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まだ続く三浦春馬さんの三回忌7月18日への春友さんたちそれぞれの想い

篠田博之月刊『創』編集長
五個荘の旧中江勝次郎邸の洋間に飾られたdekoさんの鉛筆画(本人提供)

7月18日を春友さんたちはどう過ごしたか

 三浦春馬さんの三回忌7月18日をあなたはどう過ごしましたか――そう呼びかけて届いた全国の春友さんたちの投稿や写真を月刊『創』(つくる)9月号に載せ、ヤフーニュースの下記記事でも紹介した。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20220731-00308232

三浦春馬さん三回忌7月18日を春友さんたちはどう過ごしたか、そして納骨をめぐる賛否は

 投稿はいまだに寄せられている。『創』10月号にも掲載するが、7月18日から2カ月も後の発行と時間が空くので、先にこのヤフーニュースで幾つか紹介することにした。

 まずは前回の記事でも紹介した滋賀の「愛を届けよう!!ありがとうツアー」。『天外者』の撮影時に控室として使われた五個荘の旧中江勝次郎邸の洋間に、春友さんであるdekoさんの40点の鉛筆画が飾られたという話は前の記事で紹介したが、今回、別の参加者からもメールが届いた。

 それを紹介するが、dekoさんの40点の鉛筆画が『天外者』ゆかりの場所に飾られたという、その雰囲気がすばらしいので、前の記事に載せたのと別の写真をこの記事の冒頭に掲げた。

7月18日の「愛を届けよう!!ありがとうツアー」(マレイ明美さん提供)
7月18日の「愛を届けよう!!ありがとうツアー」(マレイ明美さん提供)

 それを見ながら、以下、そのツアーに参加したマレイ明美さんの投稿を紹介しよう。ここに掲げた写真は、彼女が撮影したツアーで飾られたもので、ボードの前の花は参加者が献花したもの。『天外者』ゆかりの場所を回るこのツアー、今回が2回目で、来年も実施予定とのこと。滋賀県で旅行代理店をしている春友さんが企画しているもので、7月18日のこのツアーのほかにも随時、『日本製』の旅、『天外者』『太陽の子』ロケ地巡りなどを行っている。9月にも『日本製』広島・山口の旅実施予定とのことだ。

「ありがとうツアー」と「拝啓、三浦春馬様」

●7月18日、あの日から丸二年。今年も滋賀のHARUTOURの企画する「愛を届けよう!!ありがとうツアー」に、参加した。去年は一人だったが、今年はこの一年でとても仲良くなった春友と一緒だった。

 駅に着くとツアー主催者と一年ぶりに再会し、この日の為に新調した私の馬柄Tシャツにすぐ気付いてくれた。さすがだ。そう、春馬ファンなら余計な説明なしでもすぐにわかってくれるのだ。去年は、10数名の参加だったが、今年は、何と40名、関東や九州からの参加者もいた。

 バスに乗り、先ずは、「天外者」のロケ地となった五個荘の近江商人屋敷へと向かった。館長から撮影時の心温まるエピソードを聞き、階段で二階へ上がると、すぐに大きな松の木が目に入った。映画のスクリーンでは、まるで一枚の絵の様なあの光景だ。今回で、三度目だったが、いつ来ても、この空間に春馬くんを感じ、ずっと居たくなるのだった。

 そんな気持ちをあとに、撮影時の控え室となった屋敷に向かった。こちらでも素敵なエピソードを聞く事ができ、飾られたその時の写真には、オフショットでも本当にカッコいい、笑顔の春馬くんがいた。そして、今回一番楽しみにしてた特別企画、春馬くんの鉛筆画を描かれているdekoさんの展示会。重厚感のある洋間に入った瞬間、自分でもよくわからない奇声を上げた様な気がする。

 どこを見ても春馬くん、部屋中春馬くん、四方八方からの春馬くん視線を感じ、戸惑った。この日の為にdekoさんは、色々迷われながらも40枚を選び持って来てくれた。原画の春馬くんはどれもため息が出るほど美しく、それぞれに込められたdekoさんの熱い想いを感じとれた。このツアーだけのほんの数時間だけの展示会、本当に何て贅沢な時間、ずっと興奮が収まらなかった。

 あの知らせを目にしたのは、移動中のバスでだった。台湾の春友さんが所属事務所の公式発表で納骨された事をメールしてくれていた。隣に座っていた春友とそのスマホ画面を読み、「よかった。本当によかった。これでやっと落ち着けるんだね。」素直にそう思い、涙が込み上げてきた。

