキーブーツ」公演と、この夏から秋にかけては春友さんたちにとっていろいろなことが続いている。

 そうやって広がっていった「輪」がさらに大きくなることを祈りたいと思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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