 ツアーの最後は、琵琶湖畔での追悼セレモニー、今年もメッセージと春馬くんの切り抜きで一杯のボードを飾り、献花台を作って一人ずつ手を合わせた。「大丈夫だよ。安らかに」納骨された事も知り心からそう願った。今回素敵なツアーを企画してくれた主催者、お世話になったスタッフ、同じ想いを共有した春友さん達、そして素敵な絵を見せてくれたdekoさんに「ありがとう」と伝えたい。今年も、想いを一つに沢山の愛を届けることが出来たと思う。

「ほっこりカフェ」の堀内圭三さんのメモリアル動画(筆者撮影)
「ほっこりカフェ」の堀内圭三さんのメモリアル動画(筆者撮影)

 ツアーから帰ってきた私は、新たなる喪失感で、何とも言えない淋しさと悲しさで一杯になった。「ほっこりカフェ」の堀内圭三さんのメモリアル動画を2日間かけて拝聴した。今年の動画は、春馬くんへの手紙を一通ずつ読み上げるという企画だった。丹波篠山のマト桜を背景に水田のせせらぎと虫の音や鳥のさえずりをBGMに一人腰掛け「拝啓、三浦春馬様」と、封筒から手紙を出しては、読み上げる堀内さん。読み終われば、また封筒に手紙を戻し、それを55人分繰り返し、収録時間は、何と2時間にもなった。

堀内さんは、こちらを訪れる方に配慮して、早朝6時から撮影されたそうだ。いつも感極まって涙されるお姿をよく拝見してたので、今回の企画も、涙で読めなくなるのではと、心配してたが、見事に最後まで泣かずに読み上げられた。

55人の想いと、堀内さんの皆さんに寄り添う温かい気持ちに感動して涙が出た。まだ眠かっただろうに、暑かっただろうに、蚊にも刺されただろうに、本当にお疲れ様でした。今回も素晴らしいメモリアル動画をありがとうございました。

 この企画を知った時に、私も手紙の文面を考えてみたが、結局書けなかった。今回手紙を書かれた方も、きっとやっとの思いで書き上げたのだろう。そして書きたい気持ちはあっても最後まで書けなかった方は、この動画を見て皆同じ気持ちなんだと改めて知る事が出来ただろう。以前、春馬くんが誰かが、誰かを思いやり、思いやる行動から奇跡が起こるんじゃないかな、と語っていた。これからも沢山の思いやりが、色んな奇跡を起こしていくのだろう。

 三回忌という言葉の重み、喪失感はまだ拭いきれないが、春馬くんが心穏やかに、安らかにいつも笑顔でいてもらえる様に私もまた前を向いて行こうと思う。(大阪府 マレイ明美)

 投稿に出てきた「ほっこりカフェ」堀内さんの企画「拝啓、三浦春馬様」については前の記事と同じ写真を掲げた。丹波篠山のマト桜を背景に、という話が出てくるが、ここで京都のノコノコさんから送られてきた「マト桜にのぼっている春馬少年」を描いた陶磁器の大皿も紹介しておこう。ノコノコさんは家が陶磁器屋さんらしいのだが、春馬さん関連の陶磁器をこれまでたくさん作って(販売用ではない)写真を送ってきた。今回の大皿はそれらの中でも最高といえるようなすばらしい作品だ。桜の木の真ん中ほどにマト少年が見える。

ノコノコさんの作品。マト桜の春馬少年(本人提供)
ノコノコさんの作品。マト桜の春馬少年(本人提供)

 さて次の投稿は『創』9月号に掲載した北海道かんなおさんのもの。7月18日にJUJUのライブに行ったという話だが、このライブには各地から春友さんが参加したらしい。かんなおさんらしい良く書けた文章なので、ここで紹介することにした。

7月18日、JUJU姐のライブに涙が溢れた

●貴方は蓮のような佇まいで、向日葵みたいな笑顔を遺し…この世に舞い降りた季節の桜のごとく散った。

 私は昨年と違う気持ちで7月18日を迎えていた。早朝から『ラストシンデレラ』を鑑賞し、群馬でのキャメルンの皆さんによる「切り絵原画展&創作朗読コンサートの会」に心を馳せながら、昼にはお手製の春馬人形をバッグに携えJRで札幌へ向かい、『こんな夜更けにバナナかよ』のロケ地、山の手を訪れた。

 大泉洋さん演じる主人公「鹿野」が実際に住んでいたロケ地のアパートは、奇遇にも約30年前に私が住んでいた部屋の目と鼻の先で、私と鹿野さんは同時期に近所に住んでいたことになる…不思議な縁を感じた。

 2018年初夏、この場所に貴方は役どころの「田中くん」として立ち、この道を歩き、走り…このアパートで笑い、恋を演じた…私は貴方の残像を求め、この地の空気を胸いっぱいに吸い込み、アパート付近の電柱…地面…周囲の草花、木、道端の石にさえも愛しさのあまりに触れた…4年前、確かに貴方はここにいたのに…そう思うと胸が熱くなった。

 山の手を後にし、次に向かった初詣シーンの琴似神社では紫陽花が私を出迎え、貴方が旅立ったとされる時刻が近づいていた。境内を進み賽銭箱前に立ち、群馬の盛会と貴方の御霊のご平安を祈り、かつて貴方が立ったであろう場所に跪き、そっと床を撫でた。

 時刻は14時8分だった、スマホを開くと三回忌を前に貴方の納骨が築地本願寺で行われた、というニュースを目にした。心を寄せる場所が設けられたことにお母様、関係者に深く感謝し、安堵しながら空を見上げた。あの時刻14時10分が過ぎた…。その後、もう1カ所ゆかりの地を訪ね、札幌中心街へ移動した。

 同日夕刻、私は心地よい音に身を委ねていた。三回忌のこの日にJUJU姐のライブが札幌であるなんて…2年と数日前…姉のように慕い、信頼を寄せる彼女の横で貴方は笑顔を見せていた。プライベートでも親交が深かったというJUJU姐と過ごす空間は、きっと貴方の安らぎの時間でもあったのだろう…。

 彼女の中にいる“三浦春馬”はどんな弟の顔を見せていたのかな…でもそれは彼女だけのもの。私はその“顔”を知りたい欲望に駆られながら、ステージ上の歌い始めた彼女を羨望の眼差しで見つめていた。

 でもそんな思いは一瞬だった、すぐに彼女が創り出す大人の上質なストーリー仕立ての魅惑の世界に引きずり込まれた私は、純粋にライブを楽しんでいた。

 さすがJUJU姐、この(私にとっての)特別な日も感情のブレは見られない、終盤に差し掛かってもプロだった。

 いよいよセットリスト最後の曲となり、あの日以来何万回も聞いた耳慣れた旋律に触れた瞬間、私の涙腺が一気に崩壊した。今までの、貴方を探し彷徨い歩いた苦悩の日々が堰を切ったように、涙として溢れ出る。“抱えきれないほどの悲しみに胸が包まれる夜も”の歌声に、目が流れ落ちるのではないかと思うほど、涙が止まらない。

“奇跡を望むなら 泣いてばかりいないで シアワセには ふさわしい 笑顔があるはず”…“君のいない現実に 向き合わなきゃ いけなくなる”

 …これまで完璧だったJUJUの歌声が上ずり、かすれ震え出す。

 そして…この曲の最後の歌詞を絞り出すように歌い終える頃には、彼女は被っていた帽子のつばをぐっと深く下げて顔を覆い、何度も涙を拭っていた…JUJUも泣いていた。

 アンコールに応えたあと、彼女は最後に心に響くメッセージを残し、深く長い時間…頭を下げてステージを後にした。私にはそれだけで十分だった。

 この日、彼女の口から春馬くんのことは何も語られていないし、この涙を拡大解釈して結び付けてはならないと思うが、私はJUJUの中にある弟への特別なものを感じ取った。JUJUはやはり貴方の大好きなステキなお姉さんだったよ。

 終了後、すっかり暗くなった空を見上げ語りかける。

「三回忌だね…早いね…。私たち、貴方に恥じないようにそれぞれのやり方で頑張っているよ。だからもう安心して…ゆっくり休んでね。いつも心のど真ん中に貴方がいる、ありがとう」

 貴方は未来を見据え、たくさんの投資をしていたのに十分に回収しないまま静かに独り旅立ってしまった。残された私たちの役回りは、貴方を偲びながら“三浦春馬の軌跡を回収する旅”を続けることなのかな…そんなことを感じた7月18日だった。 (北海道 かんなお 50代)

 かんなおさんがJUJUのライブに訪れた7月18日は、ご存知のように『創』関連イベントとして前橋市で空羽(くう)ファティマさんや海扉(かいと)アラジンさんらの朗読&コンサート&切り絵展も行われた。前回の記事に写真もたくさん載せたが、各地から参加した春友さんたちの全景写真と、春馬さんのために空けられた席の写真を掲載しよう。空羽さん提供の写真の撮影者はシンクロモード長谷川裕さんとShinobuさんだ。 

前橋市での空羽ファティマさんらの朗読&コンサートに参加した人たち(ファティマさん提供)
前橋市での空羽ファティマさんらの朗読&コンサートに参加した人たち(ファティマさん提供)

 北海道のかんなおさんは会場に真っ赤なバラを送ってきてくれた。下の写真で「想いの光」と書かれた札の向こうに少し見えるのがそれだ。ちなみに奥でピアノを弾いているのは空羽ファティマさんらキャメルングループのもっこさん。自分で作曲し、ピアノ演奏もするという女性だ。『三浦春馬 死を超えて生きる人』ではエッセイマンガを描いている。

春馬さんのために空けられた席とピアノ演奏するもっこ(筆者撮影)
春馬さんのために空けられた席とピアノ演奏するもっこ(筆者撮影)

 さて春友さんから最近届いた未発表の投稿をあと2つ掲載しよう。「Kinky Boots」公演の話に触れたSHさんの投稿と、兵庫県のみかさんだ。

 前回の記事にも書いたが、秋の「キンキーブーツ」第3回公演と築地本願寺への納骨については、春友さんたちの間でも様々な意見があり、築地本願寺納骨についても納得できないという春友さんから電話がかかってきたりしている。意見を表明するのは自由だから、投稿していただければ掲載を検討するし、それらの意見が関係者に伝わる可能性もある。

 ただ、納骨をめぐって春馬さんの母親のメッセージも公表されているし、まずは彼女がファンの人たちへの感謝の思いからそうしたということだけは、受け止めてあげたいと思う。そのうえで今後、何かできることがないか、春友さんたちと一緒に考えていきたいと思う。

初代ローラを!春馬ローラを!

●時は着々と刻まれて3回忌が巡ってきましたが、今もまだ多くの人たちの中に春馬君は生き続けているのを痛感して、また私もふっと深みにはまりかけていました。

 今年の7月18日は特別なことは特にせず静かに過ごしていました。再々公演の「Kinky Boots」を観るかどうかをかなり悩みました。

 最終的に春馬君がKinky Bootsで仲良くされていた役者さんたちが出演されることが分かり、複雑な気持ちでありましたが、同時に役者の方々も同じく複雑な気持ちで臨まれることを知って、観てみたいと思うようになりました。

 嬉しさと寂しさとまだまだ入り組んだ気持ちではありますが、舞台に立つ俳優さんたちも私たちと同じ、いや、もっともっと複雑な気持ちで再々公演の舞台に立たれるんだと思うと、春馬君が大切にしていたKinky Bootsが伝承されてゆくことに有難いような感謝に似た気持ちも湧いてきました。

 ここ最近はKinky Bootsの稽古が始まったようで、たくさんの役者の方々がいろんな形でそのことを報告されているのを見て、改めて春馬ローラを観たいという衝動に駆られています。初代ローラを、春馬ローラを、圧倒的なローラを。

 権利の問題等でなかなか難しいとの事ですが、いつかその日が来ると信じています。

 8月。広島に原爆が投下されたのが77年前の今日。こうして普通に暮らしていられることに感謝しつつ、大切な事は後世に伝承してゆくべきだなと改めて思いました。

 春馬君が空の彼方で穏やかな心で毎日を過ごして、あの笑顔でいてくれていることを祈って。(大阪府 SH)

何年経過しようとも苦しい3日間

●7月の17日、18日、19日の苦しい3日を通りすぎ、日常を取り戻しました。毎年、この3日は苦しいですね。17日はまだ存在していた日。18日は…そして、19日は、もういなくなった日。どうもこの3日間は何年経過しようとも苦しい3日間です。

『太陽の子』が10年プロジェクトになったとTwitterで知りました。春馬くんも喜んでいることでしょう。

 築地本願寺に納骨され、無情にも時は過ぎて行きますが、春馬くんは30歳のまま。どんなに観たくても、彼の経年美化を観ることは叶いません。円熟味を増した役を観ることも、声を聞くことも叶いません。ならばせめて、生前の、三浦春馬を語ってほしい、幼い時からの芸能活動、共演者は、山のようにいて、なまの三浦春馬をご存知の方は多いはず。

 作品でも、作品の最初から最後までが円盤になっていないものもまだある。『せかほし』『キンキーブーツ』など。それも切望している。何度も依頼している。

それもそうだが、もっと知りたいのは、作品の中でセリフを語っている、役者、三浦春馬でははなく、なまの三浦春馬を知りたい。何を瞳に写し、何に笑い転げ、何を語り明かしたのか。それを、周りの方々にたくさん語って頂きたい。普通に、思い出話として。

 美空ひばりさんのように、三浦春馬記念館が、建造されれば良いと思っています。いつでも作品が観られて、衣装も飾ってある。いつでも春馬くんを感じられる空間。映画、ドラマから、普通の写真もいっぱいあって。写真館も併設されていて。グッズも写真集も購入出来て、そんな場所が私達には必要です。(兵庫県 みか)

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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